第三話「湖の記憶」
きっと朝なのだろう、鳥のさえずりも朝日も何もなかったが、体の感覚が朝だと告げていた。
ルビーはとっくに起きていたようだ。ジャンも体を起こし、毛布代わりにしていたマントを羽織り、スカーフを首に巻いた。枕代わりにしていた帽子は中からポンと叩くと、元の形状に戻った。
「起きたか。」
ルビーは相変わらず無表情だったが、仲間になったからだろうか、表情があるように感じた。
「おはよう、ルビー。」
「朝なのか夜なのかわからないから、おはようで合っているかはわからないが、一応おはよう。」
「昨日入れてくれた食糧でも食べよう。腹ごしらえをしなきゃ。」
「ウサギの干し肉は味は旨いんだが、腹が満たされるかって言うと・・・まぁ、小さなウサギだしな。」
「ハハハ、そうだね。でも、小さかろうが旨いならそれに越したことはないよ。」
そう言うと、二人は干し肉を頬張った。確かに味は良かったが、ルビーの言う通り腹は満たされなかった。しかし、誰かと食事をするのは久しぶりで、ジャンの心は満たされた。
「さて、森を進んでいかなければいけないが・・・当てもなく進んでいくのは危険だろう。」
「とにかく歩いていれば、何かしら見つかるだろう。お前の故郷の歌には、何か手がかりになりそうな歌詞はないのか?」
『この魔の森のどこかに、彼の記憶がある。』歌ではそう言っていた。しかし、それが何なのかはわからない。ジャンは、歌の続きを思い出していた。
「たしか、えっと・・・」
魔の森は呼ぶ 彼の記憶を求めるものを 歌え愛し子よ 森はそなたを愛しく思い 道を開ける
ジャンが歌い終わったその瞬間、森の木々がガサガサと動きだし、一本の道が現れた。
「・・・すごいな。」
「う、うん。まさか、歌にこんな力があったなんて。」
ガーデンベルクの歌は、真実を歌っていたのだと、ルビーは改めてジャンたちガーデンベルクの言い伝えを信じようと思った。
「この道が、きっと・・・」
「ああ、きっと救世主の手掛かりが見つかるはずだ。」
二人は顔を見合わせ、コクリとうなずき、一歩また一歩と歩みを進めた。
ジャンは自分の鼓動が大きくなっていくのを感じた。それと同時に、今まで一族の誰も見つけることができなかった大きな手掛かりを見つけることができるかもしれないという期待感が胸を熱くさせた。
道はずっと続いていた。気が付くと、目の前に大きな湖が広がっていた。薄気味悪い魔の森には似つかわしくない、どこか神聖な雰囲気をまとったその湖は、静かに水面を揺らしていた。
「ここに何かがあるはずなんだ。」
「探そう、何か見つかるかもしれない。」
ぐるりと一周するにも、どこまでも続く湖は、本当に魔の森の中にあるのか、はたまた全く別の空間に自分たちはたどり着いてしまったのかわからなかった。
「ジャン、俺が思うに、道を開くのにも歌を歌った。・・・ということは」
「ここでも歌えば何かが起こるってことか。」
ジャンは息をスウっと吸うと、大きな声で歌った。
微笑めよ 女神とともに 歌えよ 森の歌を
目覚めの時は 黒と白の分かれ目 さぁ 今こそ歌え集え 王の歌
すると、湖から美しい涼やかな声が聞こえた。
『よく来てくれましたね。ガーデンベルグの愛し子よ。あなたをずっと待っていました。今こそ彼の記憶を伝える時が来ました。私はこの湖の化身、記憶を伝えるその日まで、この湖を守護するもの』
そう言って現れたのは、体の全てが水で額と思しき部分には、真っ赤な美しい石が付いている何とも不思議な人型の何かだった。
「ぼ、僕が、愛し子・・・?」
『そうです。ジャン、あなたは私が待っていた愛し子なのです。さぁ、水面に顔を近づけなさい。』
言われるがままにジャンは水面に顔を近づけてみた。
するとどうだろうか、徐々に水面に何かが映し出され始めた。
しばらく待ってみると、人影が見え、さらにくっきりと見え始め、何かを話している声までも聞こえてくるではないか。
「ガーデンベルグ!こっちに来て!早く!」
可憐な、それでいて儚げな美しい少女がにこやかに微笑んでいる。息を切らしながら後から駆けて来たのは、細身だが、強い意志を持った瞳を持つ少年はどこかジャンの父を思い起こさせた。
「待ってくれよ!君は足が速いなぁ、何年経っても勝てそうにないよ!」
「もう、あなたはいつもそう言うけど、私知っているのよ?私に勝たせるためにわざと遅く走ってるのを。」
プウっと頬を膨らませる少女の横で、頭をポリポリ搔きながら、バツが悪そうに少年ははにかんだ。
「君を負かすなんて僕にはできないよ・・・」
ふくれっ面をどんどん笑顔にさせながら、少女は湖の水を少年にバシャっとかけた。
「わっ!何するんだ、こいつ!」
そんなことを言いながら、少年も負けじと少女に水をかけた。そんな二人は、とても幸せそうに見えた。
『この二人は、ずっと将来を約束している恋人たち。いつまでも二人が幸せになると、私も願っていました。しかし・・・』
光景が変わり、少女は一人湖のたもとで泣いている。手には小さな銀色のロケットを握りしめていた。
「どうして・・・ガーデンベルグ・・・あなたは何故私を一人にしてしまったの?私が彼の地から来た者だから?あなたが殺されるいわれはないのに!」
少女の言葉から、先ほどの少年は亡くなってしまったようだ。それも、誰かに命を奪われて・・・。
「私が・・・私さえいなければ、あなたが死ぬことはなかった・・・私さえ、いなければ・・・」
その時だった。少女の全身がまばゆい光で覆われ、あまりの眩しさにジャンは思わず目を閉じた。次に目を開けたときには、少女の姿は跡形もなく消えていた。
グァァァァ!!と、おぞましい叫び声が聞こえ、水面には何も映らなくなった。
『彼の少女は、恋人を失い、そして自分すらも消し去ってしまいました。ガーデンベルグの若者を深く愛していた少女の想いに叫び声の主が目覚め、少女を失った悲しみから少女を迫害した人々を力で屈服させる魔王となったのです。』
あの叫び声の主が魔王。そして、謎の少女と大昔のガーデンベルグの少年。様々な連鎖が今のこの世界を作り上げたのだという事実を知ってジャンは唖然とした。
「ジャン、大丈夫か?」
「ルビー・・・僕がまだ小さい頃に、昔話として聞いたことがあるんだ。悪魔と恋に落ちた先祖の話を。でも・・・あの少女はどう見ても悪魔なんかには見えなかった。」
悲しげなジャンの顔を湖の化身はそっと撫でた。
『きっと、一族の後継者だった少年を惑わしたという意味で悪魔などといったのでしょう。人の印象なんて見る人によって違うものです。悪に見えれば悪魔だと言い、善に見えれば天使と言うでしょう。』
「俺は、その意味が解る気がする。俺の見た目だけでルビーという名を馬鹿にするやつがいる中で、ジャンだけは俺の名を綺麗と言ってくれた。それと同じだよ。」
ルビーはこぶしをぎゅっと握って、震えた声でそう言った。それはどこか悲しげな声だった。
『彼女の記憶をたどりなさい。それが、魔王を打倒し、世界を再び平和に導く鍵となることでしょう。私は、この湖での記憶しか貴方に伝えることができません。ガーデンベルグの歌が、彼女の記憶のありかを教えてくれるでしょう。頼みましたよ、ジャン。』
「待ってくれ!なぜガーデンベルグの歌に彼女の記憶のありかが?この歌は、彼女が消えた後にできたというのに・・・」
湖の化身は、フッと微笑んだ。
『ジャン、それを教えるのはまだ早いのです。でも、いずれあなたも知るでしょう。ガーデンベルグの歌の本当の意味を・・・』
そう言うと、湖の化身は再び湖の中に消えていった。もうどんなに呼びかけても現れはしなかった。
本当の意味を知るのはまだ早い・・・千年もの間人々は苦しめられ続けているというのに、遅いくらいじゃないかと、ジャンはやり場のない怒りに震えていた。
スッと、ルビーはジャンの背中に手を置くと、バチンと強く叩いた。
「いったぁ!何するんだよ!」
「何怒ってるんだ。手がかりがお前の故郷の歌に込められている。その事実が大切だ。惑わされるなジャン。まだ早いと言われたんだぞ?時が来ればわかることなんだ、むしろ喜んだ方がいいとは思わないか?」
ハッとした。確かにその通りだ。望みがまだあるんだ。望みがないと言われたわけじゃないんだ!ジャンは自分の頬をパチッと叩いて、喝を入れた。まだ冒険は始まったばかりだ。
「ありがとう、ルビー。君のお陰で気が付いたよ、冒険はまだまだ長いんだ、こんなことで悩んではいけないね!」
「フッ・・・」
ジャンはドキッとした。ルビーが・・・笑った?しかし、昨晩の時と同様に再び目をやるといつもの無表情のルビーだった。
森の木々は、出口まだ案内するかのように道を作り上げていた。ジャンとルビーは、魔の森を出るため、歩みを進めるのであった。