希の推測
『おい兄貴、起きろー』
声が聞こえる。俺は昨日、ゲームから落ちてそのまま寝た……ということは、この声は羽暮だろうか? でも、羽暮よりちょっと低め……それに、羽暮は俺のことを呼び捨てにする。だとすると、希だろうか?
しかし何故、希が俺を起こしているのだろうか。いつもは羽暮が俺を起こしにきて、そのまま朝食を食べさせるのだが……
目を開けてみると、俺はベッドの上に寝転んでいた。しかし、いつもと感覚が違う……それに、目の前に映像が映し出されたパネルがあり、そこに髪ボサボサの希が写っていた。
『いい加減起きろよ。あたしも暇じゃないんだからさ』
いや、俺はもう既に目も開けているし、上半身も起こして……あれ、なんで上半身が動かせてるんだ?
『とっととログアウトして飯食え』
……なるほど、ここはゲームの中……もっと言えば、ホームにいるのか。確かに、見覚えのある装飾のない部屋の中にいる。昨日NlOにログインする際に一度入ったホームだ。
しかし、何故俺はログインしているのだろうか。昨日、確かに俺はログアウトして、現実で目を覚したはず。だとすると、再ログインしたということだろうか。
「なあ希。俺、昨日ログアウトしたはずなのにログインしてんの、なんで?」
『はあ? 昨日聞いてなかったの? VRMは装着してから三秒目を閉じるとログインする。兄貴は着けたまま寝たから、もちろん三秒以上経ってる以上、QED』
「ああ、なるほど」
つまりは、装備した状態で寝てしまったため、「三秒以上目を閉じる」というログイン条件を満たしてしまった、ということだろう。ちなみに、QEDとはラテン語で「かく示された」の意味を表す言葉の単語の頭文字を取ったもので、主に「証明終了」の意味として数学などの証明問題で使われる。
「でも、俺ログアウトしてもこれ脱げないんだけど」
頭を突きながら言う。向こうに見えているのかは知らないが。
俺は現実だと体が動かないのだから、当然だ。もちろん、こちらで動かせたところで現実でVRMを外すなんてこともできない。
『はいこれ』
「ん?」
希が映像越しに、紙切れを見せてきた。そこには、英数字が十文字ほど書かれていて、一瞬何を示しているのか分からなかった。すぐに希が教えてくれたが。
『あたしのホームID。フレンド欄で登録したらあたしにメッセ飛ばせるから、落ちる時に飛ばして、外しに来てあげるから』
「おお、それは助かる。羽暮、これの外し方分からなかったのか?」
『外し方は簡単だから分かったと思う。けど、いきなり外して脳に悪影響がないか気にしたみたい』
確かに、VRMは直接脳と接続している。それをいきなり頭から取り外すのは、危険に思えるのは無理はない。一応何も問題はないらしいのだが、しばらくの間違和感が残るらしいので公式からもオススメされていないが。
違和感というのも、現実と仮想世界では重力感や体の感覚が違うらしく、いきなり感覚が変わると脳が異常を起こすそうだ。簡単に言えば、身長140センチの人がいきなり170センチになると、高さに異常を感じて慣れるまでうまく動けない、と言ったところか。
「なるほど。さすが俺を異常に過保護にする羽暮さんだ。ありがたいことこの上ない」
『気持ち悪いくらいだけど。さっさとフレンドに登録して、腕疲れるから。あと、朝食冷める』
「了解」
希に言われて、俺はすぐにメインウインドウを出す。NlOとは違い、縦にアイコンが並んでいる。右側にはプロフィールが表示されていた。
上から四つ目のアイコンがフレンドアイコンらしく、俺はそれを押す。すると、フレンド一覧とフレンド登録の二つのアイコンが表示された。他のアイコンは即座に消滅している。
そのうちのフレンド登録を押す。文字入力のできるウインドウが現れ、その入力欄を押すとパソコンのキーボードと同じパネルが現れる。ちなみに、入力欄の上には俺のIDも表示されている。
間違えないように映像の中の希が持っている紙を何度も見比べながら打ち込む。二度確認を終えたところで検索ボタンを押すと、「NOZOMI」と明記されたプレイヤーが表示された。俺は「フレンド申請しますか?」というウインドウの丸ボタンを押す。
すぐに「申請しました」と書かれたウインドウが現れて、俺はそれを消してメインメニューまで戻る。そして、一番下のログアウトアイコンを押して、ログアウトした。
一瞬感覚が途切れるが、すぐに戻ってくる。俺の場合は首から上だけ。目を開けると、ヘッドギアの半透明な部分越しに希が覗いているのが見えた。
「やっと戻ってきた。登録はした?」
「うん、申請しておいた」
「分かった。後でやっておく。とりあえず水飲んで」
水の入ったコップにストローが刺さっている。俺は希が口元まで持ってきたそれを咥え、水をストローを通して飲む。氷が入っていたのか、ひんやりと冷たい水が俺の口の中を満たして、胃の中へと流れていった。
一息吐くと、希がベッドの隣の椅子に腰を下ろした。
最近は気温も高く、俺の部屋もかなり暑いので希はかなりゆるゆるのTシャツを着ている。中学生の割に成長の早い胸部が服を押し上げ、若干谷間が見えているので視線に困ってしまうが、俺は兄だ……妹に劣情を抱かないよう、なんとか自我を制する。もちろん、劣情を抱いたところで何もできないが。
「ん」
レンチンされたバターロールを咥えた希が、同じものを俺の口元へ押し寄せる。俺が口を開くと、二センチ程奥に押し込まれ俺が口を閉じると同時に希がバターロールを引いた。
希は自分の食事を進めながら、チラチラとこちらの様子を伺う。俺が飲み込むと、さっきと同じことを繰り返す。俺の一口に希は三口食べているので、既に希のバターロールの一個目はほとんどなくなっていた。
俺が二口目を飲み込むと同時、希は一個目を食べ終わった。コップに入った牛乳を飲んで、口の中をリセットしている。
すると、不意に希が質問を俺に向けてきた。
「……どうだった?」
これは、バターロールがどうか、などと聞いているわけではないことは、俺にも分かる。希が俺に関心を寄せるとすれば、ゲームのことのみだろう。つまり、昨日のVR体験はどうだったか、という意味だ。
「そうだなあ。一言で言えば、すげえ楽しかった。現実じゃこんな俺でも動けるし、その上空まで飛べるんだもんな」
「妖精にしたの?」
「いんや、天使」
「え゛っ」
希が母音に濁点がついた声を出す。やはり、天使アバターは人気がないようだ。発売当初からプレイしている希までこの反応をするのだから……
「……飛べるって。もしかして、もう天使の飛行モーション、マスターしたの?」
「マスターかは分からないけど、少なくともチュートリアルバトルを全勝できるくらいには。まあ、色々偶然が重なった結果だろうけどね」
「え゛っ……」
濁点テイクツーだ。普段表情を見せない希だが、今の感情はなんとなく分かる。多分、こいつ、ありえねぇ、だろう。
「……チュトバをクリアした奴、あたしの知ってる中じゃ一人しかいないのに。あたしですらドラゴンにブッパされたのに……」
「つまり俺が二人目かあ。これはまさか、NlOで伝説残しちゃうかもなむぐっ」
俺が呑気に言っていると、希が二口分の歯形のついたバターロールを俺の口に捻じ込んだ。噛み切っても離してくれないので、仕方なくそのまま食べ進める。バターロールがなくなったことで、やっとのことで希が手を離した。
「……あの人ならクリアできるだろうから、もしかしたら三人目かもしれないけどね」
「あの人?」
希がポツリと呟きながら二つ目のバターロールを齧る。俺の質問に一口目を飲み込んでから答えた。
「あたしが前やってたゲームでトップランカーだった人。今のNlO一位より断然強いから、クリアできないなんてことはないと思うけど……。最近、話も聞かなくなったの。死亡説が上がるくらいに」
「ふーん」
希は俺の食事のことを忘れているのか、自分のバターロールだけを食べ進めた。しばらく待っても気付いてくれなさそうなので、俺は諦めて首から上をベッドへと預けた。
希はその人に思い入れでもあるのか、少し暗い顔をしている。俺はその人を知らないのでなんと声を掛けていいか分からない。ここは黙っておいた。
「……あ、ごめん」
やっとのことで俺の食事……いや、ワンチャン俺の存在を思い出したのか、二個目のバターロールを俺の口元へと運んだ。
「……ああ、そっか」
「どした?」
俺が二個目一口目を飲み込むと同時に希が何かを呟いたので、気になって反射的に聞いていた。
「いや、兄貴がなんでチュトバクリアできたのか考えてみたんだけど。ほら、兄貴ってずっとからだ動かせてないでしょ?」
「うん」
「それに対して、アニメ……特に異世界とかゲームとか、戦闘ものをよく見てる」
「確かに」
「つまり、普通の人間の動きに囚われてなくて、逆に超人的な動きの印象が根付いてる……だから、人並外れた動きができるし、立ち回りとかもそれなりに上手いこといった。あとは、まあ……運かな。兄貴、羽暮ほどじゃないけど運いいし」
そう、俺は微妙に運がいい。いやまあ、今はそれは置いておこう。こんな状態で運がいいなんて言われても疑問しか浮かばないだろうし。
「じゃあ、才能ってこと?」
「そうなるのかな。推測だから、本当のことは分からないけど」
ふむ。VR経歴は発売当初からの希が言うのだ、例え推測だとしても遠からず、といった辺りは射抜いていそうだ。
「……でも、この脊髄損傷による才能って、ちょっと嬉しくないな」
まあ、そんなものだろう。どんな形であれ、人生の不幸によって手に入れたものは、どこか嫌に感じるものだ。
希の表情が暗くなっていることに、俺はこの時気付いていなかった。
久々の投稿となります。何故中々投稿しないのかって? すみません、書く気力が起きないんです




