或るアメリカ軍人の告解
※本作は、作者が知人の米兵から聞いた話を元にしたフィクションです。
脚色の上で公開する許可をいただいています。
元の話がどこまで事実かは不明。
イラクで子供を殺した。
2001年以来俺たちアメリカ人はテロリストに対して怒り狂っていたし、テロリストの巣窟にミサイルを叩き込みたくてうずうずしていたのは一面の事実だ。だから俺もイラクへの派遣軍に参加することを苦とは思っていなかった。
平和維持活動。素晴らしい。あの国のテロリストがみんな死ねば世界はちょっと平和になるのだ。そのためなら不味い飯や砂まじりの風や命の危機なんか屁でもない。2003年の俺はそう思っていた。慢心とヒロイズム。数でも装備でも練度でも圧倒的にこっちが上だ。俺はピクニック気分で人殺しの砂漠ツアーに出かけた。
そして俺は、イラクで子供を殺した。
拠点に立てこもる民兵組織を俺たちの部隊だけでどうにかしなきゃならない状況だった。隊長は航空支援を寄越してくれと言ったが上は燃料代と弾薬代をけちって現状戦力による作戦遂行を命じた。俺たちはみんなブーブー言ったが別に不可能でもなさそうだった。敵の数はそんなに多くない。しかも半分くらいはにわか仕込みの少年兵。筋金入りのテロ屋はほんの数人だ。慎重にやれば俺たちは損害ゼロで連中全員をアッラーのお膝元に旅立たせてやることができる。
元は金持ちの家だったというその拠点に、俺たちはじりじり近づいていった。まだ暗い明け方だった。突然、よくわからない模様の描かれた木製の扉が開いて、屋敷の中からひとりの幼児がよたよたと通りに出てきた。おいなにやってる危ないぞ。俺たちはその子がどっかへ行ってしまうまで待とうとしたが、子供は俺たちに気付くと何事か叫びながら突進してきた。
「◎※◆%×!」
子供のボロいシャツが不自然な膨らみ方をしているのが見えた。誰かが叫ぶ。
「爆弾だ! カミカゼだ!」
人間爆弾による特攻。あんな子供まで洗脳して。躊躇う代わりにテロリストどもへの怒りが燃えあがる。
小隊がアサルトライフルを一斉射した。明らかに過剰火力だ。一人で充分だった。だが全員が訓練された反射行動として部隊を守るために独自判断をした。命令を待ってる暇はない、いますぐ撃ち殺さなけりゃこっちが死ぬと。
結果的に小銃弾の嵐で顔面を削り取られた子供は、流れ弾のせいか遠隔操作かいずれにせよその瞬間に起爆した全身の爆弾で粉々にくだけ散った。道路が抉れ民家の塀がぶっ倒れる。ゴーゴーゴーゴームーブムーブナウ! 隊長が叫ぶ。状況は動き出した。対応しなければならない。
で、拠点制圧はあっさり成功した。別に語るべきこともない。俺たちは完璧に訓練通りの戦闘をこなして未熟な民兵どもの児戯じみた抵抗をやすやす打ち破っていった。それだけ。
問題だったのは作戦終了後だ。俺はあの子供が叫んだ言葉を覚えていた。意味は解らなかったがその音を覚えていた。そして俺たちのベースキャンプにはアラビア語をばっちりマスターしている真面目くんがいて、現地民の言葉でわからないことがあれば大体そいつに聴けば解決するのだった。いわば歩く亜英辞典であり英亜辞典。我が隊の貴重な資産。
「なあウォー・ディー(やつは本当にWalking Dictionaryと呼ばれていた)。『◎※◆%×!』ってどういう意味だい?」
俺はたぶん「クソ白人の豚野郎!」とか「悪魔の手先!」みたいな罵声をぶつけられたのだろうと思っていた。これまで戦ってきた少年兵たちも、みんな俺たちとアメリカを罵りながら死んでいったのだ。
でも違った。ウォー・ディーは紙にたった四文字のアルファベットを書いてみせた。
HELP(助けて)。
俺はばかばかしいほどに震えだした。落ち着けよ。別に子供を殺したのなんて初めてじゃない。ここでは15歳の少年が立派な戦士として俺たちに対抗してくるし8歳の女の子が本気で殺しにかかってくる。職業軍人だろうが少年兵だろうがぶっ放す銃の威力は同じ。殺さなければこっちが死ぬ。殉教者気取りで突っ込んでくるなら子供だろうとなんだろうと敵だ。平等に処理する。
でもあの子供は、たぶん違ったのだ。
おそらくは地元の子供を適当に攫ってきて、そいつに爆弾を巻いて俺たちの前に放り出しただけなのだ。「あのおじさんたちが助けてくれるよ~」とかなんとか吹き込んで。そして子供は俺たちに助けを求めて駆け寄ってきた。HELP! 助けて! ――俺たちはその子を蜂の巣にして吹っ飛ばした。
言い訳ならまだできる。結局は撃たなきゃこっちが爆死していたのだし、あの子供が本当に民間人か確かめる術も接近をやめさせる言葉も知らない俺たちはやっぱり撃つしかなかった。わかっている。自己弁護はできる。それでも――俺たちは敵じゃない人間を殺したのか?
爆弾で粉みじんになるまえの一瞬間が脳裏に蘇った。銃弾に叩き潰された赤い顔。助けて。KAMIKAZE! 助けて。ばらたたた。銃声。衝撃。助けて。絶望。炎。
そして死。
俺はその一件以来銃が撃てなくなった。銃を持つと握力が失われてしまうのだ。辛うじて腕の力でライフルを保持するところまではいけたが、銃爪を引く力が指にまったく込められなかった。医者にはPTSDだかシェルショックだかの診断を下され、戦力外となった俺は病人として不名誉の帰国をする羽目になった。
息子は俺を恨んだ。臆病風に吹かれて戦地から逃げ帰ってきたヘボ軍人の子供だと学校でいじめられたらしい。悪のテロ支援国家を叩き潰す戦いに参加できない男は父親失格なのだ。
神よ。
なぜ俺は、俺の心は、こんなにも弱いのだろう?
あの子の最期を夢に見る。戯画化されたグロテスクな死の光景。冒涜的なスローモーションで小さな肉体が炎のあぎとに噛み裂かれていくその過程を、俺は克明に観察している。
助けて。無理に決まっている。言葉がわからないんだ。それに俺はアメリカ軍人で。
助けて。無理だったんだ。仲間を危険には晒せない。自分の命だって、家族が待っているのに。
助けて。できない。なぜなら俺たちが、俺が。
助けて。
たすけて。
俺は月に二度精神科医の世話になり、気分転換のトレーニングやらカウンセリングやらを受けている。そして月に十度はあの子の夢を見る。夢の中の俺はトリガーを引くことができて、いつも少年をズタボロのクズ肉に変えては木端微塵にしている。
しかし現実の俺はいつまで経っても銃を撃てないままだ。どうやら俺は引鉄を引くための指をあのベースキャンプに置き忘れてきたらしい。取りに戻る必要があるだろうか。
今日も俺は、自分のこめかみに向けてたった一発の銃弾を放とうとする。家族にも医者にも教えていないひそやかな儀式。引鉄を引ける日は、まだ来ない。