十メートル跳び
「いやいや、冗談はやめてくださいよ。いくらゲームって言っても、十メートル跳ぶなんて無理でしょ」
「さっき俺が見せたばかりだが?」
「……いや、まあ、そうですけど」
確かに師匠は十メートル近く跳んでいただろう。それは、俺もこの目でしかと見た。いや、実際は脳の視覚野に直接送られる信号なのだが、まあ目で見たと言っても過言ではないだろう。
しかし、人間が踏み台も無しに十メートルを跳ぶなど、無理としか思えない。跳び箱の記録は二十四段、高さにして三メートル程度と聞くが、それでも踏み台有りで三メートルだ。十メートル跳ぶなど、現実をはみ出している。
「君、STRとAGIには、ステータスを振っているかい?」
「……まあ、一応。剣士ですし」
レベル四になり割り振ることのできるステータスも増え、装備の効果も付け加えると、現在STRが55、AGIが35だ。それがなんだというのだろうか。
「このゲームでは、STRが筋力代わりになるんだ。つまり、それが高いと骨のような細いアバターでも、ボディビルダー並みの筋力を持つこともある。逆も然り。そして、AGIは反応速度に関わってくる。つまり、筋肉の収縮速度が上がるんだ、AGIの数値の上昇で」
「てことは……これらが高いと、高く跳べる?」
「ご名答。跳躍は言わば、筋肉のバネと腕の振りである程度決まるところがあるからね。筋力が高ければ、それだけバネの力が強くなる。スピードがあれば腕の振りによる勢いが増す」
「俺はこの二つを少し上げてるから……」
「十メートルは分からないけど、軽く五メートルは超えるだろうね。やりようによっては。それに、天使アバターは豪勢な見た目の割に、全アバターの中で一番軽量だからね。可能性としては高いと思うよ」
それは初耳だった。やはり、ある程度物理法則の成り立つこのゲームにおいて、翼で起きる力だけで飛ぶというのは、その辺りを弄らないと難しかったのだろうか。
「試しにやってみてくれないか? 君が無知の状態でどれだけできるか、興味がある」
「えぇ……いやまあ、やりますけど。どうせそんなに跳びませんよ?」
「ちなみに、翼を使ったら罰ゲームね。着地においても」
「んなバカな」
「翼使っちゃったら意味ないからね。ほら、跳んだ跳んだ」
この人で本当に大丈夫なのだろうか、と疑問を募らせながらも、俺はその場で肩幅に足を開き、腰を落とす。腕を脱力させ、足元に意識を集中させる。
──腕を振る勢いと、地面を蹴る力……二つの力の向きを真上にして……跳ぶ!
俺は腕を張り上げ地面を蹴り、真上へと飛び上がった。頭の中では、中学時代にテレビで見た高く跳ぶ方法と戦闘ものアニメの異様に高く跳ぶキャラクターを思い浮かべる。
「うっ、わわっ!」
体が途中で傾いたのか、俺は放物線の頂点から尻餅をついた。
「ってぇ……」
実際はほとんど痛くないのだが、つい言ってしまった。
「うーん、二メートル半かな。初めてにしては、かなり跳んでた方だと思うよ」
それでも、十メートルにはまだ七メートル半も残っている。やはり、レベルを上げるのが一番良いのだろうか……
「それじゃあ、一つコツを教えよう。この仮想世界において、大事なことがある……それは、イメージだよ。君も聞いたことがあるだろう? 人間がイメージ一つで運動能力が変わるってこと」
「まあ、一度や二度くらいは」
「でも、人体には限界が多いからね。得手不得手もある……でも、ここは仮想世界。それに、さっきも言った通り君が操っているのはアバターだ。多少の無理はなんともない。つまり、ここではイメージの具現化が容易だってことだ。よりイメージに近付くことができるということだ」
「でも、そんな上手く行きますかね?」
「それは分からない。イメージも得手不得手はあるしね……でも、俺が君を見ていると思うんだ。君が、普通の人間の動きにそこまで囚われていないことに。さっきのジャンプだってそうだ。多分、普通の人なら一メートルやそこらしか跳べなかっただろうに、君は二メートル半跳んだ。君は、自分の力だけで運動神経抜群の人が踏み台使って越える高さを越えたんだよ」
ログインする前、希にも似たようなことを言われた。俺が、人間の動きに囚われないから人並外れた動きで戦いを有利に進めることができる、と。希は推測だと言っていたが、師匠がこう言うのだ。もしかしたら、あながち間違いではないのかもしれない。
「それともう一つ。それは、『できる』と思うこと。人間は無意識のうちに自分に限界を作っているんだ。俺は体が固いから、ここまでしか前屈ができない……みたいな。でもね、できると思うことで自分を騙せば、案外その限界を超えることができるかもしれない。サージェル、君は空を飛ぶ時、何を考えている?」
「……そりゃあ、翼を動かすことと、鳥のように飛ぶこと……というより、鳥になること、ですかね。そう考えるのと考えないんじゃ、やっぱり飛行精度も変わってきますし」
試したわけではないが、推測だが今言った通り、鳥のように飛ぶというイメージがあるとないでは、やはり変わってくると思う。
「君も、俺が今言ったことは経験済みってことだね。背中の翼を動かして空を飛ぶなんて、現実じゃあ不可能だ……でも、君はこの世界で実現させている。例えシステムのアシストがあるとしても、それは君の実力に他ならないよ」
俺の実力……
「じゃあ、今のアドバイスを元にもう一度跳んでみてくれ。目標は十メートルと言いたいところだけど、まずは五メートルを目指してみよう」
師匠に言われ、俺は一度頷いてからその場にさっきのように腰を落とした。そして、五メートル上空にボールがあると仮定する。目標は、ボールを掴むことだ。
次に、五メートル跳び上がりボールを掴むイメージを思い浮かべる。それ以外の思考を排除して、ただ一つの目標に集中する。
翼を限界まで折り畳み風の抵抗を小さくする。集中が極限に達したのを感じた瞬間、俺は今一度腰を深く落とし、腕を振り上げると同時に地面を強く蹴った。
猛烈な空気の抵抗に目を半分閉じる。しかし、上下半分になった視界の中目標のボールだけを見据える。
──あれ、五メートルってどこだっけ?
そう思った瞬間、徐々に落ちていた上昇速度がゼロになり、俺は地面に向けて落下していった。
「うわああぁぁ────ッッ!」
死を覚悟した瞬間……俺は、何かに受け止められて、地面への激突を免れた。目を開けると、すぐそばに影の中で輝く鈍色の瞳があった。その瞳は驚きと優しさに満ちていた。
どんな状況か、説明しよう。俺は今、師匠にお姫様抱っこをされていた。つまり、師匠に受け止めてもらったのだ。おかげでHPは最初尻餅ついて受けた数パーセントのダメージしか減っていない。
「君、本当にすごいね。おめでとう、十一メートルだ」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
十メートル跳ぶとか、想像できねえな……建物三階ですって奥様




