スパイラルへの序曲
あのあとグレイスの部屋で目が覚めた。
当然そこにグレイスの姿はなかったが置手紙でそこにいるようにと指示が出ていた。
急いでいるような走り書きだが、最後の文面にはファナを気遣うような言葉が残されている。それをみたらなぜか笑ってしまった。
「俺の寝具はいくらでも使えばいいからまだ休んでいるように、それと用事があればルイを呼べ、あいつならどんなことに使っても構わん……か」
グレイスはルイのことを信用しているかがよく分かる。
そんな関係の人がいて羨ましく思いつつ、グレイスの気遣いに感謝した。
それにしても、やることがないというのはファナにとっては耐え難いものだ。
リチュワードに居た頃は目立たないように外出を控えていたが、今はそんな必要がないため突然外出を禁じられると退屈で仕方がない。
(ランでも呼ぼうか、でも呼んでいいの?)
そんなことを考えつつ、一人悶々としていると廊下のほうから聞き覚えのある声がした。
「…ぃけ………ん。陛下から………禁じら……」
何を言っているのかはよく聞き取れなかったがその声の持ち主は分かった。
この部屋に招いてもいいものかと一瞬考えたが少し部屋の外で挨拶をするくらいならいいだろう。そう思ってファナはそーっと扉を開いた。
「キル殿下、この前お会いして以来ですね。先日はろくにご挨拶もできなくて申し訳ありませんでした」
キルは扉が内側から開いたことに少々驚いた風に顔を上げたがすぐに笑みを作りファナに挨拶の礼を返した。
「これは、姫様がいらっしゃるとは。謝るのは私のほうだ、先日はすみませんでした」
始めてあったときとはまったく違う態度に驚いたがファナも笑顔でそれを流した。
「今日は陛下のところでお休みですか?」
にこりと微笑まれ聞かれたファナはその真意を読みとることも出来ず顔を赤らめた。
「そんなことではありませんわ、少し調子が悪いので大事を取れと陛下が私室を空けて下さっただけですわ」
「そうですか、でも仲睦まじいのは臣下として嬉しい限りです」
この前あった時とはだいぶ違いやけに下手に出てくるキルに首を傾げつつもにこやかにファナはその問いを返した。
「陛下の寛大なお心のお陰で何不自由なく過ごしております、そんな方を嫌うなんてありえないことですわ」
「そうですか、それも喜ばしいことですね」
にこやかに言葉を返すキルに何ひとつ可笑しいところはない。
でも――
なぜか腑に落ちない。
ファナはさっきから疑問に思っていたことを解決しようとして今までのやり取りを頭の中で再現してみる。
でもやはり可笑しいところなない。
黙っていても相手に失礼なのでファナもえぇと賛成の意思を示し頷いた。
「ところでキル殿下は何の用事でここにこられたのですか」
一旦、疑問は置いといて沈黙になりそうな雰囲気を戻そうと本来の質問に戻る。
するとキルはあぁっと手を叩きその後失礼と詫びた。
「姫様は聞いておられますか?」
「何をですか、私は何も聞いてないのですが?」
いきなり真顔で意味の分からない質問をされ、ファナは若干戸惑った。
「はぁ、陛下からまだ何も聞かされておられないのですね」
分からないと言った風なファナの反応にキルは顔を顰めた。問い詰めてもいいものかと思ったがそれよりも早くキルが口を開いた。
「聞かされておられないなら陛下の意図するところがおありのことと存じますので私が言うことは憚られます。ご容赦下さい」
申し訳無さそうに言ったキルをファナは不思議な目で見る。
許すもなにも何も聞いていないのだ、自分が怒る理由がない。それにキルを罰する権利もない。
それに一応グレイスの皇帝の后だが、まだ立后式も迎えていない客人だ。キルがそこまで下手にでる真意が分からなかった。
そこまで考えてようやくなぜ自分がこんなにも腑に落ちなかったのが分かった。
この前会ったときとは違う態度で感じた違和感はそれだった。
「……ご容赦もなにも、あなたは自ら臣下に下るような器でないでしょう?」
言ってしまった後、一瞬後悔したがそれよりも驚いたのはキルだったほうでポカンと口を開けている。
しかし数秒もしないうちにキルのほうからくくくっという笑い声が聞こえてきた。
「くくっ流石だな面白い姫だ。惜しいな」
さっきとは明らかに違う態度を見せられ驚いたが違和感がなくなったことで自然と笑みがこぼれた。
「そのほうがあなたらしいわ、陛下もさぞ愉快な方達をお側においておられますね」
「……そうでもない。がな、」
やけに不機嫌そうに呟く。それでファナはさっきの質問のことを思い出した。
「そうですわ、さきほどの質問はなんだったのですか?」
「あぁ、聞いていないなら俺からはいえない」
鎌をかけられたようでいい気持ちはしなかったが言っても答えてくれなさそうなのでそうですかと頷いて引き下がった。
「聞きたいならグレイスに聞いてくれ、答えてくれるかどうかは疑問だが……」
残念そうに言ったわりに口調がうわずんだように聴こえて余計に聞きたくなった。
でもそこまで意地を張ってまで聞こうとは思わないのでそうしますとだけ伝えた。
ひと通り会話を済ませ、ではとグレイスの私室に入ろうとしたとき遠くから声がかかった。
「そこで何をしている!」
少し怒っているような口調で慌てて来たグレイスをファナは訝しげに見つめた。
明らかにグレイスが見ているのは自分のほうなのだがファナには怒られるようなことをした覚えはない。
釈然としない面持ちでもう一度グレイスを見るとグレイスはさらに眉間を寄せた。
「部屋にいるようにと置手紙を置いていったはずだが?」
こちらにきたグレイスは肩が上がっている。
そこまで急いで来ることかと思いつつファナは質問に答えた。
「読みました、でも……」
続く言葉が見当たらず口ごもる。それに気付いてグレイスは頭をポンっとだけ叩いた。
「分かった、声を荒げてすまなかったな、部屋に戻って休んでいればいい」
グレイスは声の口調を直しているつもりのようだがまだ表情の硬さは戻っては居なかった。
戻っていればいいという曖昧な言葉を貰ったがようは戻れと暗に告げられていた。ファナはちらとグレイスの表情を窺ってからグレイスの私室へ戻った。
「随分と過保護だな」
「なにがだ?」
ファナが部屋に入ったのを確認してからキルが口を開く。
グレイスもそれにあわせて答えを返したが明らかに顔が強張っていた。
「とぼけるなよ、なかなか興味深い姫だった」
満足そうに笑うキルに一種の危機感を募らせる。
「お前には関係のないことだ」
キルの笑顔は動揺していることを見透かされているようでグレイスの顔はさらに険しくなる。
「それよりも、ここに来てもいいという許可はだしていない。即刻ここから立ち去れ」
命令口調で声を荒げ廊下のほうへ指差す。キルは怪訝な顔でグレイスをにらんだが、何も言わず背を向けた。
グレイスもふっと肩の力を抜く。
すると、数歩先に歩いていたキルが思い出したように足を止めた。
「そうだ、大事な姫様に伝えて。聞きたいことは近くの人に聞けって、多分答えてくれないだろうけど」
最後の部分をやけに意味ありに言ってキルは足早に姿を消した。
今回はすこし短めなお話になっています。