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「ん」

 ヒナタと花火を見ていた(みつる)は、ふとフェンス越しの下を見ると、道路を動く点の中に、一つ速く動いている点が目に入った。


 それが、ただの駆けている人であれば、注目する事はなかっただろう。


 黒い髪を(なび)かせ走る、その姿は、知人の中で今最も重要人物の姿をしていた。


「ヒナタ、ちょっと待ってて!」


 満が言葉を捨てるように言い、ヒナタが戸惑った様子で、満に声をかける暇も与えず、屋上から非常階段を駆けた。


 道路に出ると、左右を見渡し、雪奈(ゆきな)を探す。


 一瞬見落としそうになったが、往来する人の奥に、こちらから去るように駆けて行く雪奈の姿が見える。


 満は、目でそれを捉えるとすぐに、足を走らせ追いかけた。


 

   *   *   *



 雪奈は、信濃川(しなのがわ)から少し距離のある所に位置する、一際大きな池のある公園へ入った。


 呼吸を整え入ると、辺りに誰もいないのを確認して、公園の中央へ歩く。


 手にかかえていた、スケッチブックを取り出すと、ページをめくり、そのページを開き、地面に置き、そこから、少し離れて詠唱を唱えると、スケッチブックに描かれた絵が光出し、そこからムクムクと、あの巨大な怪物が現われた。


 これは最終手段でもあった。


 この巨大な使い魔を天に放ち、町を覆うことで、ヒナタを捕獲する。


 この使い魔には、魔力を吸い取りあげる魔法を込めてある。


 使い魔は自動的に魔力を吸い上げたあと、消滅をするが、町にも少し影響は出るだろう。


 しかし、時間がない今、自分の魔力をうつし今後何を起こすか分からないヒナタを、これ以上野放しにさせておくわけにはいかなかった。

 

 自分の描いた魔力の宿った絵から魔力を奪うこと。それは、満の言う通り、命の宿った絵から命を奪うことと同義なのかもしれない。


 魔力の入った絵は、所詮(しょせん)ただの絵に過ぎない。


 それは、コンピューターゲームのキャラクターと同じように、まるで自身の意志があり、個人として生きているようにみえるが、それに命があるわけではない。電気というツールを通して、生きているように見えるだけ。


 少なくとも、母が生きているうちは、そんな風に考える事はなかった。


 自分の描いた絵とお話するのが好きで、遊ぶことが楽しくて。


 魔法の名家、有栖(ありす)家。

 いつしか、そんな看板を背中に担いでいた。


 母が亡くなってからは、母を驚かすような、凄い魔法使いになろう、と考え勉強していくうちに、周りからかかる圧力のようなものが気になっていた。


「さすがは、名家のお嬢さん。これからも日々精進され、偉大な魔法使いになられますよう」


「お母様もたいそう喜んでおられますことでしょう。期待していますよ」


 そんな言葉に応えようと、いつからか絵を描くことも少なくなった。


 魔力に宿った絵も絵であることは変わらない。命あるものではない。


 そんな言葉も聞くようになり、私の心も揺らいだ。


「お前は、有栖家を背負っていかないといけない。失敗は許されない。お前は母さんの築き上げてきた努力を無駄にするつもりか」


 結兎(ゆいと)の言葉が頭をよぎる。


 失敗は許されないのだ。


 きっと、強大な魔力を受け継いでしまったことも、有栖家の当主になる使命なのであろう。

 魔力の持ったものを現実世界に誤って放してしまったことは、許されない失敗なのだ。

 そう、自分に言い聞かせるしかなかった。

 

「雪奈!」

 後ろから突然に聞えて来た声に、雪奈は振り返った。

 そこには、息を切らし立っていた満の姿があった。

 

「満」


 雪奈は、思いもよらず現われた来訪者に、目を丸くするも、すぐに表情を整え、いつもの落ち着いた声調で言った。


「何しに来たの?」


 満は、ゆっくりと二、三歩前へ出る。


「ヒナタを返そうと伝えに来た」

 

 雪奈は、眉をあげた。


「ただ一つ、お願いがある」

 満が、声をあげ言うと、雪奈は「……何?」と静かに問いた。


「ヒナタから、魔力を奪わないでほしい。」

 雪奈は眉をひそめ、何かを言おうとするも、満はそのまま言葉を続ける。


「もちろん、雪奈たちにとって無茶苦茶なお願いをしているのは分かっている。ヒナタとも色々話した。ヒナタも、絵の中で大人しくするって、約束もする。だから――」


「無理よ」


 いつもの大人しさに、氷のような冷たさを帯びた声が飛んでくる。


「満。あの子は生き物じゃない。ただの絵なのよ。あなたがどう思って、あの子に接しているのかは分からないけど――」


「嘘だ」

 満の声に、雪奈は口を止める。


「雪奈、お前は知っているはずだ。僕がヒナタとどう思って過ごしているかを。他の人と変わらない、その温かみを」


「あんたに、何でそんなことが分かるの?」


「じゃあ、なぜあれ以来、今の今まで力ずくでヒナタを捕まえようとしてこなかった!?」

 満自身でも驚くような大きな声だった。

 

「悩んでいたんじゃないのか。ヒナタから魔力を奪うことを。絵の中に返し、ただの絵画に戻す事を」


「……」

 雪奈は、満から視線を下へ逸らし、唇をギュッと結ぶままだった。



「雪奈、もういい」



 雪奈の背後の闇から聞こえて来た声に、二人の視線は外灯の光が当たらない、夜の闇へ向けられる。

 黒ローブをした、足元が現われると、外灯の光の中へ入り、その人物の姿がはっきりとした。


 厳しそうな表情を浮かべた結兎がそこに立っていた。


「お兄ちゃん」

 雪奈も思いがけないことだったのだろう。

 その声は、なんでここにいるのか、という疑問を帯びていた。


 しかし、結兎は雪奈の声を無視し、その目は満に向いていた。


「満君、悪いが今すぐにあの絵の女を渡してもらえないか」

 いつもの結兎とは違い、聞いた事もない恐い声だった。

 満は、それに少し怯えたが、首を強く横に振った。


「今回の件は妹の不注意によるものだ。前にも言った通り、あれをこっちの世界に野放しにしたと学長先生の耳に入れば、お咎めも下される。そうとなれば、有栖家の名誉にも関わる」


 結兎が、さぁ、差し出せ、と手を伸ばすと、満はまた首を横に振った。


「結兎さんには渡せません」


 ここで結兎に渡せば、ヒナタは間違えなく消されてしまう。そんな重みを持った声だった。


 結兎は、ため息気味に息を漏らす。


「満君、これは有栖家だけじゃない。この世界にも関わる問題だ。もしここで渡さなければ、今ここで」


「やめて」


 結兎の声を遮るように飛んできたその声に、二人は目を向けた。


「雪奈?」

 結兎は眉をひそめ、雪奈の顔を見た。


「もうやめて……」


 雪奈は顔を上げ、満の方を見つめた。


 その目は、何かを決心した様な、強く、鋭い目だった。


「満、あなたの条件を受け入れることにする」


 雪奈がそう言うと、結兎は眉を大きく上げた。


「お前、何を考えているんだ! 魔力を奪わないつもりか?! いいか、もしあれがまた万が一不意にも外に出て行ってみろ。また同じことになるんだぞ!?」


「私の絵は、そんな悪い子じゃない」

 雪奈は、怒りを(にじ)ませたような声を結兎に向けた。


「お前、あれはただの絵なんだぞ? 魔力で動いているだけの絵だ。お前がお遊びで描いていた絵で、名家にも泥を塗るつもりか!? ましてや、母さんをモデルにした絵で――」




「いい加減にして!!!!!」




 空気が雪奈のその声で静まり返った。

 満も結兎もその声に、筋肉がこわばったような感覚が走った。


「名家とか名誉とか、そんなことばっか!!! 私がそれでどれだけ潰されそうな思いをしたと思う? どれだけ寂しい思いをしたと思う?! 母さんの為、私の為って。結局お兄ちゃんは有栖家っていう地位を護りたいだけじゃない!!」


 雪奈は涙とともに言葉を飛ばす。


「雪奈」

 結兎が声をかけようとするも、それを振り払うように雪奈はつづけた。


「私は……私はただ、私の描いた絵で皆を喜ばせるような魔法使いになりたかった。私の絵で笑ってくれたお母さんみたいに、皆を喜ばせたかった。なのに、いつしか名誉がどうのとか、有栖家がどうのとか、そんなことばかりでいつしか私の夢は皆の期待に応えるだけのものになってた」


 雪奈は、睨むように目を結兎に向ける。


「ただの絵じゃない! 私の描いたお友達を、バカにしないで!!!」


 

 その時だった。


 その異変に、結兎と雪奈も気付いたように、バッと後ろを振り返った。


 満も、それに気が付き、上を見上げる様にそれを見た。


 雪奈の使い魔が、グルル……という唸り声をあげると、足元から黒い絵の具のように身体が染まり上がり、赤い瞳を持った、黒い悪魔へとそれは姿を変えた。



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