歪み
部屋に戻ってきたグレイスの表情は見るからに不機嫌そのもので、ファナは何があったのか聞きたいことも忘れグレイスの顔を凝視した。
「どうした、何か用か?」
じっと見つめているとその視線に気付いてグレイスが問いかける。
慌てて視線を逸らすと声が裏返ってしまった。
「べっ別になんでもありません」
「そうか……」
明らかになんでもないとは言いがたい状況だが、グレイスはそれ以上は聞かず自分の椅子に腰掛けた。
「陛下こそ、キル殿下と何かあったのですか」
(聞きたい、そう聞いてしまいたい)
でもそれは今のグレイスの表情では聞けるはずもなく。
ファナはなんだかいずらくなって立ち上がった。
「何をしている?」
立ち上がった刹那、ぐいっと腕を引かれて体制がよろけた。
床に身体を打ちそうになったときに強い力で引き戻された。
「なにをっ」
一瞬だけ恐怖で目を瞑ったが引き戻されたときに正気に戻った。その瞬間、疑問よりも怒りが出てきた。
「いきなり何をなさるのですか」
キッとにらむと不機嫌なままのグレイスの声が上から降ってきた。
「それはこっちの台詞だ。もう一度聞くが、何をしている?」
別段、怒るところではないのは分かっている。最初もただ微妙な雰囲気を醸し出しているグレイスといるのがいずらくて部屋を出ようとしただけだった。
でもいったん怒ってしまうと後に引けない。
そんなことと身長の差がファナをグレイスが見下しているように見せている事実が、ファナは面白くない。グレイスの質問を無視して口を開いた。
「危ないではないですか?それなりの呼びとめかたというものがあるでしょう」
感情的にならないように努めて冷静を装う。
でも言葉の端々には棘があるのは致し方ないだろう。
そんなファナの気持ちなど気にしないといった風にグレイスは掴んだ腕を離す気配はない。
そんなことにも腹が立ってファナは思いっきりグレイスの手を振り払った。
「私はもう大丈夫です、ですから部屋に戻ってもいいでしょうか」
そう言いながら、すでに扉の前に歩き始めたファナの前にグレイスが再び立ちはだかる。
「なんですか?私は理由を申し上げたはず、これ以上の長居は陛下のためにもなりません」
「……」
グレイスが無言なのをいいことにファナは扉に手を掛ける。
だが本当に出て行っても良いものかと考え、足を止めた。
確かにファナが言ったことは本当のことなのだ。
後宮ならまだしも、グレイスの私室である部屋にいつまでも留まっているのは世間的からみてもあまりよいことではない。
公私混同だと、まぁ皇帝の仕事の中には子孫を絶やさないということも大前提であるが女色が激しいと噂されかねない。
王宮での噂は些細なことでもどんな大事態に発展するか分からない、なるべくそういう危険因子は潰す、いや作らないに限る。
「失礼します」
考えて、一言だけ言って去ろうと扉を開けた瞬間、開いたはずの扉がもとの位置に戻り視界を閉ざされた。
開いたときに一瞬だけ見えたおそらく護衛の兵士だろう人の表情が驚きに満ちた目だったのを思い出す。
でも、たしかその視線の先にはファナはいなかったはず。
そんなことを考えているとガチャリとなにかの鍵が掛けられた音がした。
「何をっ、」
視界が開けて見ると、扉の前に立ちはだかっているグレイスの姿があった。
「まだ動くなと言わなくては分からないのか?」
怒っているのはその口調から分かってはいるが、その表情からはなんの感情も見出せない。ただ何事にも動じない鉄のような冷たい顔だった。
「しかしっそれでは陛下が…」
それに反論するようにファナは口調をきつくするが、グレイスの気迫に負けて語尾が弱くなる。
だか次の一言でファナの堪忍袋が切れた。
「俺は自分のことまで心配して欲しいなど言ってない」
「ぃっ……いい加減にして下さいっ!」
最後の語尾を下さいと敬語にしたのは上出来だ。
はぁ?とでも言いたげなグレイスにファナは今まで溜まっていた不満をぶちまけた。
「なぜ、何も言ってくれないのですかっ?キル殿下からは聞いても陛下は何も教えて下さらない。何が起こっているんですか!?」
最後に少しは打ち解けたと思ったのにと付け足したのは、グレイスに自分が信頼していたということを示したかったからだ。
「キルだと?キルに何を聞いたっ!?」
ファナがキルという言葉を口にした瞬間グレイスの表情が強張った。それと同時に剣のある言葉がファナにふりかかる。
「えっあっ……」
あまりの迫力にファナは言葉をうまく繋ぐ事ができず怯んだ。
その様子をみてグレイスはしまったと手で顔を覆う。
「すまない、言い方が悪かった」
怒鳴られたことでビクリと肩を揺らしていたファナは唇を引き結んだ。
「驚かしてすまなかった、だがキルに何を聞いた?」
言葉は優しい口調に戻ったが、依然として顔が強張っていてファナとしては喋りにくい。
ふぃっと視線を逸らして口を開いた。
「私も詳しくは聞かされませんでした、陛下に許しを請わないと喋れない用件らしく何もお話は聞いていないのです。ですが、私にも関係があるように見えたので……」
最後の言葉を濁すとグレイスは案の定、顔を顰めた。
「そんな話は……っ!!」
一瞬考え込んで、何か思い出したように顔を上げたグレイスはちっと舌打ちして顔をファナから背けた。
「何があったんですか?」
顔を背けられるほどのことをしたつもりはないし、自分に関係があるのなら聞きたい。
だが、グレイスから返された言葉はファナの待っていた答えではなかった。
「悪いがそれはまだ言えない。だが、今はまだここにいて欲しい。すまない」
「……」
皇帝であるグレイスにすまないと苦そうな顔で言われて怒れるほどファナは強情ではない。
互いに無言のままいるとコンコンとノックされる音が聞こえた。
これ幸いとばかりにグレイスが「入れ」と早口で言う。
すると、ドアからルイが入ってきてグレイスに一礼してファナに目を向けた。
「失礼します、陛下を少しお借りしますね」
「行くぞ」
「はい、参りましょう」
ファナには有無も言わさず、グレイスは部屋を出て行く。
部屋を出る間際、グレイスがチラリとこちらを見た気がしたが結局何も言わず出て行ってしまった。
最後にルイが一礼するがそれにも答えられずファナは呆然と立ち尽くす。
何か釈然としない思いを抱えながら。
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