求め彷徨う
「では、姫様私どもはこれにて」
音もなく侍女達は退散していく。
深くため息を吐きファナはシーツの皺をのばす。いいと言ってここへ覚悟してきたつもりなのだがファナも落ち着かないのだ。リチュワードでは
結婚前に違う男性と肌を合わすことは許されない。従ってファナもまだ純潔を守ったままだった。初めてなのだ。怖くないはずがない。
「姫様、本当に大丈夫なのですか」
「ラン、大丈夫。あなたも下がっていいのよ」
そういってもランは動かない。皇帝が来るまでここにいるつもりだろう。でもそれが今はとても嬉しかった。一人でいたらどうなったこと
だろう。取り乱していたかもしれない。そんなことは絶対にファナの性格とリチュワードが許すはずがないが、でもそれくらい不安だった。
「皇帝陛下のおなりです」
控えていて声をかけた侍女の言葉をうなづけるように遠くから幾つもの足音が聞こえてきた。これを皇帝陛下のおなりといわずして何と言うのだろう。
「ラン、下がりなさい。陛下がいらっしゃいます」
「しかし、姫様」
「あなたは、両国の間に火の粉を振り掛けたいのですか?私一人が犠牲になれば済むことです。なにもあなたが心配することじゃない」
震えていることが分かっていて、怖がっていることが分かっていてランは自分を置いていくことなどできないだろう。しかし言わなければ自分も
もちろんランもただでは済まない。自然と声音も堅くとげとげした口調になっていくのが分かった。
「私は姫様の……」
最後まで言わせる前にファナはランから視線を逸らした。
「この子を連れて行きなさい、陛下にご迷惑をおかけしてしまうわ」
いつまでも出てこないランを心配してきた侍女にランを指差してにらみつけた。こんな顔をランにみせたことはなかった。驚いただろうことが
ランの見開いた目がありありと語っていた。でも苦しい思いをするのは自分だけでいいのだ。自分のわがままを聞いてくれ家族と離れこちらに来てくれ
たランにこれ以上負担をかけさせるわけにはいかない。
「早く連れて行きなさい」
ここで自分が少しでも弱い一面を見せたら、間違いなくランはどんな罰を受けても自分と離れないだろう。
――だからこそ、突き放さなければいけない。
「私が陛下のお相手をしている間、自室に入れて見張りをさせるように。必ず一時も目を離さないようにいいですね」
「はっはい!!」
侍女はファナの声音に驚いたようにあわててランの手を取る。
ランの表情が驚きか恐れに変わった。でもなにも言葉も交わす間のなくランは侍女二人に連れていかれた。
ランは自分に絶望しただろうか。今まで一生懸命仕えてきた主人との絆がこんなに浅いものだったのだと思ってしまっただろうか。また前のようにラン
は自分に笑いかけてくれるだろうか。これからの伽の恐怖より今のこの出来事のほうがファナにとってつらいものだった。
これで他の人が楽になる。そう思わなければ崩れそうだった。人間は所詮、もろく、儚いものなのだから。
「お前達はもう下がるがいい。朝までなにがあろうとこの扉を開けることは許さぬ、分かったな」
「はい、かしこまりました皇帝陛下」
王の護衛の者が一瞬チラッとファナを確認するように見た。逃げることなど出来ないと分かっているのに、逃げないと分かっているはずなのに。
護衛の者が去り、二人だけになった。
互いの視線が交じり合う。
さきに言葉を発したのはグレイスからであたりを見渡しながらファナに近づいてきた。
「リチュワードでは結婚が決まっていない男女が肌を合わせることは許されていないと聞く」
「確かにそうでございます、しかし私もあなたも同じなのでは?ここに側室はおらず、皇后も私が初のようですから」
ファナは唇を噛み締めて震えそうになる声を必死に押し出した。
「では試してみるか?」
ギシッとベットが沈む音がした。そのままファナはなんの抵抗もする暇もなくグレイスによって押し倒された。
カタカタと震える手をファナは背中の下に押し込める。
「どうぞ、ご自由に」
瞑りたい目を見開いてグレイスをにらみつけた。
「怖くはないのか?」
「心は……。捨てましたので」
「ならば、遠慮は無用だな」
押し倒したファナを引き寄せ強引に唇を重ねる。グレイスがファナの背中に手を回した。
―――そのときにグレイスとファナの手が触れた。
ファナはすぐに手を引こうとしたがそれよりはやくグレイスが反応してその手を掴んだ。
「震えているな、怖いのか」
グレイスは口角をあげてニヤッと笑い掴んだ手をぺろっと舐める。
「怖くなどありません」
舐められた瞬間激しい吐き気を覚えたが冷静を装った。
なぜだろう。この男の笑いは何か癪に障り抗いたくなってファナは思いっきり手を振りほどいた。
振り放されたあと、急になにかを思い出したようにグレイスは笑った。
「ふっ、そういえばお前の侍女……ランとか言ったか」
顔が固まるのが分かった、それと同時にファナの中に何かが湧き上がってきた。
ランになにかあったらそう思うと目の前にいる男が皇帝でも誰だろうと関係なかった。
「ランが……ランがどうしたのです!!」。
「侍女のことになると震えが止まるのだな、煩いくらいだ」
「…………」
本当にこの男はどれだけ人を馬鹿にすれば気がするのだろう。
それにお前などといつ誰がそうやって呼ぶことを許したのだろう。そういうところもこの男の気に食わない理由の一つなのかもしれない。
「侍女達がそいつを引き連れて去ろうとしたとき私と目があってな。他の者は平伏していたがそいつだけは私を睨んできた。躾はしっかりしておけよ
首輪をかけておくのも忘れずにな」
「ランは玩具ではありませんわ」
さきほどより落ち着いた声で応える。震えもグレイスの言う通りおちついてきたらしい。腹立たしいことだが。
どうも自分にはカッとなってしまうものがあるようだ。それもこの国にきてからわかったことなのだが。
「同じではないか、飼い主同様、私を目の仇にしている。私とて好きでこのようなところにきているわけではない。しかし仲がいいと噂が立つのは
いいことだろう?」
「……」
この人の顔で分かる。
この人は何もかも計算して動いている。しかしどういうことだろう。おそらくこの人は自国を強く発展させるためならなんだってする。私《皇女》を毎日で
もここに呼んで愛でる演技も上手いだろう。実際そのほうが本性を出すより上手くことが運ぶ。でも、彼はそれをしない。彼は私を戦略のために呼んだのでは
なかったのか……。なぜ自分《皇女》をよんだのか、それに普通なら後ろ盾が強い第一皇女をと言ってくるはずなのにわざわざ後ろ盾のない自分を呼んだのか
意味が分からない。分からないことだらけだ、でもとりあえずはっきりしていることは自分はこの人が嫌いということだけだ。
ファナは勝手な自問自答の末、ひとつの答えを導いた。
「貴族対策ですか、ではここにきたことにしてこっそりお帰りなさればよろしいのでは」
「さきほどと比べ随分と饒舌になったものだな」
「お気に障ったのなら失礼致しました」
「まぁいい、なぜか抱く気がうせた、今日は寝る。行火の代わりとなれ」
グレイスが言った意味が一瞬分からなくなった。それを頭で反復させている間にグレイスの手がファナの体を掴んだ。
「何をなされるので……っ!!」
ファナがすべてを言い終わる前にグレイスはファナを布団の中に引き込んだ。
「離しっ……離して下さい」
「煩い、黙って私を温めろ」
さきほどと同じように振り放そうとしても手がしっかりと自分の腰に巻きついていて離れない。
ファナは奮闘したあげく無理だということがわかり、少し縮まってその場に落ち着いた。
「やっと止まったか、じゃじゃ馬め。そうやってはやく諦めて私の腕に収まっていればいいものを」
上から声が聞こえてきたと思ったらグレイスがこちらをみて眠たそうに欠伸をした。
「やっぱり、起きていらっしゃったんですね。お手をお離しください」
ぐるっとグレイスの腕の中で回って視線を合わせる。グレイスはそれを見てハッとファナを馬鹿にしたように笑った。
「考えてみろ今宵は寒い、私に風邪を引かせるつもりか」
「寒いのでしたら別に私のところでなくても、後宮にはいつでも陛下の慰めを頂戴したいと思っている女性はたくさんいらっしゃるでしょう」
「煩い、私はここで休むと言っている。これ以上何も言うな」
そういうとグレイスはファナをさらにきつく抱き寄せた。
抱き寄せられながらファナは縮こまって考えていた。
まってくもって意味が分からない。この人は性欲解消でもなんでもなく周りの体裁を気にして私を抱こうとしたのではなかったのか?
いつでも私を抱くことはできるはずだ。今この瞬間もそうすることは容易い。でもそれをする気はもうこの人にはないらしい。それなら意味がない
ではないか、自分は覚悟してここまできているというのに・・・。
そこまで考えていままでの自分の考えを否定する。
ありえないそんなことを思うなんて、これでは……
――これではまるで抱かれるのをまっていたかのようではないか
ぶんぶんと首をふり考えていたことを忘れようとするがグレイスがガシッと頭を掴んだ。
「今日は疲れたであろう、それ以上からだを動かすな。ゆっくり休むがいい。明日はこのようにはいかんぞ」
いままでの言い合いは何だったのだろうか、グレイスはファナをもう一度今度は包み込むように抱きしめた。
これはどういう心境の変化だろう。さきほどまで自分を抱こうとしていた奴が休めという言葉を自分に向けるとは。
「――…………」
「聞いているのか」
「……陛下のおっしゃる通り休まさせていただきますのでお静かにしてくださいませんか」
「――ふんっ可愛くない姫だな」
「お休みなさいませ」
ファナはそのまま布団を奪い取り、寝る体制に入った。
上からはもう静かな寝息が聞こえる。
……もう寝たのか。
そんなことを思いながらファナは眠りについた。