96『野営場』
思いつめた顔をした警備隊長がゲルから出て行って、ジェラルディンはようやくひと息つけると立ち上がった。
そのまま自分たちのゲルに向かいソファーに腰を降ろす。
その姿が影の中に吸い込まれるように無くなったのを見たものは誰もいなかった。
「誰か、お茶をお願い」
侯爵邸の応接室に姿を現したジェラルディンは、すぐにやってきたバートリにそう言ってため息を吐いた。
「あなたには負担をかけるばかりで申し訳ないと思っているわ。
これからも、それは変わらないと思うの。本当にあなたは、私には勿体ないほど有能な執事だわ」
「そのように褒めても、これ以上の事は出来かねます。
お嬢様、指定された火酒や食糧は準備出来ております。
王宮からは一度登城するように勅命が参っております」
「ありがとう。
その他に変わりはない?」
「料理長以下厨房の連中が張り切って料理しております。
お戻りになるときは忘れずにお持ち下さい」
「そうだ、使い捨て出来る木の食器を大量に欲しいの。
それと、うちの私兵に支給している革鎧とかないかしら」
「両方とも手配させていただきます。
ちなみに鎧のサイズなどはわかりますか?」
その答えにジェラルディンは私兵隊のひとりの兵士の名を上げた。
サイズと言われてもわからないのでしょうがない。
そこにタリアが茶器とポットの乗ったワゴンを押して現れた。
その彼女が洗練された所作で淹れた紅茶の、まず香りを楽しみ口にする。
「あいかわらずタリアの淹れてくれたお茶は美味しいわ。
本当に頭がすっきりしたわ」
いつになるかわからないが、この邸で以前のように暮らしたいと言うと、タリアが突然、ジェラルディンの足元に跪いた。
「どうかお嬢様、私もお連れ下さいませ。旅の途中でも、いえ旅の途中だからこそお世話する者が必要だと思うのです」
「あなたの気持ちは十分ありがたく思うわ。
でもね、今私たちがいる国はここから馬車で3ヶ月くらいかかるの。
だからどこかに落ち着く事があれば、タリアには一番に来てもらうわ。
約束よ」
「はい、お嬢様」
タリアは今回は引き下がった。
心の休息を終えてジェラルディンが野営場に戻ると、警備隊による母子への尋問が始まっていた。
ジェラルディンがゲルから出て、遠目から見ると警備隊の兵士の他に冒険者たちもテントを取り囲んでいる。
そしてどうやらテントから顔を出した母親と遣り取りしているようだ。
「ちゃんと口と鼻を布で覆っているようね」
母親は脅されているようでもないのに素直に応じているようだ。
この時点で彼女から得られる情報は貴重なものだ。
なるべく詳しく話を聞きたい。
「主人様」
ジェラルディンの命を受けて、主人から離れて動いていたラドヤードがハンスを連れて戻ってきた。
「お嬢様、何から何までお世話になってありがとうございます。
あの……こんな時にこんな事をお聞きするのは間違っていると思っておりますが、どうしてもお尋ねしたいんです。
うちの馬車はもう処分しないと駄目でしょうか?」
「あら、言ってなかったかしら。
あの馬車の、特に内側を十分に消毒すればこれからも使用できますよ。
お酒も追加で出しますから明日の朝一からでも作業されたらどうかしら」
ジェラルディンの言葉に、ハンスはその場に蹲り泣き出した。




