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 目が覚めたのは、まだ日が半分しか東の空から顔を出していない頃であった。


 普段は、携帯にセットしたアラームが不快に鳴ることで、目が覚めるのだが、その数時間早く目が覚めてしまうことが、たまにあった。


 そういう時は、(ふた)パターンに分かれる。

 一つは単純に、体を重く感じ、そのまま、すぐに眠りに再びついてしまうパターンである。


 しかし、今回はもう一つのほうであった。頭はふわついているものの、目だけがパッチリと完全に覚めてしまうパターンである。この時は決まって、ふわついている頭もすぐに眠りから覚めてしまう。中々起きることができない、何か重たい気体の(かたまり)が頭の中にあるような、そんな感覚がなく、頭が軽いと思う、そんな感覚である。


 (みつる)は、上半身を起こすと、窓の外を見た。


 白い絵の具に、(あわ)い青色を()りまぜたような、空が視界の大部分に映る。朝靄(あさもや)がかかり、町はまるで、雲上(うんじょう)にある都市のように、包まれていた。四角いビル群の形が地から()び、ネクスト21の巨大な鉛筆のような影が見える。


 新潟市は、越後平野(えちごへいや)に位置する町であり、平地(へいち)が続いているが、海岸線付近では、起伏(きふく)が見られ、海に近づくにつれ標高(ひょうこう)が高くなり、その地域は坂になっている事が多い。


 満の住むマンションも、その斜面(しゃめん)上に建てられた住宅群の一つであった。満の部屋の窓からは、新潟市の中心部が広がり、それを一望(いちぼう)することができる。この場所に引っ越してきた、小学校の頃までは、満はよくこの窓に映る都市の風景を描いたものであったが、いつしか、()れと共にその好奇心は薄れ、中学に入学した時には()れ果ててしまっていた。


 いつもであれば、その風景は、何ともなく映っていたが、今朝のその風景は、どこか違うものであるように満は感じた。その風景だけではない。まるで部屋、家、満を包むありとあらゆるもの、日常そのものが昨日までのそれとは一変したようであった。


 平行世界(パラレル・ワールド)――景色そのものは同じであるが、全く異質(いしつ)の世界にいつの間にか飛び込んでいたような、そんな感情が、胸の奥底にゆっくりと燃え、こみ上げてくるようだった。


 満の心臓は、まだ無自覚である満の肩を叩くように、ゆっくりと、強く鼓動(こどう)していた。

 

 一体、昨日の女の子は誰だったのであろう。


 金髪の少女の笑顔と、別れ際に手を振った時の言葉が脳の中で、スクリーンに何度も映し出されるかのように、繰り返される。


 これまで異性と関わることなど滅多(めった)になかった。


 中学の時も、似たような境遇(きょうぐう)の同級生と話すのみで、異性と関わる事は授業や班活動くらいであり、社交的な、形式上のものでしかあり得なかった。


 雪奈(ゆきな)から初めて話しかけられた時も、緊張で体中がこわばり、心臓が胸を突き破り飛び出してきそうな勢いであったが、今回もそれに似たような感情が、満を襲っていた。


 雪奈と話し、異性に少しは慣れていたのであろう。表情や理性は不思議と落ち着き整然(せいぜん)としていた。


 しかし、心の奥深くに潜む何かを探知(たんち)した身体は、それを鏡写(かがみうつ)しにするように、静かに表れていた。


 目も覚め切ってしまい、やがて、じっとしているのも苦痛になり、満は洗面所へ向かった。

 

 顔を洗い、まだ誰も起きていない台所へ向かう。


 毎日家族と食事をする台所も、いつもとは違う一面を見せていた。


 やかましい妹の声も今はなく、薄白い日の光が包み込み、静まり返っている。


 聞えて来るのは、鳥のさえずる音くらいであった。


 トーストを焼き、適当に朝食を取ると、すぐに自室へ戻った。


 パジャマを脱ぎ、ワイシャツのボタンを閉めていると、壁際(かべぎわ)に置かれた、昨日のスケッチブックが視界に入り込んだ。




 ――あの女の子は、また来るだろうか。




 ワイシャツのボタンを閉め終えると、満は放課後、再びあの港を訪れてみよう、とぼんやりと心に書き()めた。



   *   *   *



 登校から放課後までは、長いようで、あっという間であった。朝のホームルームで始まり、昼食の時間になり、そして気が付けばもう帰りのホームルームである。


 そこに至るまでの授業などの時間中は、非常に長いものであり、教室の時計の針も普段よりゆっくりと進んでいた。


 帰りのホームルームが終わると、満はルーズリーフを一枚取り出し、


 ”今日は用事があるのでお休みします  満”


 と、横に書いた。



 美術室という特別な空間に入るまでは、雪奈とは赤の他人のように全く接する事はない。お互いに話しかける事も、廊下(ろうか)ですれ違った時も、挨拶(あいさつ)をすることもなかった。


 美術室の中と外では、お互いはただ単に同級生という接点のみの、(かす)かな線でしか結ばれていない、他人という暗黙の了解(りょうかい)があった。その為、何か用事で部活を休む際も、直接本人に伝える事はなく、美術室前にある椅子の上に置かれた箱の中に、こうして手紙を書いて伝えることになっていた。


 満は、部活用に美術室の端に置いていた、自前(じまえ)の折り(たた)み式のイーゼルと必要な最低限の画材を持ち出すと、ポケットに折りたたんでいた、先程(さきほど)の手紙を例の箱の中に入れ、学校を後にした。



 午後四時。


 バスを降りると、満は、川沿いの道を歩き、あの場所へ向かった。

 広場になっている場所では、お年寄りの方が日陰(ひかげ)のベンチで話しており、親子が散歩をしていたりする姿が見られた。


 満は、(あた)りを見(わた)すも、先日の少女の姿は見当(みあ)たらない。


 (あわ)い期待をしているも、当初の目的は、昨日スケッチブックに描いた、この風景をキャンバスに描くことだ、と言い聞かせ、満はイーゼルをセットした。


 カモメが鳴き声を響かせ、川の上の宙を舞っていた。


 今日は、対岸(たいがん)には巨大な白い旅客船(りょかくせん)停泊(ていはく)している。その甲板(かんぱん)には、数名の人影があった。


 恐らく、佐渡島(さどがしま)へ向かう船であろう。


 満は、再び視線をその船から白いキャンバスへ戻すと、黒い鉛筆の側面で、港を描き始めた。


 四角い白色の世界に、黒く柔らかい線が、世界観の骨格を築き上げると、満は鉛筆をキャンバスから離した。


 一見すると適当に描いているように見えるが、今その白い世界に生まれたばかりの景色と現実のそのものとの比は、ほぼ正確なものであった。


 寸法を鉛筆で慎重に計り、描き出された白黒の世界。注意深い性格もあり、満がそれを満足するまでに描き終えると、時間はかなり経過していた。


 空色を(うかが)うと、満が描きたい、それとは、若干異なるものであった。


 スケッチブックを頼りにしようと考えていたが、より実際に近づけたいという欲求もあり、色塗りは明日からにしよう、と決めた。




「冷たっ!」




 首筋(くびすじ)に氷のようなものが触れると同時に、満の体がビクッと(ふる)えた。

 何事だ、と満は、不快な表情を浮かべ振り返ると、それはハッとした表情へと変わった。


「えへへ」

 

 そこには、昨日と同じ少女が、引っ掛かった! という表情を浮かべ、立っていた。

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