232『宣戦布告?』
「はっ、それはもう助からないでしょう。お手数をお掛けしますがお願いできるでしょうか」
騎士が震える声でようやく応えを返したところ、ジェラルディンが鷹揚に頷く。
次の瞬間、詠唱すらなく生えた棘がスリの少年の急所を貫き、彼は小さく痙攣しながらその生を終えた。
対するジェラルディンには何の感慨もない。
「それにしてもこの町は普段からこのように治安が悪いのかしら。
それにコレは、見るからに町の住人とは違う身なりをしているわね」
「お恥ずかしい限りです。
このものはおそらくスラムの住人だと思われます」
「この栄えて見える町にもスラムというものがあると言うの?」
それは彼らの怠慢だと思う。
ジェラルディンの祖国【影の国】ではとうの昔にスラム=貧民は撲滅されていた。
大都市には貧民が流入しやすいものだが、それも警備を強化すれば良いのだ。
「悪いことは言いません。
そのスラムは破壊すべきです」
物陰から覗いていたスラムの住人……スリ集団の1人が慌てて裏通りに駆け込んでいく。
彼は皆にこの一件を知らせなければと、必死で駆けていたのだが、突然その足が縫いとめられたように動かなくなった。勢い余って倒れこんだ彼の背中からは見覚えのある棘が生えていて、心の臓を貫かれた彼は即死だった。
「こちらの町の代官殿、もしくは領主殿はどういうおつもりなのかしら」
ジェラルディンは自分が敵意を集めている事に気付いていない。
スラムの貧民の敵意……いや、それはもう殺意と言って良く、その手のものに聡いラドヤードがしきりにあたりに視線を向けている。
ここにジェラルディン対スラムの住人との仁義なき闘いが始まることになった。
外回りの騎士たちは頭を抱えた。
貴族絡みのトラブルはたまにあるが、今回のようにスラムのスリが起こした事件は初めてだった。
この場合、スリは殺されても仕方がない。
ヘルツフェルトの代官としても文句はなく反対に、貴族に対する謝罪に頭が痛い状況になる。
そして後日この件を報告された領主(男爵)は恐怖に打ち震えた。
貴族の身分としては最下位の男爵である彼は、最低でも同位おそらく上位貴族である令嬢からの苦情が怖い。
自国の貴族令嬢がお忍びで出歩いているというような情報はない。
かなりの確率で他国の貴族令嬢、これはヘタを打てば外交問題ともなりうる事件なのだ。
肝を冷やした領主だが、この報告を受けた時点ではもうすべて終わっていて、距離という時間差があるので気を揉んでしまったことになった。
ジェラルディンはその店で大量の古書(古代の書物)を手に入れ、ご機嫌だった。実は先日、この町在住の古書コレクターが亡くなり、直系の身寄りがなかったため、遠方の相続人が手っ取り早く金子を手に入れるために屋敷の物品を投げ売りしたのだ。
領都などでオークションにかければ、それなりの価格になったのだろうが何かやましいことがあったのだろうか、そそくさとヘルツフェルトを発っていったそうだ。
ジェラルディンにとっては僥倖である。
そしてここではくだんのコレクターの蔵書が他の質屋にもあると聞いて、ジェラルディンはこの町のすべての質屋を巡ると息巻いている。
ラドヤードには古本のどこにそれほど入れ込む魅力があるのかさっぱりわからない。
そしてスラムの住人は、そんなジェラルディンの行動に水を差すことがどれほど彼女を般若のごとく怒らせるのかわかっていない。




