第四声「残念ですが、お別れを言われるのはあなたの方ですわ」
小柄な王女を抱えるのに労はない。
いつものように寝台に運び、中央に寝かせる。
枕の位置を合わせるがシーツはかけない。
少年ほどの薄い胸が規則正しく上下していた。薄桃色の唇から深い息が吐き出される。
強力な経口式の睡眠剤の効果は意識の消失。
成人男性でさえ八時間は覚醒できない。起きた後もまともに立って歩くこともできないような代物だ。
「終わった」アサンの呟きから数分後、ゆっくりと扉が開く。王宮警護官の制服を着た男が足音も立てずに侍女の隣に並び立った。
「よくやったディアレ。五年間のお前の働きに主は大層満足されている」
「関係ない。あたしはあたしのためにやった。お前たちの盤上遊戯なんかに興味はない」
「強がるなよ可愛いな! 昔のお前はすぐに泣いてもっとカワいかったのによ! もう侍女もお役御免。またオレの腕の中で鳴いてくれよ、仔犬みたいにキャンキャン鳴いてくれよ!」
顔に特徴はないが癇に障る言動は、女が知る中でも最低最悪の人間。呼び名はサウズ。女の元教育係だった暗殺者だ。
「そんな暇などない。これからが大仕事だ」
アサン、いやディアレと呼ばれた女は唯一の出入り口の床面に楔を打ち込んだ。楔は獣の爪を黒く加工したもの。 「そーかそーか、そーだな! コレの始末の後にゆっくり遊ぼーな!」
邪気のみが込められた乾いた笑い声。サウズの表情は枯渇したままだ。薄気味悪い男への警戒を成しつつも、ディアレは淡々と王女の寝室を静かに荒らしていく。
「おいおいおいおいおいおい、まどろっこしいぜディアレ! コソ泥や間諜じゃねぇんだよ!
今からここには凶悪無欠の魔物が押し入って、か弱くも愛らしい幼姫を八つ裂きにするんだよ! だったら、、、こうだろう!!」
調度品や椅子、洋灯、執務机などが凄い勢いで蹴り飛ばされる。倒壊音や小物が散らばる音、木材に穴が空き、絨毯には油が染み入る。
「なにをしている! そんなことをすればすぐに衛兵が……」
「構わねぇよ。そいつらも魔物に襲われるんだから。その方が自然な流れだろうよ」
男は構わず部屋を破壊して回った。
「と言っても、衛兵様方はとっくにお寝んねしてるから安心しな」
狂人が! ディアレは男を睨み付けたが、彼は意にも介さずに暴れ続ける。無表情に嗤いながら、壁や床に得物で爪痕を刻んでいく。
ディアレはうんざりしながら、眠る王女の下に歩み寄った。十五歳にしては小柄な体躯。王女の枕の下を探り、銀扇を取り出して白磁の手に握らせてから、自らの手を重ねた。
「どうした? なにやってんだよ?」間延びした乱暴な呼びかけに振り向かずに応じる。
「姫様は眠られるときも銀扇を手離さなかった。彼女のお気に入りの品だ」それだけだ。苦しい言い訳にサウズの指摘や疑問はなかった。
「いいぜいいぜ! 現実味って重要だもんな! お寝んねに持ってるくらいだったら魔物に襲われるときも持ってるぜ! ディアレ、お前やっぱりいいぜ!」
男は部屋の洋灯のひとつを絨毯に叩きつけた。高価な硝子が割れる音が響く。先のこぼれた油に種火が移り、徐々に燃え広がり始めた。
「なにをっ!?」
「魔物様方がお上品なわけあってたまるかよ!」
男は王女が横たわる寝台に、馬乗りに飛び乗った。
「ディアレの意見には賛成だ! 流石はオレのディアレだぜ! お前のことは信頼してるぜ! だからオレの仕事も信頼してくれよ!」
サウズは手甲の鉤爪を器用に使って、王女の衣類を上下に引き裂いた。
「ただ八つ裂くなんて現実味のねぇ話だ。玄人じゃねぇ。魔物だってまずは楽しむだろう? 繁殖したいだろう? 勇者の母たる聖なる存在なんてお墨付きがあるんだ、孕ませたくなるってもんだろ!」
「貴様!」
ディアレはブーツから小針刀を抜き放った。
「姫様から」
「お前の主はコレじゃない。コレはもう玩具。人形。肉の塊。そんで生贄な。それとも」
サウズの眼光が初めて鋭く突き刺さる。
「情でも沸いてんのかディアレ? 自分の現状立場ちゃんとわかって牙剥いてんのかよ? ああ?」
男は寝台を下りて、ディアレに一歩だけ近づいた。
「家族の命背負ってんだろ? 集落の未来も背負ってんだろ? だったらこんな他人放っておけよ。お前の大嫌いな為政者だろ? お前を踏みにじった権力者だろ? どうでもいいじゃねえか? こいつが居なくなればお前は幸せになれるんだぜ? なら答えは決まってるよな? な?」 ディアレは小針刀を落とした。
「別にオレはかまわねぇぜ。幼王女のとなりにメイド一匹が転がっててもよ」
肩の震えも徐々に収まる。怒りに満ちた彼女の表情は無へと返る。
「わたしが冷静ではなかった」
「だよな! わかってくれてうれしいぜディアレ! じゃあオレもさっさと嬲って、さっさとバラすからよ! ちょっとだけ待っててくれな! 大丈夫だって、俺の仔犬はお前だけだか……」
「姫様から離れろ外道!」
口内に仕込んだ針を息で吹き出す。狙うのは男の眼球。手を伸ばせば届くほどの距離での不意打ちであればサウズであっても躱すことは適わない。
「ぬぉぉぉぉぉ、痛っってえええええ!」
蹲る男の隙を見逃すほどの甘さはない。当の男本人が教えたことだ。
床の小針刀の柄を踏みつけると、勢いで飛び上がる。体当たりも同然に突進する。得物は掌にうまく納まる。害意の行先はサウズの、無防備な首筋へ。
「目がぁ、目がよぉぉぉっ!」腕を振り回す男。気勢をそがれ、狙いはずれたが左肩に小針刀は根元まで突き刺さった。
「ぐぉぉぉ!! ディィィアレェェェ! なにやってんだよ!」
「わたしは貴族も王族も大嫌いだ! でも姫様は、ルイン様だけは違うっ!」
「ディィィアレェェェッ!!!」
「わたしから何もかも奪ったのは、お前達だ!」
カンと、床を蹴ることでブーツの両爪先から黒濡れの針が飛び出す。塗布されしは致死量の毒。サウズですら数分で絶命でき得る量。
力でも技でも敵わないが、肌に刺さりさえすれば必殺。
最小限の動作で、ディアレは男の下腿部を狙いすました。
が、蹴りは難なく受け止められる。
「……っ!」
「なぁ~んてな!」
余裕の表情で見せつけられたのは、サウズの無事な両目。指の間に挟み込まれた数本の針が音もなく落ちる。
「好機だと思って頑張っちゃったなディアレ!」
小針刀が突き刺さったままの左腕からの強烈な打撃は、もろに顎先を襲った。舌を噛んで血が噴き出す。痛みを感じる以前に、意識が薄れていた。仰向けに倒れつつも身を起そうと足掻くが、みっともなく手足が動いただけだった。
「ひっくり返った亀みたいでいい格好だディアレ」
優しい口調で腹部を数度踏みつけられ、胃の中身を吐き出した。
「お前は最高だぜ。最高にカワいい女だよ。でももう壊れちまった。だからよ、そんなお前にオレからの最期の温情だ。お前の大事な幼王女と一緒に、キレイにキレイに飾り付けてやるよ。オレに任せとけって。オレは上手だからよ!」
右の肩と腕の間。上腕骨頭を強く踏み砕かれる。獣のような苦悶の悲鳴が響いたが救いはない。
―――これは報いなのだろうか?―――
暗く落ちそうになる意識。不幸な生い立ちが次々に蘇る。熱砂の国の貧しい一族としての慎ましやかな暮らし。家族や一族の顔、彼らとの思い出だけがディアレの総てであったはずなのに。
―――ひめさま―――
あふれ出るのは深い雪国でのことばかり。同い年の王女との波瀾に満ちた退屈ない日々。
―――わたしの心は、こんなにもルイン様で満たされていたんだ―――
ぼやけながら映る視界。最低最悪の快楽殺人者が、眠る王女の元へと向かう。手足はうごめく以上の自由を与えない。
「ーぃーーぁ」主の名前すら音にならない。
ひめさま、ひめさま!
嗚咽が漏れた。自身の過ちへの後悔と、自身の愚かさへの怒りと、自身の弱さへの不甲斐なさ。そして大切なものが奪われる恐怖。
「ダメだダメだ。泣こうが喚こうがお前は後だ。お前にはちゃんと見てもらわないとな。最初から最期まで。それがお前の最期の仕事だよ」
できることは何もない。体は動かず、意識も途切れかけている。幼子がだだをこねるように、情けなく泣くくらいしかできない。
せいりゅうさま、ふらうばるくりむさま。
おねがいします。どうかひめさまをおたすけください。
わたしはどうなってもかまいません。ばつはうけます。だからおねがいします。これいじょう、わたしのだいじなひとをうばわないでください!
かなうならば、わたしのみをすべてささげます。ぜんぶのこらずおささげします。
もうなにものぞみません。すべてうけいれます。
だからおねがいします!
「ルイン……を、た、すけ、て」
ディアレの祈りが聖龍フラウバルクリムに届いたのだとしたら、それは彼女が声を上げることができた。それだけの結果だったのだろう。
「オレのカワいいディアレを壊したクソ王女は、念入りに、徹底的に壊してやるぜ。じゃあな! さよなら~!」
「残念ですが、お別れを言われるのはあなたの方ですわ」