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一章 破壊の精霊・ケルディアス

 ドーンッと、隕石でも落ちたかのような地響きが辺りを揺るがした。

弾け飛んだ大地の欠片が地を割り、辺りの地形は大きく変わっていた。

「ハッハハハハハハ!今日はキレが悪いじゃぁねぇか、有限の星さんよぉ!」

空中に、二メートルはあるかと思われる長身でガッシリした体格の、若い男が浮かんでいた。袖口の開いた黒いロングコートをはためかせ、ギラついた赤い血のような色をした瞳で、できあがったばかりのクレーターの底を見下ろしていた。砂埃が去ると、そこには片膝をついた中年の男がいた。空中にいる男に引けをとらない、筋肉の大男だ。

「ぬう……」

有限の星と呼ばれた赤い髪と口ひげの男は、空にいる男を睨み付けた。

「おまえとももう飽きたぜぇ?消えろよぉ、有限の星!」

黒い男は、スウッと仰け反るほど大きく息を吸い込んだ。その頭が黒い犬へと変化する。そして吐き出したその息は、巨大な火球となって有限の星を襲った。

ドオンと破壊音を響かせて、火球はクレーターを押し広げた。濛々と立ち上る砂煙と焦がした煙。手応えはあったが、何か違和感があった。

「!」

その黒い煙を切り裂いて、金色の風の刃が空中の男を襲った。黒い男はそれを慌てて避ける。そして、サアッと消えていく煙の底を睨み付けた。

男は見た。こちらを真っ直ぐに睨み付ける、燃えるような金色の瞳。雄々しくその背に生えた金色のオオタカの翼。有限の星を庇い立つ、小柄な十五代目風の王の姿を。

「っ!」

リティルは真っ直ぐに、破壊の精霊に向かって飛んだ。

「よせ、貴様の敵う相手ではない!」

リティルは有限の星が止めるのも聞かず、空中の男に斬りかかっていた。

破壊の精霊は両腕を毛むくじゃらの獣の腕に変えて、リティルの素早い剣を受け続けた。なんなんだ?とても小さくて貧弱な体のこの男が、あの火球を消し去ったのか?と破壊の精霊は信じられなかった。

「おめぇ、誰だぁ?」

破壊の精霊は、リティルの両の剣を両手で、受けてギリギリと切り結んだ。こんな小柄な男の、どこにそんな力があるというのだろうか。押し返そうにも押し返せない。

「第十五代風の王・リティル。十四代目風の王・インの息子だよ」

フッと微笑んだリティルの瞳が、刹那凶悪につり上がる。そして、破壊の精霊は腹に蹴りを受けて、突き放されていた。空中で体制を立て直し、破壊の精霊は変化を解いた右腕を振り上げながらリティルに迫った。

彼の腕が振り下ろされるより早く、リティルはスッと懐に入り込み、その眼前に手の平を突きつけた。破壊の精霊は一瞬怯んでしまった。その手の平から金色の風が放たれ、破壊の精霊の体を包み込む。

「有限の星!もう、逃がすなよな!」

風の檻に猛獣を捕られたリティルは、いつもの勝ち気な笑みを浮かべてそれだけ言うと、さっさと踵を返して飛び去ってしまった。

「風の王……無茶しおって」

半ば唖然と、有限の星はリティルの飛び去った方を見つめていた。

 風の城に取って帰したリティルは、応接間へ続く花の姫と大鷹の彫られた石の扉に、寄り掛かるようにして何とか開くと、そこで力尽きてドッと倒れた。

「父さん!」「親父!」「お父さん!」

三人の声が同時にかけられ、三つの気配がリティルを、気遣うように、心配するように囲んだ。

「父さん、こんな傷でよく帰ってこられましたね。だから、オレも行くと言ったんですよ?」

温かい切れ長の瞳の美しい青年が、咎めるように言うと、リティルを支えて立ち上がった。腰まである長い髪を緩く束ね、肩甲骨のあたりから三つ編みに結っていた。背はかなり高く、中性的ながら男性寄りの強さのある美しい青年だ。

彼は風の王の第一王子で、雷帝・インファだ。先代の風の王・インによく似た容姿をしているが、彼のように冷たい瞳ではない。一瞬間違う者はいるだろうが、彼の纏う父親譲りの暖かな雰囲気に別人であることはすぐにわかるだろう。それに、インよりもいくらか容姿が若いのだ。そして、彼の金色の翼はイヌワシだった。

「はは、もの凄い力の強い奴だったぜ。負けねーように風で押し返してたんだけどな、そんなんじゃ体が保たねーよな」

「全身骨折れてない?よくそんなんで、歩けるよ」

インファとは反対側で体を支えてくれたのは、養子である第二王子のレイシだ。

茶色の髪を短く切り、紫色の勝ち気な大きめの瞳の少年だ。風の精霊ではないため、翼はなかった。

「お父さん、珍しいね。最近じゃ、あんまり怪我して帰ってこないのに」

隠さなければいけないところしか隠していないような軽装な少女は、軽やかに兄たちの回りを跳びはねていた。母親譲りの長い黒髪を三つ編みにして背中に垂らした少女は、末っ子のインリーだ。瞳が右は金色、左は紅茶色と母親の影響をかなり受けていた。背に生えた翼は金色で白鳥だった。

「リティル、怒ってもいいかしら?」

コの字型に置かれた、応接セットのソファーの前で待っていたシェラが、怒った顔をしていた。それを見て、リティルは苦笑するしかない。

「ごめん。でも好きだろ?」

「もお、仕方のない人」

シェラは困ったように微笑むとすぐに近づき、両手をリティルの胸にかざした。ふわりと白い光が現れて、リティルのあらゆる傷をほぼ瞬時に癒してしまった。

神樹の花の精霊であるシェラの固有魔法・無限の癒やしだ。

「ケルディアスはどうでしたか?」

リティルは息子達から解放されると、体の具合を確かめるように腕を動かしていた。

 シェラとインリーは皆に紅茶を配り、皆思い思いに腰を下ろす。

「聞いてた通りの暴れ者だな。精霊王の所のおっさんが疲れてたぜ」

有限の星は精霊王の守護精霊で、力の精霊だ。セクルースの守護を担当しているが、最近破壊の精霊の侵入が頻繁で疲弊しているようだった。

 ケルディアスと有限の星との戦闘で、毎回地形を変えられ、毎回その修復に駆り出されていた大地の王・ユグラは、ついにリティルに泣きついた。

ユグラは、風の王とはその力の強さが、雲泥の差である破壊の精霊と、リティルが戦うことにならないようにと、遠慮していた。だが、有限の星の疲労を感じて、このままでは大変なことになるのでは?と危機感を持ったようだった。そして、悩んだあげく、戦う力を持たない彼女は、世界を守る刃である風の王に、泣きつく以外になかった。

大地の王・ユグラは、風の王・リティルとは存在から仲間の精霊だ。共にセクルースで、四大元素という基本的な力の管理を行っている。四大元素とは、風、大地、水、炎の四つの力のことだった。

ユグラは、リティルが無理をしていることを知っている。故に、破壊の精霊のことまでリティルに背負わせられないと、今まで我慢していたのだった。有限の星がことの処理にあたっていたこともあった。

リティルたち風も、ケルディアスのことは当然知っていた。しかし、捨て置けと、珍しく有限の星に釘を刺されていた為、噂を世界中から集めてくる風から、報告は上がっていたが、静観していたのだった。

「お父さん、熨してきたの?」

チョコレートを頬張りながら、世間に疎いインリーが聞いてきた。

「猛獣は檻に閉じこめてきたぜ?そんなに保たねーだろうけど、おっさんがなんとかするだろ?そのあとのことは、知らねーよ」

さすがにリティル如きでは、破壊の精霊を力でねじ伏せることはできない。風の檻も、たまたま上手くいったにすぎないのだ。リティルは魔法を苦手としているのだから。

 皆が一斉に反応した。どうやら来訪者のようだ。

皆の視線が玄関へ続く扉に注がれたところで、扉が開かれて、有限の星が入ってきた。

「邪魔をする」

有限の星は軽く踏み切る素振りをすると、一瞬視界から消え、ソファーのすぐそばに現れた。

「なんだよ、おっさんかよ。説教なら間に合ってるぜ?」

誰が尋ねてきたのかすでにわかっていたが、リティルは顔を見て知ったかのように軽く振る舞った。子供達はさっと席を立つと、ソファーに座る両親の後ろに並んで立った。

「リティル、傷は?」

有限の星の問いに、リティルは一瞬、え?と耳を疑った。まさか、彼に心配されるとは思っていなかったのだ。

「おいおい、耄碌したのかよ?オレは超回復能力持ちだぜ?それに、城にさえ帰ってこられれば花の姫がいるんだ。とっくに治ってるさ」

花の姫は癒やしの塊だ。夫であるリティルは、彼女とゲートと呼ばれる門を通して精神的に繋がっている。リティルが呼びかければ、離れていても治癒を受けることができた。しかし、本当にどうしようもないとき以外は使わない。シェラにも負担がかかるからだ。

それに、超回復能力がある。超回復能力は瞬時に傷を癒やすことはできないが、血くらいならすぐに止められる。リティルには十分だった。

「そうか。相変わらずの無茶苦茶っぷりに呆れたぞ。あのケルディアスと切り結ぶなど」

「ちょっとな、闘ってみたかったんだよ」

リティルは、ソファーに背を深くもたせかけ腕を組むと、ため息交じりに言った。

「知ったか。長らく連んでおったからな、あの二人は」

「信じられねーんだよ、インが……あいつと?ホントなのかよ?」

剣を交えてわかった。破壊の精霊の心は破壊破壊破壊で、そればかりに支配されていた。乾ききってささくれ立って、血が流れているように荒んでいた。リティルの知っているインは、一見冷徹だが、きちんと計算された力の振るい方で、悪意のみを標的にしていた。口数少なく冷たい瞳のために、誤解されているだけだ。実際話を聞いてみると、そういうことが多々あった。しかし、破壊の精霊とのことは理由を見つけられなかった。

なぜあんな、凶悪犯罪者のような人相の危険な精霊と?剣を交えても、リティルにはわからなかった。

「父さん!」

インファの警戒した声で、リティルは風の城に招かれざる客が来ることを知った。

 何者かが風の結界を無理やりに、こじ開けようとしていた。しかも、外からではなく、夜の国・ルキルースからだ。信じられないくらい、乱暴で無鉄砲な侵入だ。

セクルースとルキルースは地続きではない。夜の国はセクルースの中にあるが、隣り合う別の次元に存在している。侵入者は、次元の壁を越え、なおかつ強固と定評のある風の結界を、同時にこじ開けようとしていた。

「みんな部屋を出ろ!狙いはオレだ!」

リティルは高い天井へ舞い上がった。この部屋は応接セット以外に殆ど何もなく、それなのに倍どころではないほどに広い。それは、風の王がこの部屋で来客の相手をするからだ。この部屋には、ドラゴンが三頭入っても寝そべることのできる広さがあった。迎え撃つには十分だった。

どこだ?どこからくる?

シャンデリアの飾りガラスがカタカタ鳴った。リティルは、シャンデリアを吊していた鎖を、魔犬の大きな手が掴むのを見た。一瞬下を気にしたリティルは、反応が遅れる。

 ガシャンッと耳をつんざく轟音を立てて、巨大なシャンデリアはリティルを巻き込んで叩き落とされていた。

「ケルディアス!貴様、精霊殺しの大罪まで犯すつもりか!」

飛び退いた有限の星が、机の上に落ちたシャンデリアを踏みつける侵入者に叫んだ。

有限の星の言葉に、シャンデリアの下敷きにされたリティルは、死ぬ気はないんだけどなと、ツッコミを入れていた。さて、どうしたものか。背骨を折られて、しばらく動けそうにないが、この乱暴な侵入者の目的がわからない以上下手に動けない。

インファは、他の家族を押し止めてくれている。息子は気がついているのだ。ケルディアスに、こちらの命を奪う気がないことを。

「このヤロウに、聞きてぇことがあんだよ!てめぇ、インを!インをどうやって殺しやがったぁ!」

動けないリティルは、瞳だけ動かして、怒りを滾らせて見下ろすケルディアスを睨んだ。彼の言った言葉は、リティルの頭に血を上らせるには十分だった。

インを殺した──ケルディアスはよりにもよって、リティルが先代を殺して王になったと思っているらしい。インは確かに、命を賭けてリティルを守ってくれた。もっとオレに力があれば、インを傷付ける事なく別れることができたかもしれないと、そう思っていたリティルの心を抉る言葉だった。

しかし、リティルは知っていた。皆言わないが、リティルがインを殺して王になったと思われていることを。知っていても、面と向かって言われると、一瞬で沸点を超えるほど怒りが込み上げるんだなと、僅かに残ったリティルの理性が言った。

こいつ、下から切り刻んでやろうか?と、物騒なことを考え実行しようとしたとき、思わぬ者が動く気配がして、リティルは一気に冷静になった。

「勝手なことを言わないで。これ以上、夫を傷付ける事は許しません」

子供達の制止を聞かずに、シェラはケルディアスの背後に近づいていた。儚い花の精霊が、臆しもせずこちらを睨み上げている状況に、ケルディアスは机から飛び降りると、シェラの顔を凶悪な顔で興味深そうに覗きこんだ。

「よせ!花の姫に手を出してはならん!」

有限の星の忠告など、聞く男ではない。ケルディアスは舐めるようにシェラを見つめた。そんなケルディアスの不快な視線にも、シェラは微塵の恐怖も、その美しい顔に滲ませずに気丈に立っていた。

その様子に、ケルディアスは僅かに怯んでいた。皆、破壊の精霊の姿を見ただけで震え上がって逃げていくというのに、女が、しかも儚い花の精霊が真っ直ぐに睨んでくるこの状況は、初めての経験だった。

「なんだぁ?女、オレ様が怖くねぇのかぁ?」

シェラは、ケルディアスのギラギラした血のような瞳を、そらすことなく見つめていた。その瞳がふと、背後に向けられる。ケルディアスは背後に立った殺気のみに反応して、リティルの首を捉えていた。細い首だ。こんな弱々しい男が風の王?ケルディアスは、少しだけリティルに興味が湧いた。

「驚いたなぁ、もう動けるんかぁ?」

つり上げられたリティルの体から、血がポタポタと滴っていた。首を掴むケルディアスに抵抗すらできないというのに、リティルの瞳は力強く輝いていた。ケルディアスはその瞳に怯んでしまった。この小さな風の王を恐れた事実に、思わず手に力が入ってしまう。

ボキッと骨が砕ける感触で、自分がしでかしたことなのに動揺したケルディアスは、リティルから手を放していた。物のように床に落ちたリティルは、ドッとシェラの足下に転がった。ジワリと、リティルから流れ出た血で、ワインレッドのカーペットが穢される。

 見開いたシェラの瞳が、スウッと冷えていく。

ケルディアスはなぜか動揺しているようだった。リティルや子供達なら、ケルディアスに戦意がないことはわかっただろう。しかし、夫を傷付けられ、静かな怒りに我を忘れたシェラは、目の前の大男の体に意思を持って触れていた。

「がっ!ぐあ……!なんだぁ?」

体を巡る血が逆流するような、沸騰するような妙な感覚に、ケルディアスは蹌踉めいた。シェラは手をかざしたまま、なおを間合いを詰めようと足を一歩踏み出す。その足を、誰かが掴んだ。ハッと我に返った直後、首の後ろに小さな衝撃を受けて、シェラは気を失った。そんな妻の体を後ろから抱き留めたのは、殺したはずのリティルだった。

なぜ生きている?と問う前に、ケルディアスは、生き生きとした、とても死にそうにない金色の瞳に容赦なく睨まれて怯んだ。

「おまえ!わかってるのかよ?死ぬところだったんだぜ?動揺してる場合かよ?ちゃんと逃げろよな!」

血まみれのリティルに頭ごなしに叱られて、ケルディアスは完全に混乱していた。

確かに、首をへし折ってしまった感触があったのに、彼はピンピンとして、自分よりも遥かに体の大きな、力の強い精霊に臆しもせず詰め寄ってきていた。しかもその怒りが、ケルディアスがシェラに殺されてかけたことだというのだから、もう、意味が解らなかった。

強さの問題ではない。まるで、幻術にかかったかのようだった。ケルディアスからすれば、か弱い力しか持っていないように感じるこの男は、何か能力を隠しているのだろうか。

「とにかく、そこに座れ!あーあ、こんなにしちまいやがって。痛ってーし」

リティルは風を操ると、シャンデリアを浮かせ元の場所に修復して戻した。

「いいか!オレが戻るまで大人しく待ってろよ?また暴れやがったら、その下半身の大事なモノ切り落とすぜ?」

 リティルは怒り狂いながら、気を失ったシェラをインファに預けると、部屋をさっさと出て行った。

リティルが行ってしまうと、城の修復や掃除を担当している、召使いの金色の雀たちが、大量に舞い降りてきて、応接間は一時金色に輝いた。

まるで、後始末は慣れっこと聞こえてきそうなほど、手際がよかった。

「有限の星、高くつきますよ?」

シェラをベッドに寝かせて戻ってきたインファが、有限の星を睨んだ。そんなインファを見て、ケルディアスが呼んではいけない名を呼んでしまった。

「イ、イン……?」

「ではありません。オレの名はインファ。十五代風の王・リティルの息子です。はあ、無事でよかったですね。母は可憐な外見とは裏腹に、この風の城で最強ですよ?父が止めていなかったら、あなたの息の根、止まっていましたよ?」

ケルディアスは狸に化かされた気分だった。父を手ひどく攻撃されたというのに、インファには微塵も怒りがなかった。他の家族からも、敵意を感じなかった。なんなんだ、この一家はと、ケルディアスは毒気を抜かれていた。

 しばらくすると、血を洗い流して着替えたリティルが戻ってきた。

「で?おまえ、オレに何の用だよ?」

破壊の精霊と風の王とでは、力の差は歴然だった。だというのに、破壊の精霊より弱いはずのリティルは不遜な態度で、一歩も退かない。対するケルディアスの方が小さくなっている始末だった。

「なんで」

「はあ?」

「なんでだぁ!なんで、生きていやがるんだぁ!おめぇ、殺したはずだぞぉ!」

ソファーに座らされていたケルディアスが、リティルに詰め寄るように立ち上がった。それを、有限の星が捕らえてソファーに押しつけるように座らせる。

「あれくらい、大したことねーよ。おまえが驚くほどなら、インがそれだけ丈夫に造ってくれたってことだよな。オレを殺してーなら、腐敗の毒でも盛るんだな」

リティルは腕と足を組んで、ソファーに深くもたれた。

「インが造ったってぇ?」

「ああ。オレは先代の魂を受け継いだんだよ。息子だって言っただろ?オレが一人前になるまで、インはずっと一緒に居てくれたんだぜ?」

「おめぇが、インを殺したわけじゃ──」

「ねーよ。あってたまるか!」

リティルの瞳に、怒りの風が吹き荒れていた。感情をまるで隠さない、素直な男だ。

「だから、インに似たものを創りやがったのかぁ?」

ケルディアスはインファをチラリと見た。ケルディアスからすれば、インファの容姿はインに似ているなんて生易しいものではない。瓜二つだった。

「おまえ、これ以上オレを怒らせるなよ?グロウタースのやり方で生まれたんだよ、インファは!インファの容姿は、遺伝だよ。結構有名だぜ?オレ達風一家のことはな」

言われ慣れているインファは、涼しい顔で聞き流していたが、父に庇われたことが素直に嬉しいのか、微かに笑っていた。

精霊は力に相応しい姿で目覚めるという増え方をする。永遠に近い命を持っているため、子孫を残す必要がない。男女間の愛に薄い種族だった。その中でたまに、誰かの腹を借りて目覚める精霊がいた。それがインファとインリーだった。二人の存在は、とても稀なのだった。

「あなたは、先代の何なんですか?」

リティルの背後に控えていたインファが、ケルディアスに尋ねた。

「あいつはなぁ、オレ様の親友だったんだ!もがれた片翼を追って、グロウタースに……それでよぉ、帰ってこなかった。帰ってくるってぇ、言ったのによぉ!」

ケルディアスは悔しそうに、拳を握った。

もがれた片翼?闇の王を生んだ発端になった出来事は、どうやらイシュラースにあったらしいことを、リティルは知った。調べればわかることだったが、リティルはあえて知らずにおいたことだった。インが存在を失う切っ掛けになったことを知ることは、相応の痛みを伴う。リティルには、その勇気がなかったのだ。

「オレは、そのグロウタースで生まれたんだよ。ケルディアス、インからなんて呼ばれてたんだ?」

「ケルゥ」

ふてくされた態度ながら、ケルディアスは短く答えた。リティルは、インが愛称で呼んでいたことを意外だなと思いながら、彼が親友だと言ったことが本当のことなのだと思った。

「ケルゥ、おまえ、しばらくこの城にいろよ」

リティルのその言葉に、皆が驚いた。

「えええ?親父、本気?母さんにちゃんと相談した方がいいんじゃないの?」

後ろに控えていたレイシが、至極当然の反応をする。

「今夜にでも話すさ。明日、返事しにこいよ。それまで、有限の星!今度こそ、ちゃんとしてくれよな?オレにも、痛覚はあるんだぜ?」

そういう問題?と、子供達は父の言葉に呆れていた。インファとインリーにも、超回復能力は受け継がれていたが、過信できるほど命を守ってはくれない。この人は母がいなかったら、何度死んでいるのだろう?とインファは溜息をついて首を横に振った。


 リティルは、夫婦の寝室へ音を立てないように入った。

落ち着いたクリーム色の壁に、白い花の咲く梢の絵が一面に描かれ、その梢に金色の小鳥達が遊ぶ様が描かれていた。豪華さはあるが、灰色の石組みの壁の無骨な応接間とうって変わって、暖かみのある部屋だった。

花の刺繍がされた天蓋付きのダブルベッドに、シェラは未だ眠ったままだった。その隣に滑り込んで、リティルは遠慮なく妻を抱きしめた。

「う、ん……リティル?ごめんなさい……わたし……」

シェラはすぐに目を覚まし、抱きしめてくれている夫をそっと抱きしめ返した。

「謝るのはオレの方だ。ごめん、君の前であんな派手にやられて……君が危機感持っても、不思議じゃねーよ。でもな、あれくらい大丈夫なんだぜ?」

顔を上げたリティルは、シェラの額にキスを落とした。

「インファ達と、戦闘訓練をしたほうがよさそうね。昔より、怒りの沸点が下がっているみたいだわ」

リティルは苦笑した。超回復能力は、瞬時に折られた首を治すことはできない。リティルはシェラを止めるために、保険として体に宿っている、花の姫の癒やしの力を使ったのだった。

「シェラ、ケルディアスを引き受けることにしたんだ」

それを聞いて、シェラは夫が何を考えているのか、探るような視線を向けた。無理もない。シェラにとってケルディアスは、侵入者であり夫に敵対した者でしかないのだから。

「あいつ、インのことを親友って言ったんだ。その心を、信じてーんだよ」

インの名を聞いて、シェラは諦めたように小さく笑った。

「あなたらしいわ。賑やかになるわね」

「ごめん、勝手に決めて……」

シェラは首を横に振った。そして、リティルの頬をそっと撫でる。

「あなたが信じるのなら、わたしもケルディアスを信じるわ。けれども、あなたを脅かす存在だと思ったその時は、迷わないわ」

「わかったよ、お姫様。そうならないように、ケルゥを導いてやるさ」

リティルはシェラを抱き寄せて、その頭に頬を寄せた。柔らかい温もりに、睡魔が襲ってくる。ウトウトしていると、シェラが動いた。リティルはどうしたのかと、顔を見る。

「リティル、あなたの中の癒やしの力、使い果たしてしまったみたいね?」

保険を使い果たしたことを指摘されて、リティルは困ったようにうーんと唸った。そして、気遣わしげな瞳でシェラを見た。

「それはそうなんだけどな、今日は疲れてるだろ?」

リティルの中に留まり、リティルの意志で使うことのできるこの特殊な癒やしの力は、夫婦である二人だからできる特別な魔法だった。その力をシェラに貰うためには、人にはあまり大っぴらに言えないことをしなければならなかった。

「保険のこともあるけれど、わたしは、この時間を楽しみにしているのよ?その間だけ、リティルを独り占めにできるから」

「いつだってオレは、君のものだぜ?何か不安にさせるようなこと、したか?」

シェラはゆっくりと首を横に振った。

「あなたは、子供達のお父さんで、みんなの風の王よ。今はもう、わたしだけのものではないわ。欲張りでごめんなさい。だから、わたしだけを見てくれるこの時間が大切なの」

シェラはそっと、リティルの胸に頬を寄せた。

「敵わねーな、君の気持ちが真っ直ぐすぎて、何度オレに恋をさせたら気が済むんだよ?けど、オレだって君しか見えないんだぜ?じゃあ、今夜も遠慮なく貰うぜ?シェラ……」

リティルはシェラに深く口づけた。彼の手が、彼女の胸元のリボンを解いて――……


 ケルディアスは翌日から、風の城に住むようになった。

あれから早一ヶ月の時が過ぎようとしていた。

「ケルゥ、今日も卵料理を大量に食べる気ですか?あなたは破壊の精霊でしょう?相手の強度を見極められなくてどうするんですか?」

風の城の中庭で、山盛りの卵を籠に入れたインファが、山なりに卵を投げていた。その落下地点にはケルゥがいて受け止めているが、どうしても卵は割れてしまう。

面白そうだと、インリーとレイシもやっていたが、インリーは半月で卵を割らなくなり、レイシも徐々にコツを掴み始めていた。

「わっかんねぇよぉ!」

ケルゥはドンッと地面に拳を振り下ろした。城の外より影響は少ないが、中庭の柔らかい草に覆われた地面が、ベッコリと陥没した。事前に察したインリーが割れた卵を入れる寸胴鍋を手に、空中へ逃れていた。レイシも、巻き込まれないように軽く飛び退いていた。その様子を、インファはやれやれと溜息を付きながら、その瞳に見守る者の優しい笑みを浮かべていた。

「お、やってるな?なんだよケルゥ、しょげてるのかよ?しょうがねーな」

デスクワークの息抜きに、応接間のソファーから、中庭の様子を見ていたリティルがやってきた。ケルゥに付き合うのは、ほとんどインファだった。王は多忙ということもあるが、指導者としては、リティルよりインファの方が優れているからだ。

「インファ、投げろよ」

インファはヒュッと卵を投げて寄越した。それを片手で受け止めたリティルは、ケルゥに見せた。二、三メートル先からストレートで投げられたのに、卵はヒビ一つ入っていなかった。

「卵が手に当たる瞬間に、霊力で包んでやるんだよ。精霊の肉体は、グロウタースの民と違って、剥き出しの力その物だろ?まして、おまえは破壊の精霊だ。気使ってやらねーと、壊れて当然なんだよ。相手を思いやるんだよ。できるさ!おまえなら」

リティルはケルゥに手を差し出した。座り込んでいた大男は、小柄な彼の顔と差し出された手を交互に見た。容姿はリティルよりもかなり年上に見えるのに、子供のように不安そうな顔をするケルゥが、なんだか可愛く見えてしまう。

しかし、ケルゥにはもうすでにできると、リティルは確信していた。インファのしつこい粘着質な特訓、兄弟達からは地獄の特訓と呼ばれているそれを、癇癪も起こさずにこなしていたのだ。基本的なことは、身についているはずだ。

 ケルゥの性根は、どこまでも素直だった。リティルは、なぜインが彼と連んでいたのか、わかったような気がした。

インは冷たい印象を与えてしまうが、とても面倒見がよかった。リティルはそれを、誰よりもよく知っている。インは、何も知らずに体ばかり一人前になってしまったケルゥを、これ以上世界から孤立しないように、しようとしたのだろう。

しかし、一人で戦い続けていたインには、時間が足りなかった。ケルゥの心を掴むことはできたが、教える前に永遠に別れなければならなくなってしまったのだ。

インのことを誰よりもわかっているリティルは、優しい父に代わって、やり方は違っても、ケルゥを、最低限のルールの中で生きられるようにしようと決めていた。

「握ってみろよ。オレなら、壊してもいいからさ」

インとリティル。風の親子は、なぜこんなに、はみ出し者のオレ様に構ってくれるのだろうか?と、未だによくわからなかった。しかし、彼等が同情でこんなことをしているとしても、構わなかった。もう、同情で付き合えるレベルを超えているとわかっているからだ。

 本当に、リティルの息子のインファも、よく匙を投げずにいてくれると思う。それほど、この城に来てすぐに、自分の常識のなさを痛感した。

この城に、ケルディアスが住むことになってすぐ行われたのは、城が壊れないように強化することだった。ケルゥが行くことが許されている範囲は、この広大な城の中では極限られていたが、それでもたぶん、壊し尽くしたと思う。城の強化は、風の王だけでは追いつかずインファも、シェラも手伝った。それでも、なんとかなるまでに一週間かかった。その間、リティルとインファは風の通常業務である、魔物討伐もこなさねばならず、よく生きて帰ってこられるなと、感心するような状態で出かけていっていた。しばらく、あのいつもきちんとしているインファが、ソファーで泥のように眠っている姿を何度も目にした。それでも、インファは切れ長の、インとよく似た瞳に拒絶を浮かべずに、暖炉の火のような暖かさで笑っていた。

ケルゥは、自分よりもかなり弱い力しか持たないこの風達が、このままでは死んでしまうのではないと思い、もう城を出ていくとインファに言ったことがあった。それを聞いたインファは、眠そうな瞳で笑った。驚くことも、ここまでしてやっているのに、なんだと怒ることもなかった。

──ケルゥ、一丁前にオレを心配してくれているんですか?オレも父さんも大丈夫です。あなたみたいな、手のかかる子犬、野放しにする方が心臓に悪いので、城にいてください。逃げても、連れ戻しますよ?

たぶん、寝ぼけていたのだと思う。インファは兄のような笑みを浮かべて、自分よりも四、五才年上の容姿の大男の頭を撫でた。しかし、悪い気はしなかった。こんな、ケルゥにしてみたら瞬きにも満たない時しか生きていないインファに、確かに兄を感じていた。

 インは強く隙がなく、ケルゥが気兼ねなく触れるように、自分自身に風の守りをかけて接してくれていた。

リティルは、ケルゥが他人とそれなりにやれるようにしようと、あえて無防備に接してくれていた。そのために、何度怪我させたかしれない。

二人のやり方はまるで違うが、ケルゥという存在を認めて、一緒にいられるようにしようとしてくれる心は同じだった。まだ一ヶ月だが、ケルゥはリティルを、風の城の皆を信頼していた。

そして今、ケルゥは選んで壊すという、極々当たり前のことを学ぼうとしていた。

ケルゥは固唾を呑むと、リティルの手を握る。リティルをこれ以上壊したくない。そっと、そっと、そっと、と、ケルゥは心の中で唱えていた。

「……やればできるじゃねーか」

曇りなく笑うリティルの存在が、暗く淀んだ淵に居たケルゥの救いになった。

ケルゥは、リティルを傷付けなかった自分の手が、信じられないような顔をしながら、それでも嬉しそうに笑った。凶悪な顔で。

「わあ、じゃあ、卵もできるかな?ケルゥ、やろうよ!」

インリーは恐れず、ケルゥの腕を引いて兄の前まで連れていった。リティルの存在だけではない。初めてこの城を訪れたとき、彼等の父を酷く怪我させたというのに、この城の住人は皆それを許し、受け入れてくれた。長い間一人でいたケルディアスにも、この温かさが尊いモノだということはわかっていた。

 ここにいたいと思った。もう、冷たい闇の中に戻りたくなかった。いつまで、ここにいていいのだろうか。この城は、昼の国・セクルースにある。ケルゥは、夜の国・ルキルースの精霊だった。きっと、許されない。きっと、この城を出なければならない。そう思うとケルゥは、寂しかった。

 先に部屋に戻ったリティルは、書類整理を再開していた。召使いの鳩たちも手伝ってくれていたが、リティルは険しい顔でその手が止まっていた。

「リティル?少し休んだ方がいいのではないの?」

シェラが心配そうに声をかけてきた。

「ん?ああ、いや、そうじゃねーんだ。前におかしいって言ってたの覚えてるか、いよいよおかしいんだよ。青い焔、グロウタースの大陸だけどな、ずっと戦争してるの知ってるだろ?だから定期的に、大量の魂を導いてやらねーといけねーんだけどな、最近、ぱったり動かなくなったんだ」

「戦争が終わったの?」

「そうじゃないらしんだよな。ケルゥを放っとけなくて行かなかったんだけどな、確かめに行くしかねーだろうな」

リティルはソファーに深く体をもたれさせ、背もたれに頭を乗せた。

「確かめに行くだけなら、わたしを連れていって」

シェラは胸騒ぎでもするのか、そんなことは何時ぞや言ったことはなかったというのに、懇願するように見つめてきた。

「ダメだ。心配ならインファを連れていく。それでいいだろ?」

子を産む前シェラはリティルと、戦いに出ていた。しかし、今は一線から退いている。そんなシェラを、危険とわかっている場所には連れて行けなかった。

「リティル……お願い」

シェラが手を握ってきた。リティルは困ってしまった。戯れに一緒に行くか?と聞いても、普段なら行かないの一点張りだというのに、今回に限って……。明確な理由を言わないところをみると、胸騒ぎを感じているのだろう。しかし、リティルも今回は戯れでも一緒にいくか?と言えなかった。

「どうしたんですか?」

インファが一人部屋に戻ってきた。三人は割れた卵の入った鍋を持って、キッチンに行ったらしい。

「インファ、母さんがちょっと変なんだ。青い焔に行くって言ったら、行きてーっていうんだよ」

「青い焔?ああ、眠り病の」

インファは少し考えて思い当たったらしい。インファは風の王の副官としても優秀で、鳥達や風の集めてくる新しい情報のほぼすべてを把握していた。

 風の城には、噂好きな子鳥達や世界を巡る風が、新しい情報を集めてくる。たわいのない噂話から、世界の情勢まで幅広い。その中で歴史として蓄積される世界の記憶は、ユグラのいる大地の城に保管されるのだった。

「雷帝、報告してくれ」

リティルは王の顔で、副官に促した。

インファは胸に片手を当てて、風の王に軽く頭を下げる。召使いの鳩に視線を送ると、彼等は机の上に散らばった書類の中から、すでに整理された書類の中から、青い焔に関するモノを拾い集め雷帝に渡した。

「仰せのままに。少し前から、眠ったまま起きなくなる奇病が流行っています。鳥達の報告……死者の数、生まれた者の数共にゼロですか。かなり進行していますね。風の王、見に行ってみますか?お供しますよ」

インファは副官の顔で、笑みを浮かべた。

「ああ、すぐに出られるか?」

「了解しました。母さん、ご心配なく。オレがついているんです、無傷で帰ってきますよ」

インファにまでそう言われてしまったら、シェラは引き下がるしかない。そもそも、風の精霊ではないシェラは、許可なくグロウタースへ出ることは禁じられている。例外は、風の王が許可を出したときだけだった。

すべての生きとし生けるものを守る役目を負う風の王は、すべての世界を行き来する権限を持っている。故に、他の精霊に許可を下す権限も持っていた。

「リティル、どっか行くのかぁ?」

 食堂から戻ったケルゥは、今日は扉を壊さずに戻ってきた。応接間から城の居住空間へ行くその扉だけ、強化されていない。ケルゥに今のレベルを知らせる為に普通の強度になっているのだった。

どうやらケルゥは、リティルの手を握りつぶさずに触れることができたことで、コツを掴んだらしい。

「ケルゥ、ちょっとグロウタースにな」

グロウタースと聞いて、ケルゥは怪訝な顔をした。

「どこだぁ?」

「青い焔だよ」

「リティル、オレ様も連れてけやぁ」

「へ?いや、それはまずいだろ」

「眠り病のとこだろう?オレ様が、関係あんだよぉ」

ケルゥは青い焔が眠り病に冒されていることを知っていた。本当に、無関係ではないのかもしれなかった。ケルゥは自分と自分が興味のあるモノ以外、とことん興味がないのだから。

「おまえが?……ルキルースがか?」

リティルはシェラをチラリと見た。シェラは、心配そうに皆のやり取りを傍観していた。

「行って見なけりゃわかんねぇけどなぁ、幻夢の霧のせいならオレ様の領域だぜぇ。何にも触らねぇからよぉ、連れてけよぉ」

青い焔からルキルースへ行くことになれば、月の支配するルキルースの精霊の助けがいることはわかっていた。ケルゥがそれを担ってくれるなら、話は早い。リティルはケルディアスの同行を許可せざるを得なかった。

 そうと決まれば、インファはケルゥの腕を取ると、部屋から連れ出した。

「なんなんだぁ?インファ」

「出かける前は二人きりにしてあげてください。母が父についていくことは、皆無に等しいですから」

「あんなに強ぇのに、なんでリティルはシェラを連れていかねぇんだ?治癒係がいれば、楽なのによぉ。あのヤロウの戦い方じゃぁ、治癒は必須だろうによぉ」

「あなたが父に手を出したとき、母に殺されかけたこと忘れたんですか?あの力は逆転の治癒と言うんですよ。父は母にあの力を使わせたくないんです。わかっているでしょう?風の王は精霊の中では、そんなに強くありません。父はいつも無理をしているんです。加えてあの戦い方ですから、お互いに気が気じゃないんですよ」

もちろん、それだけではない。あるときから、シェラはリティルの誘いを断っている。今は、リティルがというよりも、シェラが行きたがらないという方が強かった。

インファは金色のツバメを呼ぶと何事か囁いた。インリーとレイシが応接間に入らないように手を回したのだった。

 シェラは心配そうな顔でリティルを見つめていた。

いつもは寂しそうな微笑みを浮かべているだけだというのに、心配顔とは珍しい。

「今回は、長くなりそうだな。ルキルースか……大丈夫だって、多少知り合いもいるんだぜ?」

リティルは努めて明るく振る舞った。風の王の妻は気丈だ。よほどのことがない限り、出かける王を不安にさせるようなことはない。今回は、何かあるかもしれない。リティルは、表情には出さずに心の中で覚悟を決めた。

「どこへ行こうと、無事に帰ってくることを祈るだけだわ。リティル、傷を負ったら躊躇わずにわたしを呼んで。お願いよ?」

「わかったよ。必ず帰ってくるから、信じろよ」

「信じているわ。リティル、あなたの優しさをわかっているつもりよ?間違わないように躊躇う刃が、あなたを傷付けていることも知っているのよ?だから、傷を負ったらわたしの力を使って。それは躊躇わないで」

泣きそうな顔で懇願するシェラを、リティルは思わず抱きしめていた。

「ごめんな。オレはインみてーに強くない。それを知ってる君は、いつも不安だよな?でもな、必ず帰るって誓うよ。だから、泣かないでくれよ」

「リティル、そんなことを言わせてしまってごめんなさい。信じているわ。信じているのよ……。わたしの愛する風の王、インファとケルゥをよろしくお願いします」

「行ってくるな。オレの愛する花の姫君……」

二人の唇が重なった。互いの存在が離れることを惜しむように、二人の口づけはいつもより少しだけ長かった。


 グロウタースへのゲートは、風の城にあった。

この城には、すべての世界へ繋がるゲートが鏡の姿で安置されているのだった。この鏡は、シェラの精霊サイドの母親からの贈り物だった。千里の鏡と呼ばれていた。

神樹の精霊・ナーガニア。彼女が鏡の贈り主だった。

神樹は次元の大樹と呼ばれ、世界を貫き立っている。神樹その物がゲートで、歴代の風の王は神樹を通してすべての世界へ行き来していた。それを考えると、城から直接行きたいところへ行けるというのは、かなりの時間を短縮できてありがたいことだった。

「ナーガニア、グロウタースの青い焔にゲートを開いてくれ」

『久しぶりの遠征ですね。インファにケルディアスも?婿殿、今回は長くなりそうですね』

「ああ。……シェラがここへ来たら、よろしくな」

『娘が迷惑をかけているようですね?』

「そんなことねーよ。オレの方が迷惑かけてるよ。なあ、どうして、いつもそういう心配するんだよ?」

『母親の性です』

「そっか、じゃあ気にしねーよ。じゃあな、いつもありがとな!」

『リティル、ご武運を』

何も映していなかった鏡が中心から渦を巻き、ある風景を映し出した。

紫色の靄の漂う、荒涼とした大地。青い焔の姿だった。

 三人は鏡の中へ飛び込んだ。鏡を抜けると、荒々しく煙たい風がリティルの頬にぶつかってきた。

「おめぇ、あの気むずかしいおばさんにも、気に入られてんだなぁ」

「やっぱりオレ、ナーガニアに気に入られてるのか?」

リティルはなぜか、半信半疑と言いたげだった。

「はん?どういうこった?」

「風の王は歴代彼女に嫌われていたんですよ。父さん、今回は何を餞別に貰ったんですか?」

「神樹の実」

「また凄い物を。それだけ貢がれて、まだナーガニアの好意を疑うんですか?」

「疑ってるわけじゃねーんだけどな。なんかこう、壁を感じるんだよな」

リティルは複雑な顔で頭を掻くと、青い焔を見下ろした。万年戦争大陸と精霊達の間で呼ばれている青い焔は、大陸のどこかで、毎日のように戦火の煙が上がる場所だったが、今日は紫色の靄に包まれて沈黙していた。

「間違いねぇな、幻夢の霧だぜぇ?」

「ケルゥ、発生源わかるか?」

ケルゥは頭だけ黒い犬に変化すると、匂いを嗅ぐ仕草をした。そして、スッと指さした。

「発生源かはわからねぇけどよぉ、あの変な塔、気になるぜぇ」

戦火ではげ上がった大地に、スッと聳える塔があった。

「へへ、この空気……ゾッとしねぇなぁ」

ケルゥの瞳は爛々と輝き、その頬を汗が流れ落ちていた。

「大丈夫かよ?」

「おうよ。青い焔はなぁ、オレ様にとって因縁の地なのよぉ。リティル、悪かったなぁ、インが死んだのはなぁ、ここでオレ様と関わったからだ」

「ここが……インを……」

リティルは、戦火で傷ついた大地を見下ろした。

ここに、この場所にインがいた。そう思うと、心がざわめいた。リティルは無意識に、大地を見下ろすインファに視線を合わせていた。

「オレ様はなぁ、インファ、おめぇと一緒なんだ。精霊を両親に持つ、純血二世なのさ。インを死に追いやったのはなぁ、オレ様の双子の姉貴、セビリア。オレ様と同じ、破壊を司る精霊だ」

「破壊の精霊が二人いたのか?そんなこと、ありえるのかよ?」

「ありえねぇ状態だったんだろうぜぇ?同じ司の精霊は同時に存在できねぇ。オレ様達は、顔を合わせる度殺し合ってた。インはなぁ、巻き込まれちまったんだぁ」

 塔に辿りついた三人は、最上階の部屋の窓から中へ侵入した。リティルは、まだケルゥの話を聞いていたかったが、それ以上尋ねることはしなかった。仕事に集中しなければならないからだ。これ以上聞いてしまったら、この弱い心は動揺してしまう。シェラに、二人を守ってと言われている。これ以上、心を乱されるわけにはいかなかった。

「がっつり、ゲートが開いてやがるなぁ」

円形の狭い部屋の中心に、闇色の渦が浮かんでいた。簡素なベッドに、テーブル本棚……生活感のある部屋だったが、住人はいなかった。

「父さん、この部屋にいたのは人間のようですよ。人間が、ゲートを開いたんでしょうか?」

ゲートの回りの空気を探っていたインファが報告する。

「人間は、いろいろやらかしてくれるぜ。インファ、ケルゥ、追いかけるぞ!」

風の王の声に、二人は頷いて渦に飛び込んだ。


 ルキルース、幻夢帝の支配する夜の王国。夢が降り積もり、崩壊と再生を繰り返す無限の国。

同じイシュラースだが、セクルースとルキルースは世界の法則から異なる場所だった。

「ここは、潜在意識の湖か?ケルゥ、どうやってその人間を捜すんだよ?」

三人の目の前に広がるのは、ただただ鏡のように沈黙した水面だった。どこまで続いているのか岸が見えない。

「ここで捜すんなら、あいつのところに行くっきゃぁねぇ」

「だよな。じゃあ、行くか?」

リティルは、ルキルースへ来ることは初めてではない。好奇心に負けて、用も無いのにここへ来たのが運の尽き、妙なモノに懐かれて、度々呼び出しをくらっていた。

「!」

 インファは辛うじて反応していた。リティルに背後から切りつけた者の刃を、反射的に槍で受けていた。

「あら、いい男」

彼女はチャクラムと呼ばれる、円形の刃でインファの槍と切り結んでいた。瑠璃色の瞳には、敵意はなく面白がっているような色が浮かんでいた。

「スワロメイラ?またおまえは、後ろから斬りかかってくるなんて、毎回いい度胸だよな」

スワロメイラと呼ばれた、小柄な十五、六才くらいの少女は、ペロリと舌を出してウフフと蠱惑的に笑った。ふわりと膨らんで足首ですぼまるズボンを履き、チューブトップを着たエキゾチックな軽装で、耳にはラピスラズリのピアスが光っていた。スワロメイラは猫のような身のこなしで、リティルに駆け寄った。彼女の瑠璃色をした短いくせっ毛がフワフワしていた。

「リティル、またワンニャン二人組の呼び出し?じゃあなさそうねぇ。ねえ、このいい男はだあれ?」

「前に話したオレの息子。インファだよ。インファ、彼女はスワロメイラ。大丈夫だぜ?こいつは、味方だよ」

リティルの言葉で、インファはやっと警戒を解き、スワロメイラに無言で一礼した。

「ああ、この子がインファちゃん?すっごいいい男ねぇ」

スワロメイラはしげしげと背の高いインファを、つま先立ちで観察した。こんなに面と向かっていい男と言われた事のないインファは、居心地悪そうだった。

「なんでぇ、おめぇら知り合いかぁ?」

「ああ、ちょっとな」

「あら、ひっどーい!ウチとリティルの仲なのにぃ。アハハ、このルキルースじゃ風の王様みたいなのは目立つでしょう?それで、面白いから付きまとってるの。ねえ、どうしたの?リティル怖い顔して」

スワロメイラは、リティルと同じ目線で、瞳に笑みを浮かべたまま遠慮なく、ジロジロと見つめた。

「へ?オレ怖い顔してるか?」

そんなつもりのなかったリティルは、彼女の言葉に首を傾げた。

「してるしてる。ああ!お姫様と喧嘩したんでしょう?しょうがないわね、何したの?ちょっと変な性癖出ちゃったとか?」

「ばっ!おまえ、ちょっと口閉じろ!」

リティルに頭を押さえられて、スワロメイラは楽しそうに笑っている。背がほぼ同じで、まるで兄妹がじゃれているように見えた。

「父さん、ほどほどにしないと母さんに嫌われますよ?」

「インファ、そんな目で見るなよ!父さん哀しいぜ」

「さすがだなぁリティル、荒ぶってるなぁ」

「おまえら!人をおもちゃにしてるんじゃねーよ」

「アハハ、冗談はさておき、何してるの?……ふーん、人間の侵入者ねぇ。しらないわねぇ。でも、手がかりはあるかも」

「ホントか?」

「案内してあげるから、ほら手、出して」

唐突で、ルキルースを知らないインファは戸惑った。

「インファ、この湖はルキルースの行きたい場所に行けるんだけどな、想いが乱れると変なところに出ちまうんだ。今回は、スワロに案内してもらうからな、心を空っぽにしろよ?」

リティルはインファの手を取った。

「行くわよ」

スワロメイラはトンッと軽やかに踏み切ると、湖に飛び込んだ。水面は小さな波紋を広げただけで、水しぶきが上がることはなかった。


 「妙なことになったわねぇ」

スワロメイラとインファは、巨大な木々の立ち並ぶ森で、クロアゲハの羽根を生やした少女達に囲まれていた。病的に白い体躯で、衣類は何も身につけていない。白目のない真っ黒な目で、敵意ばかりがギラギラしていた。

「どうするんですか?蹴散らしていい相手なら、遠慮なく蹴散らしますよ」

大樹を背に槍を構えたインファは、涼しい顔で威圧しながら蝶達を見据えていた。

「この子達はルキルースの警備兵・幻夢蝶よ。侵入者に襲いかかるしか思考がないから、遠慮なくやっちゃってね。それから、倒した後幻夢の霧を吐き出すから気をつけてね。じゃあ、やっちゃいますか!」

幻夢の霧は厄介だ。多く吸い込めば、精霊であっても眠りに落ちてしまう。

タッとスワロメイラは軽やかに斬り込んでいった。両手にチャクラムを操るスワロメイラの戦い方は、両手にショートソードを操るリティルと被って見える。父は彼女と共に闘ったことがあるのだろうか。

 インファは、いつもリティルについて仕事をしているわけではなかった。むしろ、リティルと行動を共にすることは多くはない。副官として認められているインファと、風の王であるリティルは基本単独で、手分けして闘わなければならない仕事を担当していた。インリーは城で事務処理担当だった。インリーと、風の精霊ではないレイシとシェラは、城から出ることは皆無だ。

最近はよく父と仕事をしているが、こうやって父の精霊の友人と関わることは、実は初めてだった。

 すべての幻夢蝶を斬り伏せ、インファは風を放って霧を吹き飛ばした。

「はあ、怠いわ。にしても、やるわねインファちゃん」

「ちゃん付けで呼ぶのは止めてもらえませんか?」

人間に例えると、二五才くらいの容姿のインファには、抵抗のある呼ばれ方だった。しかも、容姿だけならスワロメイラのほうが遙かに年下だ。

「えええ?いいじゃない。可愛くて、いい男なんだからぁ。冗談はさておき、インファちゃん、由々しき事態よ」

可愛いいい男と言われて、インファは複雑な顔をした。リティルなら笑って乗っかってくるが、インファはもう少し真面目なようだ。リティルから毒舌だと聞いていたのに、なかなか可愛らしいなぁと、スワロメイラは思った。

「もういいです、好きに呼んでください。父さんとケルゥはどこへ行ったんですか?」

「それよ!リティルかケルゥのどちらかが、故意に別の事考えて、なおかつウチらをのけ者にしたのよ!」

リティルと引き離された!とスワロメイラは怒りに燃えていた。よほど父のことが好きなのだなと、インファは冷静に傍観していた。しかし、想いはクリーンで父と母の仲を脅かすようなものではないようだった。

「母の様子もおかしかったですし、気になりますね。スワロメイラ、これからどうしますか?」

「心当たり、ないわけじゃないのよね……でも、どうしようかしら?」

「何か問題でもあるんですか?」

「このルキルースで迷ったら、彼女の所に行くのが一番なんだけど……リティル、どうも苦手みたいだから……」

「行きましょう。どこですか?」

「お父さん、嫌がるかもよぉ?」

「好き嫌いはなくしてもらいます。効率よくお互いの居場所がわかるなら、行かない選択はありませんよ」

「だからって、食べ物の好き嫌いみたいに。アハハハ!面白い子ね、インファちゃん。わかったわ。リティルには、向き合ってもらいましょう!」

「ですから!スワロ、どこへ行くんですか?」

走り出したスワロメイラを追って、インファは翼を広げた。


 リティルはボンヤリ立っていた。我に返ると、巨木の森にいるのがわかった。

「大丈夫かぁ?」

背後から声をかけられ振り向くと、ケルゥが木の根に座り込んでいた。いつからそうしているのだろうか、ずいぶんくつろいで見えた。

「ケルゥ!ここは仮面の樹海か?スワロとインファは?」

仮面の樹海は、潜在意識の湖の下に広がっている。ダイブに失敗したときに落ちる場所だった。

「みごとに失敗したなぁ。でも、探し物は見つけたぜぇ」

木の根っこに座っていたケルゥが凶悪な笑みを浮かべた。視線を追ったリティルは、幻夢蝶に追いかけられる黒いワンピースの少女を見た。


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