173『まんじりともしない夜』
火を熾したての薪を金属製のバスケットに移し、それを持って廊下に出る。
追いかけてきた主人と話し合い、皆で籠るのは窓のない、10人ほどが雑魚寝できる大部屋にした。
そこに宿中の薪を集めていく。
酔いが吹っ飛んだ客たちも皆、言われるがままに手伝っている。
ジェラルディンは生活魔法の土属性系【塗壁】を使って玄関の扉周りを目張りし始めた。これで寒気の流入はそれなりに防げるだろう。
この後も、右往左往する女将から裏口の場所を聞き出し目張りした。
客室からはすべての毛布が剥ぎ取られ、大部屋に集められる。
厨房から、仕込みはじめていた明日の朝食のスープが入った大鍋と食器類が運ばれてきて、緊急避難の準備は終わろうとしていた。
「厨房のコンロやオーブンの火は落とさずに置いてある。
薪オーブンの方は薪を足した直後だったんでしばらくは保つだろう」
そう言った主人に確かめてもらいながら、廊下に並ぶ扉のひとつひとつを目張りし、大部屋に戻ったジェラルディンは皆に断ってから小振りなゲルを取り出した。
「緊急事態とはいえ、未婚の淑女である主人を他者と同じ部屋で夜を明かすことは罷りならん。
なので主人だけこちらで休んでいただく」
ラドヤードの宣言に彼ら主従を除いた全員が視線を向けた。
ジェラルディンが魔法を使うところを見たものたちは、彼女が貴族であるということに気づいている。
なので無論文句はない。
各々が椅子や床に座り込み、暖炉に吊るされた薬缶で沸かされた湯で淹れた薄い茶を飲んでいた。
ジェラルディンは部屋の中で存在を強調するゲルの前で椅子に座り、説明を続けていた。
「空のかなり上空には強い風の道があって、それは普段ゆるく蛇行しているのですが、今回どうやらそれが激しく蛇行しているようで」
ジェラルディンは指でジグザグを描いて見せた。
「この凹んだ部分に寒気が溜まりやすくて、多分今このスミルカンドはそういう状況にあるのだと思います」
周りでゴクリと喉を鳴らす音がする。
「お、お嬢様、町は……俺らの家族はどうなっているのでしょうか?」
「ごめんなさい、それは朝になってみないとわからないわ。
それと日の出の時分は特に気温が下がるから少し経ってから出た方がいいと思う」
この寒波、ジェラルディンの感覚ではダンジョンから戻ってきた時のクメルカナイより多少ゆるく感じる。
朝になってみないとわからないが、木造の住居に住む町人に多く犠牲を出したクメルカナイより、ここの住居は木造に漆喰で壁を固めた住居が多いようで、案外気密性が高いのではないかと思う。
小振りのゲルはジェラルディンの新作で、空間魔法を使って中を拡張してある魔導具だ。
「今夜はここで過ごすしかないわね。
まあ、多分眠れないだろうけど」
猫足の、優雅な曲線を描くソファーに腰掛け、ジェラルディンは紅茶を口にした。
そして独り言ちる。
「もう厄介事は勘弁ね。
明日、出歩けるようになったら出発しようかしら……」
おそらく馬車は使えないだろう。
この様子では馬は凍死している。
ひょっとしたら御者も危ないかもしれない。
「ふつうにしていたらいつになるかわからないわよね。
ラドには負担をかけるけど、移動した方がいいわ」
場所によっては春蒔きの種蒔きが始まっている時期だ。
物によってはもう新芽が出ているだろう。
それが冷気による霜ですべてやられていたら……?
いくらジェラルディンが貴族と言えど、よそ者に対する悪感情がなくなるとは思えない。
直接危害を与えようとはしないだろうがまるで彼女らが連れてきたようなタイミングで起きたこの変事、考えれば考えるほど長居は無用だ。
「ラド」
ゲルの前で護衛していたラドヤードを呼び込むと、結界石を使用してから出立のプランを話し始めた。




