次の特訓
師匠に下ろされた俺だったが、その後しばらくの間は十メートル跳びを達成したと言う事実を受け止められず、呆然としていた。
「いやあ、恐れ入った。俺は十メートル跳びを達成するのに一週間かかったんだけどね。君、VRの申し子だったりして」
冗談で言っているのだろう。でも、ここまで言うのだから本当に達成したんだ、という実感が湧き始め、俺は師匠の言った冗談に返す。
「んなわけないでしょ。俺はごく普通なプレイヤーですよ」
「分からないよ。将来が楽しみだ。君なら、レックスにも勝てるかもしれないね」
「レックスってえと……確か、このゲームで一位の人」
「そ、そのレックス。二位のウィッシュとも面識はあるけど、レックスの方とは現実でも顔見知りだからね。彼、本当に強いよ。何にも囚われない自由なスタイル……って言うのかな。ホント、人間離れしてる」
「……戦いたいとは思わないですね」
「実力が伴わない今じゃあね。でも、強くなったらやりたくなるよ、戦いに魅入った者はそんなものさ」
「そんなもんですか」
勝てる相手となら戦うのもいいし、昨日のあの対人戦のように多少の無茶も面白い。でも、絶対勝てない戦いはやりたいとは思わない。だって、勝てないって分かってるから。
「さて。一つ目があっさり終わっちゃったから、次に入るよ。次は感覚を研ぎ澄ませる特訓だ」
「なんかめんどくさそう……」
「やることは単純明快さ。目隠しして俺の攻撃を受け止める。それだけ」
「……無理だと思います」
目隠しをするということは、視界を奪われるということだ。ゲームの中でも、目蓋を閉じれば視界は真っ暗になる。HPゲージなどは見えるが。
そんな状態で攻撃を受け止めるなど、運が伴った場合を除いてほぼ不可能だろう。いや、確かにアニメでそういうことが出来る人がいたりはするが、それはあくまでフィクションの話だ。ここも現実とは違うが、少なくとも仮想現実だ。別の意味では現実なのだ。
「じゃあ、試してみるかい?」
そう言って師匠はメニューを操作して、三つのアイテムを取り出した。一つは目隠し用の細長い布だ。そして、残り二つは全く同じ見た目の木刀。そのうち一本を俺に渡し、師匠は布で目隠しして木刀を右手で構えた。
「掛かってこい」
師匠の目は完全に封じられている。あの状態でどうやって防ぐというのか……
しかし、掛かってこいと言われたのだ、ここで師匠をあのまま放置する放置プレイなんてことはしない。同じように木刀を右手で構えた俺は、地面を蹴り師匠へと木刀を振り下ろす。
カーンと甲高い音が響く。上段から振り下ろした俺の木刀を、師匠は無駄のない動きで受け止めていた。
その後も、俺はヒットアンドアウェイの要領で位置を変えながら師匠に攻撃を仕掛ける。しかし師匠は、時に受け止め時に躱し、更には背後の攻撃を振り返りもせずに受け止めるなどというちょっとカッコつけた防御までして、俺の攻撃を一撃も受けることなく躱し続けた。
凡そ二十回は木刀を振っただろう。痺れを切らした俺は、武技「ストライク」を発動させた。ストライクの移動速度は十メートルを一秒で駆け抜ける速度だ。取ったと思ったのも束の間、師匠の木刀により、俺の攻撃の軌道は僅かにズレ、師匠背後へ駆け抜けただけの結果となった。
「嘘だろ……」
「現実さ。どうだい、出来そうかい?」
正直、無理ですと言いたかった。師匠が目隠し布を外した瞬間、一瞬チラリと鈍色の瞳が見えた。その瞳は俺が拒否しようとしてる弱さを見抜いているような気がして、そしてここでやめると言えば負けたような気がして、俺はこう言ってしまった。
「出来ます……やります!」
マスターするのにどれだけの時間がかかるか、予想も付かない。どういう方法で師匠が俺の攻撃を塞いだのかもわからない……でも、これを習得した時、俺はきっと、もっと強くなれると思った。
それは恐らく、現実では弱者だから、この夢の世界では強くありたいと思ったからでもあるだろう。師匠に流されているような気もするが、そんなことはどうでもよくなった。強くなりたい……その気持ちが、俺の中を満たしていた。
「そうかそうか、君ならそう言うと思ったよ。それじゃあ、ビシバシ行くよ!」
あ、これちょっとスパルタきついやつかも、と気付いた俺だったが、もう逃げられないことは分かっているし、逃げるつもりもない。
「やってやらあ!」
そう言いながら、俺は師匠から目隠し布を受け取った。
♢
「いきなり打ち合っても、時間が掛かるだけだろう。別の方法で慣れてからとしよう」
「別の方法?」
「そう。ほら、その丘の先に木が一本立っているだろう? あの木は一日五個までHPとMPを回復させる木の実が手に入るんだ。その木に、この木材を吊るしてそれを木刀で打つ。勿論、振り子のように返ってくるから、またそれを打ち返す。単純だが、これからやることに近い方法だ」
「なるほど。それを目隠ししてやれ、と?」
「そういうこと」
師匠が俺の質問に答えながら木の方へ向かうので、俺もその後を小走りで追う。
師匠の隣を歩いていて一つ、気付いたことがある。師匠からは、全く足音がしなかったのだ。まるで、空中を浮いているかのように。
丘にたどり着くと、師匠は歩く間上に投げて弄んでいた木材にストレージから取り出した縄を結びつけ、手頃な枝を選んで空を飛べる俺に結ばせた。
「やり方はさっき説明した通りだ。早速だが、やってみたまえ」
木刀を地面に刺し布で目隠しをする。視界が完全に塞がったのを自分で確認して、木刀を抜いて正面に構える。
足元が覚束なかった。暗闇で立っていると、まるで平衡感覚が無くなったかのように感じる。地面を踏みしめ、自分がしっかりと立っていると言い聞かせると、なんとか安定した。
「それじゃあ、行くよ。まずは、自分の感覚でやってみてくれ。そい!」
「ふごっ!」
師匠の掛け声がした一秒後、額に鈍い衝撃が走った。そして俺は思った……これ、無理にも程がある、と。まあ多分、師匠なら楽々こなすんだろうなあ……とも思った。
「しっかりと感覚を研ぎ澄ますんだ。僅かな音も聞き逃さず、僅かな風の乱れも感じ逃すな。それ!」
「ふがっ!」
さっきと同様、鈍い衝撃が額を襲う。
──僅かな音とか僅かな風の乱れとか、野生動物じゃないんだから!
心の中で文句を付けながらも、俺はまた木刀を構える。とにかく、師匠の言う僅かな音を聞き取ろうと耳を澄ませる。
「それ!」
師匠の声が響いた。一秒後、俺はほぼ無意識に右へと体をずらしていた。左耳のそばを、ブォンという音が二回、一回目は正面から背後、二回目は背後から正面に向けて聴こえた。
「躱しちゃああんまり意味ないけど、ちょっとは感覚掴めたかな? まあ、最初はそれでもいい。感覚を研ぎ澄ませて、受け止めれると感じたら木刀で受け止めるといい。それ!」
その後、正午になって外の希から昼食のお呼び出しされて額を打つまで、俺は木材を躱し続けた。そして、師匠の言わんとするところを少しずつ理解していた。
視力が完全にない人は聴力とかほかの五感が鋭くなるって聞くけど、どうなのかな?




