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 その日の天気は、やはり雨であった。どんよりと()れ落ちる黒い雨雲が空一面(いちめん)に広がり、雨粒が少し水の張った地面を絶えず叩きつける音が、町を埋め尽くしていた。


 ヒナタと出会ってから、(みつる)はある事に気が付いていた。



 ――ヒナタは、こんな雨の日は必ず姿を現さない。



 出会ってから久々に一日中雨が降り続けた日は、あの港にヒナタが来ることは決してなかった。


 完全に雨が止み、陽が照り付け、もう振るまい、という時には、ヒョイと姿を見せるも、小雨(こさめ)の時や、降っているのかいないのか分からない水しぶきのような雨が降っている時に、その姿を見た事は一度もなかった。


 単に雨嫌いなのだろう。外で元気いっぱいに遊ぶ姿がよく似合う彼女にとって、雨はすこぶる不釣り合いなのだ。


 そんな憶測(おくそく)で、満はヒナタに、その理由を尋ねる事はなかった。


 ヒナタが雨の日に現われないことを確信した満は、そういった日を独りで過ごす事に決めていた。しかし、ヒナタと一緒に過ごす日が多かったためか、こういう孤独の日はとても久々で、寂しいより新鮮という気がして、悪くは思わなかった。


 日曜日。


 来週の頭に期末テストを控えていた満は、駅から近くの図書館の学習スペースで、勉強に励んでいた。数学と英語という強烈(きょうれつ)な二科目が一日目にして立ちはだかるという最悪の状況の中、午前中を全てにその教科に費やしたせいか、早くも疲労困憊(ひろうこんぱい)し、下の階にあるカフェで昼食をとった。


 携帯をしばらくながめ、カップに入った珈琲(コーヒー)を飲み干すと、体は完全にリフレッシュしたように、元気を取り戻した。



「あら。」



 階段の踊り場で、その声が上から聞こえると、満は顔をあげ、視界に現われた少女に、ビクッとした。

 長い花柄のひらひらとしたロングスカートに、肩に少し丸みを帯びた白い生地の夏服を着た黒髪の少女が、満を見て、階段の上に立っていた。


雪奈(ゆきな)?」


 まさか、ここで出会うとは。

 驚いた満がその名前を言うと、雪奈は静かに階段を下り、満へ近寄った。


「こんなところで、珍しい。勉強?」


「うん……まぁ。」


「最近全然部活に来ないから、もう部活やめちゃったのかなー、って思ってたわよ。」

 雪奈の落ち着きある声調(せいちょう)に添えられた言葉は、満の胸に突き刺さった。


「一体部活ほったらかして、最近何をやってたの?」


 ヒナタの事を言いそうになったが、男の変な直観的(ちょっかんてき)なセンサーが、それは言ってはならない、と赤い警報を鳴らし、満は苦笑して話を()らそうとした。



「私にこそこそ隠れて、女の子とでも会ってるのかしら?」


 目に見えない矢に心臓を貫かれたような電撃が走る。


 ――こいつ……エスパーか!?


「まぁ、それは無さそうね。第一、女子免疫のない満が、女の子と面と向かってに話せるなんて考えづらいし。」


 複数の矢が一度に満を貫く。あと一撃くらえば、心の何かが崩れ落ちそうな勢いだった。


「よ、余計なお世話だ。」


「取り敢えず、折角会ったんだし、下のカフェにでも行く?」


 今昼食を取ってきたところだが、ここで断るのも、何か勿体(もったい)ない様な気がした。

 満は、(ふた)つ返事をすると、雪奈に率いられ、先程のカフェへ向かった。



 雪奈にとって、ここは安全ゾーンらしい。


 しかし、未だにそのはっきりとした境界は分からなかった。

 二人きり、もしくは結兎と一緒にいる時は、そこは安全ゾーンになる事は知っていた。だが、クラスの誰かが他にいる時や学校の周辺では、雪奈は他人としていた。


 雪奈から声をかけてきたということは、この図書館に他に知り合いはいないのだろう。


 満は心の中で、この雪奈が持つ独特のアンテナを、雪奈アンテナと命名していた。


 雪奈アンテナの正確さは、恐ろしいほどに狂いはない。

 以前より町で出会った時、雪奈がまるで視界に入っていないように満を通り過ぎた時、辺りを見ると同じ学校の制服を着た学生が遠くに見えたことがある。その逆の時には、目を細めてみても、雪奈を知って良そうな人物の姿はどこもなかった。生まれつきの才能だろうか。


「はい。」

 雪奈は、コーヒーカップを満に差し出した。


「あ。ありがとう」

 満はそれを手にとると、口に近づけた。


 雪奈も、注文したレモンティーを唇につける。


「お兄ちゃんが、寂しがってたわよ。満君、今日も来てないのか、って。」


 がっかりと肩を落とす結兎(ゆいと)の姿が脳裏に浮かんだ。


「今度からはもう少し顔を出すようにするよ。」


 満は、もう一口、珈琲を喉に通す。


「それより、雪奈はここで何をしていたの?」


 雪奈は、ティーカップを、膝上に添えた右手に持っていた置き皿に乗せた。


「私も勉強よ。明日からテストだもの。」


 雪奈の成績は学年の頂上を争うものであった。ほぼ首席の栄冠を飾っており、(まれ)に銀の座にとどまることがあったが、いずれにせよ、頭脳明晰であることは間違いなかった。一体どのような私生活で勉強を行っているか聞きたくなるが、それは毎度喉に来るまでで、言葉になることはなかった。


「夏の展覧会に出す作品、もう完成した?」


 雪奈が唐突に尋ねると、満は記憶の回路でそれを辿り、思い出すと、首を横に振った。


「今ちょうど描いているところ。被写体が外にあるから、最近部活休んでいた理由はそれ」


「ふーん」

 雪奈は再びティーカップを口につける。


「雪奈の方は、完成したの?」


「まぁ、大方(おおかた)。けど、他にもやる事が色々あるから、今年もギリギリになりそう」


「こっちも人の事は言えないな。同じような進捗(しんちょく)状況だよ。」

 

 雪奈はふと、窓の外を見た。

 

「最近続くね。雨の日」


 ここ三日は連続して雨の日が続いていた。

 その分、外は涼しくなったが、代わりに家や学校の中は湿気のじめじめとした気持ちの悪い暑さに支配されていた。


「雨の日の風景を描こうとも考えたのだけれども、雨の中イーゼルに描くのは無理なのよねぇ」


 窓の外の雨景色を見て、独り言のように雪奈は愚痴(ぐち)気味(ぎみ)(つぶや)いた。


 そういえば、雨の日を描いた絵画作品は、一体どのようにして描かれたのだろう。

 展覧会などの作品の中には、雨の日の風景を写生(しゃせい)した作品が、たまにある。


 今まで考えたこともなかったが、直接雨の中、油彩画(ゆさいが)を描こうものなら、その絵がとんでもないことになってしまうのは明らかだ。仮に、水に溶けないものであったとしても、余分な水分がキャンバスから乾燥する過程で、絵画自体が傷んでしまう。


 やはり、ああいった絵は屋内で描かれたものか、満のように簡単に印象だけスケッチブックに描き、心情にメモをして描いたものだろうか。


「よし、ごちそうさま」

 その声に、満は思考の回廊(かいろう)から現実の世界へと引き戻されたようにハッとした。


 雪奈は、飲み終えたティーカップを置き皿に置くと、鞄を持ち、立ち上がった。


「じゃあ、私勉強に戻るわ。満も頑張ってね。」

 雪奈は随分(ずいぶん)と急いだように、満の前を去ったが、去り際に雪奈の言った科白(セリフ)が「今日はもう関わらないでね」という真意を示していたことはすぐに分かった。


 同じクラスの数名の男子生徒が、自動ドアを開け、図書館に入って来たのは、雪奈が図書館の奥に消えた、すぐ後のことであった。


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