出発の朝
「皇帝陛下より降嫁される第2皇女様に簪が贈られた」
「いよいよ輿入れも近いということだな」
どこからかそんな声が聞こえる。
降嫁?
国と国との婚姻が降嫁?馬鹿馬鹿しい、どこまで自国を上に見ていることなのだろう。
お気楽な者にも、あらかた慣れてはきたが鬱陶しいのには変わらない。
でも人々が降嫁といってしまうのも無理はないかも知れない。
おかしいとは思ってはいても実際口に出すなんて余程の馬鹿だけだ。
だって簪を贈られたのは事実なのだから。
簪はこのリチュワード国、皇室において降嫁を表す。神の子孫として神話などにも登場してしまっているリチュワード国の皇室は神占いという名の預言者を召抱えている。そして皇族の者が生まれた際、その者の予言をしてもらうのだ。その時に自分が何の神の子孫であるかが決まる。
現皇帝はゼウス、前皇后はメーティス、現皇后はディオーネー、そして第2皇女ファナは、知恵、芸術、戦略を司るアテナの称号を貰っている。
前皇后といのはファナの本当の母で本来の正統なら生まれが他の皇女より遅くてもより直系に近いファナが第1皇女なのだが第1皇女は現皇后の生んだ皇女という事になっている。
そんなことはファナはどうでもよかったのだが・・・。
やはり敵国に行くとなると自分が第1皇女であればと思ったことは否定しないでおこう。
「明日なのですね、あちらの使者様が姫様をお迎えにいらっしゃるのは」
「ラン、そんな憂鬱そうな顔をしてはいけません、あちらの方に失礼でしょう」
「ですが、姫様」
「私はあちらに行くべきなのです。皇后様、お義母さまは私を疎んじていらっしゃるから」
「姫様が正統な第1皇女様です」
自分は何も悪いことはいっていない。そう目で言っている様にランは口を真一文字に結んで
そこに立ちはだかるように立っていた。ランは実は強情なのだ。
でもそんなことも羨ましいとファナは思う。自分にもこんな密かな強さがあればと思う。
それがなかったから今の自分がいるのだが。
「もし、そうでも」
「姫様?」
「そうであっても、私が第1皇女でも私が行くことは間違いなかったでしょう。いずれ邪魔
になる私をお父様が放っておくはずがないでしょう」
「・・・・・」
とりあえずここはランを黙らせるように、それなりに自分の意図に気付いてもらえるように
言った言葉だったが、自分に言っていたのかもしれない。
自分は邪魔者、過去の者の遺物なんだと
だから余計な期待などするなと
「私は明日の支度をします。ランも明日の支度は整っているの?」
自分の邪念を攫い払って話題を無理やり変える。
アテナなんていう知恵の女神の称号を貰っておきながら、
話を変えるのにこんな方法しか浮かびつかない自分に反吐が出る。
「あっ、ま・・まだ・・・」
しかしそれなりに効果はあったようでランは慌てながらピューとどこか走り去っていってしまった。
これでやっと一人になれる。
ランが邪魔なわけではなかったが案外慣れしたしんだ間柄でも一緒にいるのは疲れるものだ。
ようやく自分しかいなくなったところでファナは深いため息をついた。
「姫様、起きて下さい。朝です」
まだ眠たい目をこすってファナはもぞもぞとベットの上で動き始める。
「おはよう、ラン」
欠伸をかみ殺して手で口を押さえる。
ランはもう一度「おはようございます」と返しすぐさまファナの後ろに立ち髪を結い始める。
「いよいよですね」
「何が?」
「何がじゃありません、今日なのですよ、出発は」
後ろを見たら何かに構えるように今にでもチョップをくらわしそうなランに苦笑いした。
「戦うわけではないのよ、ラン。これからはあちらが自国となるの」
「ですが」
ランが不満げなのが手に取るように分かる。直球すぎるのだ。でもそこが見放せなくて、
世話をしてくれてるのはランなのだがなぜだか自分の妹と接しているような気さえしてくる。
「聞いておられますか?」
「えっあっええ、聞いているわ」
「では続けますね」
いつの間に違う話になっていたのだろう。しまったと内心自分を毒づく。ランにはひどくうろたえているように見えただろうか。
ファナは何かひとつ考えるとそのことにしか頭が働かなくなるのだ。
昔の皇族の中にはいっきに12人の話を聞けたなんていう神みたいな伝説が残ってはいるが
あいにくファナはその力を受け継がなかったらしい。
「今日はこれからまずボルツワークからの使者様のご挨拶を頂きます。それから皇族の方々にご挨拶
そして皇帝陛下にご挨拶をした後で、両国の契りを交わし親王宣下
(内親王として皇帝に認められること)を受けボルツワークへ向かう事になっております」
「分かったわ」
なるべくさっきの失態をランに気付かれないように冷静に答えを返す。
これが公式な客人であったら間違いなくリチュワード皇室の質を下げていただろう。
こういう世界で生きていたファナにとってこういう醜聞は命取りなのだ。
たとえそれが、侍女の前であったとしても。
ランの話を一通り聞いて、部屋を出ていこうとした時にふと足を止めた。
「姫様?」
「ラン、この簪を外してくれないかしら。降嫁だなんてボルツワークの方に失礼だわ」
「しかしそれは皇帝陛下から頂いたものですよ、いいのですか」
「いいの、これがボルツワークから来てくださった者への配慮、そしてこの国との別れを示すことになるだろうから」
「分かりました」
そういうとランはすっとファナの髪から簪を抜いて新しい簪を挿し直した。
「本当にこれでいいのですね」
ランの再度の問いかけにコクリと頷くとファナは扉を開け一歩を踏み出した。