影斗のクラス
二〇三三年、五月。高校二年生になって既に一ヶ月が経過していた。
私──水面瑞波は、香川県の東讃第一高校、通称一高の二年生だ。高松市に住む、ちょっと色々器用な普通の女子高生。最近はゲームにハマっている。
香川県でゲーム、というと十三年前のことを思い出す人も多いが、ゲーム規制条例は色々あって廃止となった。私としては万々歳だ。
約二ヶ月前に発売された「ネームレスワールド・オンライン」。私はこれを発売日に購入し、その日からほぼ毎日遊んでいる。アバターネームはアクア……水面瑞波という水に関わる名前からこの名前にした。
「はぁ……」
そして、今日も学校に来ている。昨日はゲームの中で珍しい天使アバターを使うプレイヤーと知り合い、しばらくレベル上げに付き合っていた。彼と別れた後にソロでダンジョンに潜っていたのだが、今日提出の宿題をやっていないことを思い出し、しかもそれがかなりの量だったために昨日はあまり眠ることができなかったのだ。お陰で、今も目蓋が降りてこないようにめちゃくちゃ意識を集中させている。
「おやおや瑞波殿、寝不足ですかな?」
「……ああ、菜名。昨日宿題に時間かかっちゃって」
話しかけてきたのは幼馴染みの七海菜名。身長は百六十ある私より十センチ低い百五十の、男子と見紛うほどにない胸が特徴の、一応女子だ。せめてここくらい女子らしく、と伸ばしている髪をポニーテールにしている。
「あー。確かに、昨日のは多過ぎるよねぇ……宿題は教師が生徒を信頼してない証だ! って昔知り合いが言ってたけど、あれは信頼されてなさすぎでしょ」
「全くだよ」
私の正面にしゃがみ机に突っ伏す菜名と同時に、溜息を吐く。
勉強は嫌いではないために、学校内では優等生でそれなりに名の売れている私だが、宿題だけはどうも好きになれない。自学をした方が理解が早い自信がある分、むしろ邪魔だと思っている。
目の前の菜名は勉強自体がそこまで好きじゃないらしく、友達と話す以外の目的を持たずに学校に来ている。私と同じになりたいがためにわざわざこの偏差値だけは高い高校に入学したのだから、その執念はなかなかのもの……まあ、彼女はそれなりに頭がいいので、難しくはなかったのだろうが。
「……そういや、今日も彼は来てないっぽいね。羽暮ち見かけたけど、机に荷物ないし」
「……そうだね」
菜名の言う彼と言うのは、私のクラスにただ一人いる不登校生徒のことだ。ただ、彼は事情が事情なので安易に彼が悪いと片付けることもできなかろう。
彼を気にしているのは、別に彼のことが好きだからとかではない。一応、私はこのクラスの学級委員長──この学校ではホームルーム委員と言われている──を務めている。本来、これは仕事ではないが、中学の頃からずっと学級委員長をやっていて、不登校生徒に関わることもあったため、気になってしまうのだ。
その生徒の名前は猪咲影斗。一年の頃も同じクラスだったので、一応会話をしたこともある。彼は幼い頃に事故で全身麻痺になって、ずっと不自由な生活をしているそうだ。
入試などは特別な方法でしたらしく、それでも合格しているのだから、学力は高いのだろう。
この高校には彼の姉と親友がいるため、たまに彼のことを聞いている。姉の羽暮ちゃんに至っては、今では仲良くなっていた。
「来ない理由、まだ分からないの?」
「うん。羽暮ちゃんと出雲君に聞いたけど、二人とも……『影斗の奴、いつ聞いても行きやすくなったらね、しか答えないの』、『知りたいなら本人に会いに行けばいんじゃねーの?』……って返されてさ」
それぞれの真似をしながら言うと、菜名が机に突っ伏して笑いを堪えていた。
「……なんで笑ってるの?」
「だ、だってっ……わざわざ真似する必要ないしっ、しかも似ても似付かないんだもんっ。やばいって、ツボった……!」
菜名は「やばい、死ぬ」と荒い呼吸を続けている。ここまで笑われると流石に恥ずかしくなってくる。
「あー、死ぬかと思った」
「……むぅ」
「そういや、昨日もやってたの、ゲーム?」
「うん。昨日天使アバターのニュービーのレベル上げ手伝ってた。その人が思ったより強いんだよ」
「男? 逆ナンしたの?」
菜名がからかうように聞いてくる。
「逆ナンなんかじゃないよ。確かに男の人だったけど……てか、最初私、その人のこと女性だと思ったもん……あれ、これって向こうからしたら逆ナンに思えるのかな?」
「うわー、大胆なこと。将来付き合っちゃったりして」
「そんなことないわ。私は本当に好きになった人としか付き合わないもん」
「だからまだ処女なのか」
「お前もだろ」
「あだ」
自分のことを棚に上げてからかおうとしてくる菜名に、制裁としてチョップを脳天に喰らわせておく。
「でも、女子と見紛う男子と言えば、件の猪咲弟も結構女子顔だよね。意外と同一人物だったりして」
「それはないよー」
あれ、そう言えばあのプレイヤー、本名に影が付いてるって……偶然か。でも、現実容姿だって言ってたし……
などと考えてみるが、流石に考えすぎと思い頭の奥に仕舞い込んだ。
「げ、もうショートの時間じゃん。あーあ、学校から勉強がなくなったらいいのに……」
「それもう学校の本分なくなってるよ?」
後でまた来る、と言い残して菜名は自分の席へと戻っていった。菜名のお陰で多少なりとも目が覚めたので、私は鞄の中からブックカバーで表紙の隠れた本を取り出す。これはライトノベルというジャンルの本で、最近でも人気の作品が多数出てくるジャンルだ。昔は大フィーバーとでも言うくらいにどんどん新しいのが作られていたそうだが、今となってはネタ切れも深刻化してきて、新作はたまにしか出ない。
──なんとか彼を学校に来れるようにできないかな。本人に会うにしても、家遠いしなあ……
猪咲家はさぬき市の長尾という地区にあるらしく、この高校を出て電車で行くには、琴平電鉄、通称ことでんの琴平線に乗って瓦町駅まで行き、そこで長尾線に乗り換えて終点の長尾駅まで乗る必要がある。私の家はこの学校から二駅程度しか離れていないが、彼はいつも登下校に一時間かけているそうだ。
「いっそ家から行った方が近いかもなあ……」
机に突っ伏し、腕で口を隠しながら呟く。確かに、行く口実なら作れないことはないのだ。猪咲君の姉である羽暮ちゃんと遊ぶ約束をしてしまえば、行っても不思議はない。
気付いた時には、重い目蓋が閉じていて私は眠っていたそうだ。
前回謎の人物登場! のところで終わらせていたとこは、次に書きます




