拳の猿退治
ガサッ。
その音を聴くと同時、俺は立っていた木の枝から飛び降り、木の幹を強く蹴った。
法則のない配置をされた木を蹴り、枝で方向を修正し、音源を目指す。翼を限界まで折り畳み風の抵抗を減らし、最大限の速度を出す。
そして、五秒間移動を続けた時、音源となった猿型のモンスターを視界に捉え、近くの木の幹を蹴って加速し、雄叫びを上げながら猿型モンスターの顔面を拳で殴った。僅かなタイムラグの後、猿型のモンスターは光となって消滅した。
「ふいぃ、これで七十三体目っと。あと二十七体……どこにいんのかなあ」
つい数秒前まで猿の立っていた枝に登り、現在受けているクエストの詳細を確認する。
現在俺が受けているクエストは、「拳の猿退治」というクエスト名だ。このクエストを受けた理由は、言うまでもなく師匠に強制されて、だ。
師匠との特訓も既に一週間が経過し、俺もそれなりに強くなってきた。そこで師匠が提案したのが、このクエストを受けてクリアする、というものだった。
このクエストは謂わば体術スキルを会得するためのクエストで、達成条件は一度も地面に足を着けず、森の中の猿を武器を使わずに百体倒す、というものだ。勿論、天使や妖精、半竜人は翼というアドバンテージの使用も禁止される。
何故こんな面倒なクエストなのかというと、このクエストが武術の達人に弟子入りをする、というものだからだ。そして、クエストの最終段階が森の中の猿討伐なのである。
この猿討伐には難易度があり、それによってフィールドの条件などが異なる。初級は「昼間、半径五百メートルの森」、中級は「夜、半径一キロの森」、そして上級が「夜霧、半径一キロ半の森」だ。どれも制限時間は二時間。難易度が上がると、初期状態から熟練度が少し上がった状態でスキルを獲得できる。
俺は特訓のためにこのクエストを受けているため、もちろん上級を選択してる。そして、今まで既に二十回は失敗していた。
最初の頃は木から木へと移ることすらできなかったが、特訓の末既にターザンもかくや、というレベルまで達している。それに、視界が効かないフィールドの中でも、音や霧の流れ、風の動きで猿の位置を探ることもできるようになった。これは、初日から師匠との特訓で鍛えていた五感強化の賜物だ。
特訓を終えて夕飯の後、一週間頑張ってレベルも八まで上げた。スキルポイントはSTRとAGIを中心に上げ、武器なしでもそれなりにダメージを与えれるようになってきた。最初は二発で倒せていたこのクエストの猿──体術スキルを会得しておらず、その上火力の出ない武器なしの攻撃で倒す必要があるため、AGI以外のステータスは極端に低い──も、一撃で倒せるようになった。
「音は……ないな。風の乱れもないし……近くにはいない感じか。今が北の端にいるから、南の方に行くか」
猿にもちょっとした性格設定があるらしく、好戦的な奴もいれば、逃げるばかりの奴もいるそうだ。好戦的な奴は粗方倒してしまったので、今は探し出して追いかけて倒している。
クエスト詳細とマップを消去し、南の方角に向けて移動を始める。もちろん、この間も地面に足を着けてはいけない。それに、既に一時間が経過していることもあって、少し急ぎ気味での移動となる。
序盤一時間は北半分を満遍なく捜索していたこともあって、まだ南半分は全く見ていない。好戦的な猿は俺を探して攻撃してくるので、北側にいてもほぼ全てが集まってきたのだが、逃げる奴はほとんど移動をしない。そのため、フィールド全体を捜索して倒す必要がある。
好戦的な猿は凡そ五十匹いて、恐らく数としてはもう全て倒していると見ていい。現在倒している七十三匹のうち、二十三匹は恐らく北半分にいた逃げる猿だろう。つまり、残りの二十数匹は南半分にいる逃げる猿と見ていいわけだ。
「今のペースで探してちゃ、間に合わなさそうだな。ちょっとペース上げるか」
そう独り言を呟き、俺は移動の速度を上げる。
ちなみに、何故こんな動きができるのかは簡単なことだ。現実でこんな動きをしようものなら、恐らく一瞬で地面に落ちるだろう。でも、ここは仮想世界だし、俺の使ってる体はアバターだ。人間の限界なんてものは超えようとすれば簡単に超えられる。特訓初日の十メートルジャンプでその感覚を掴んだ俺は、この人並外れた動きの会得にも二日とかからなかったのだ。
十分とかからずに森の中央へ移動した俺は、そこからは慎重に移動しながら僅かな変化も捉え逃さないように集中する。目を閉じ、現実世界で培った首から上の感覚を研ぎ澄ます。
風が正面から吹き付ける。その風の中に、僅かに自然外の音が混ざった。つまり、猿が起こした音だ。
俺はすぐに移動を始める。南から吹き付けた風の中、音は僅かに左寄りだった。つまり、南東方向にいる可能性が高いということだ。そこまでを一秒で推測し、移動の速度を上げる。
十五秒後、前方右寄りからガサガサっという音がした。俺は即座に方向を転換し、その音源を見つける。
「二匹発見……!」
運良く二匹居合わせたようで、俺は右側の猿に側頭部への蹴りを入れ、左側の猿には蹴りの勢いそのまま後ろ回し蹴りで踵をこめかみへとめり込ませた。発見から一秒で、猿二匹が光へとなって散って行った。
「ぬあっ」
着地して次の獲物を探そうと枝に乗せた右足が滑った。もちろん、左足を乗せる余裕なんてない。そして、俺は股の間を太い枝に強く叩き付ける結果となった。体が大きくビクッと跳ねたことは、いうまでもない。
「ひぎっ……仮想世界でよかった」
現実世界でこんなことになれば、恐らく二つとも持っていかれただろう。まあ、俺は持っていかれたところで気付かないし痛みもないのだろうが。
男としての安堵感を感じながら、俺は枝の上へと上がった。
そしてそれから四十五分後、俺はこのクエストを完了して師匠の元へと向かうのだった。
クエストを終えての感想。
「地面の安定感ってすごいね。俺、地面が大好きになった」
♢
無事体術スキルを獲得した俺は、落ちるなんてことは絶対にない地面の安心感を感じながら師匠の元に向かった。いつもの木に寄りかかって、師匠はアイテムの整理をしていた。
「お、戻ってきたか。どうだ、クエストは?」
「なんとかクリアしました。スキルも貰えたし、経験値でレベルが九になりました」
「それは何よりだ……さて。無事五感、反射、判断、動きの強化はできたようだ。それじゃあ、今日は終わりにして明日からは俺との剣の打ち合いを始めるとしよう。もちろん、君は目隠しをして」
「はい!」
今からやってもいいのだが、あのクエストはかなり集中力を要するので頭がかなり疲れるのだ。
しかし、ついに二つ目の特訓の本題に入ることになった。俺はその事実に少なからず気分が高揚していた。
「今日は夜に彼女とレベル上げをするんだろう? 少しでも休憩しておいた方がいい」
「分かりました」
師匠は「じゃあね」というと、街のある森の方へと歩いて行った。
実際、今日は十九時からアクアとレベル上げの約束をしていた。今はまだ十五時だが、確かに脳への負荷の大きいクエストを終えたばかりだ。四時間あるのだから、しばらく休んだ方がいいだろう。ゲームも勉強も、程々が大事だ。
「……休憩がてら、勉強しておくか」
五月も半ば。既にテスト範囲が配られているらしく、俺も昨日羽暮経由でプリントを受け取っている。
そして、ブリクへ戻った俺はNlOからログアウトし、ホームで提出用の課題を進めるのだった。
一キロ半を十分で……計算すると、時速九十キロですって。やばいですね




