警告と警戒
「それで。捕らえたのかその女」
「いや舌を噛み切った。してやられたよ」
今日のあらかたの出来事を聞いてそうかとだけ呟いてこの国の皇帝、グレイス・ボルツワークはふぅと息を吐き出した。
今一番起きて欲しくない出来事が起きてしまった。
「キルは姫に気付いていたか?」
「気付いたと思うよ、ファナ様は名前は言わなかったって言ってたけど鋭いからね、誰かさんと同じで」
ルイはグレイスの方に視線を向ける。
認めるは認めるがあんな性悪な従兄弟と同じにされるのは不愉快だ。国のために何かすることはあっても自分の欲のために動いているだけの人間と
同じにされて嬉しい人間などいるはずがない。
そんなグレイスの思惑を察したようにルイはいくつか束になった資料を掴み取った。
「僕なりに対策を考えてみたんだけど、グレイス一回目を通してもらえないかな」
強引に腕の中に収められた膨大な数の書類を見てグレイスは目を丸くした。
「お前、これいつ作った?」
「さっきかな、とりあえず女を生け捕りにしろって言って捕らえたところでグレイスに引き渡そうと思ってたんだけど舌噛み切っちゃったから、
その処理を部下に任している間だよ」
時間にして約三十分くらいだろうか、短時間でこんなに膨大な量をまとめあげるとは舌を巻くとはこのことだろう。
「分かった、目を通しておこう」
みとめたくはないが、自分の部下はそうとう優秀らしい。優秀でなければ使う気はないが。
グレイスは机に渡された書類を置き今日何度目になるか分からないため息を吐いた。
「グレイス、君さ一度きちんとファナ様と話したほうがいいと思うよ」
僅かに、目線を上げるとルイと目が合う。ルイの口角が少し上がったように見えた。
「キルのことを話せというのか、それこそ悩みの種がふえるだけだ」
グレイスは首を横に何度か振り頭を抱える。
「そこまで言わなくてもいいんだよ。ただいろいろ危険だからって、理由は言えないって言えばファナ様も理解してくれるはずだよ」
「そんなに簡単にいくような姫ではないと思うがな」
何を言うかと思えば、と少し呆れ顔でルイのほうに視線を投げるがルイには冗談で言っている雰囲気は見当たらない。
言えたらなんて簡単に事が済むことか、姫に協力してもらいこちらの手を汚さずにしかもみんなに歓迎されるやり方でキルを遠くにとばすことが出来る。
しかし、まだ自分に敵対心をむき出しにしているファナに言っても良くて無視、悪かったらキルと同調して自分に立ち向かってくるだろう。
ファナの敵対心については自分が悪いのを認める部分があるが、キルについてはいつの間にか嫌われていたし自分のせいではない。
「話せば分かる人だと思うけどな、僕は」
「お前は人を甘く見すぎだ」
「そうかな?そりゃグレイスみたいに小さい頃に何度も命を狙われることなんてなかったけどさ」
自分の過去をむやみに持ち出されるのは気に入らないが今はそんなことはどうでもいい。
なぜファナに話すかどうかなんて一か八かの選択をルイが提案してきたのだろうか。考えるにルイはよほどファナのことを気に入ったみたいだ。
「でもしばらくは一緒に寝るんだから、話しておいて損はないと思うんだ。今後にも関わるしね」
正直、本当に優秀な部下を持ったものだと少し呆れている。ルイは余計なことまで見えてしまうらしい。
「仕方がない、そこまで言うのなら信じてみようあの姫を」
「ありがとう、必ず上手くいくよ」
どこが上手くなどいくものか、と内心毒づきながらルイを見るがもうルイはその話題には興味を無くしたらしくすでに新しい書類に目を通している。
もう少し真剣に話すべき話題ではないのかと思うのだがあえてそれを口にしようとは思わない。おそらくルイの頭の中でもう結果は見えていること
なのだろう。納得はしがたいがここは流れに身を任せようと心に決めて席を立った。
「後は任せた、俺は少し用がある」
「分かったよ、残りの書類も君が帰るまでに片付けておくよ」
「頼む」
グレイスはポンッと肩をたたき部屋を出る。
これはグレイスが信頼している相手に頼むときのやり方だ。それに満足したようにルイは新しい書類を手に取った。
昼でも薄暗い回廊をグレイスは歩いていた。
この城の裏側に位置するこの回廊はある人物が城に滞在するさい好む場所だった。
「キル、いるんだろう?出て来い俺だ」
グレイスの凛とした声がこのあたりに響いて消えた。消えたと同時にグレイスの前に細く尖ったものが突き出される。
「いいのか?皇帝陛下がこんなところに一人で来て」
「構わん、それに一人ではないだろうな。影がいる気配がする」
なにかいわくありげな顔で口元を歪めたキルはグレイスの前に突き出した剣を鞘に戻した。
「不法侵入で討たれても文句は言えないぞ」
「ここは俺の城だ、それにここに訪れるものなど俺か貴様か幽霊ぐらいのものだろう」
さっき剣を突きつけられたとは思えないほど余裕のある顔でグレイスはキルを睨みつけた。
二人の間に沈黙が流れる。
その沈黙を最初に破ったのはグレイスでキルは開きかけた口を噤んだ。
「何を企んでいる……?」
「何も。と言えば皇帝陛下は安心して帰ってくださるのか?」
「これからの返答次第だ」
冷たい声音でそう告げるとキルははははっと乾いた笑い声を漏らした。
「何がおかしい?」
さらに眉間にしわを寄せたグレイスなど気にもとめていないようにキルは笑いを止めない。気味が悪いと感じながらもキルの返事を待った。
「別に、皇帝が自らいち皇族に会いにくるなんて珍しいこともあるのだと思ってな」
「昔はよく遊びに行っただろう、それと大差ないと思うが?」
「あれは互いにまだ事情を知らなかったからだ、覇権のことなど気にもしていなかった子供だったからだ」
「今は違うと?」
グレイスの鋭い質問が一瞬キルの動きを僅かに鈍らせる。その機会をグレイスが逃すはずがなくその質問に追い討ちをかけた。
「出自のことか?それで俺のことを貶めようとしているのならば」
「黙れ!!貴様ごときに話す話などない」
いきなりキルが語調を荒げ叫ぶ。キルにしては珍しく頭に熱がのぼり顔が赤くなっている。呼吸も荒く興奮しているのが明らかだった。
グレイスは少しだけ驚いたように目を見開いたがすぐに目を伏せキルが落ち着くのを待った。
「お前が俺に嫌悪を抱こうと何をしようと俺は俺のものを何ひとつ失うつもりはない、そのために誰かを犠牲にしてでもな」
遠まわしの宣戦布告をしグレイスはまっすぐキルを見つめた。ビンッとした空気が張り詰める。
「まぁお前が何もしないのなら俺は手出しをする必要はなくなるのだがな」
「…………っ」
キルが何も言わないことを了承と受け、グレイスは元きた道を引き返す。
「くそが、正統な後継者は俺だというのに……」
キルの憎悪に満ちた声は闇の中に消えた。
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