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「ん、どうした?」
新潟駅に着く頃には、もうすっかり日は暮れ、夜の活気を町は見せ始めていた。
急に足を止め、引き寄せられるように、壁に貼られているポスターを見るヒナタに近づくと、満は「あぁ」と納得した様な声を漏らす。
「新潟花火か。もうそんな時期だったなぁ」
八月に入ると、毎年新潟祭りが行われる。祭りでは、様々な催し物があるが、その最終日には信濃川で花火大会があり、それを見ようと多くの人が集まり、河川沿いの道路から萬代橋の歩道に至るまで、人で溢れかえる。
「花火?」
満は、ポスターに載せられた、墨のように黒い夜の空に中央から華のように弾けた虹色の華の写真を指差した。
「これだよ。夏の定番だね」
ヒナタは、ふーん、と再び魅せられたように視線をそれに向けた。
「見てみる?」
満の急な提案に、ヒナタは「えっ」と声をあげる。
「明日の夜だし、雪奈に会うのはその後でも遅くないかなって」
ヒナタは、それを聞くと、表情は晴れたように明るくなり、「満っー、ありがとー!」とこみ上げる嬉しさを抑えきれず、満に抱き着いた。
「ちょ、ここ人前、人前だから!」
* * *
翌日。
ヒナタは早朝から、いつも以上にウキウキとご機嫌な様子だった。
まだ八時だというのに、布団をはぎ取り、満を無理やりに起こすありさまだ。
ヒナタの元気にあてられたせいか、すっかり目が覚めてしまい、午前中は万代のショッピングモールで買い物をし、カラオケで歌い、時間をつぶした。
例の頭痛やめまいは、雪奈のおばあさんがくれた薬のおかげか、全快したように再び襲てくることはなかった。
しかし話によれば、それは一時しのぎで、効果が切れれば、またあの不快な症状が起こってしまうという。
それまでに、何とか雪奈に会い、話をもちかけないといけないが、彼女の居場所は皆目見当もつかない。
おばあさんも、新潟に来たことはないそうで、雪奈の行きそうな場所についての心当たりはなかった。
ヒナタは相変わらず、制服のままであったが、今日くらいは浴衣を着てみたらどうだろう、と勧めてみるも、「綺麗だけど、あれって着るの大変そうだから、こっちでいい」とあっさり断られてしまった。
町中をヒナタとあちこちと回っているうちに、気付けばもう夕方になっていた。
まだ始まるまで時間はかなりあったが、信濃川沿いの歩道は、凄い人で既に溢れていた。
この歩道は、花火を見るにはうってつけの場所であったが、始まる頃には定員に達し、警備員の人によって制限がかかる。
運良く、ヒナタと満は、制限がかかる前にそこに入ると、どこか落ち着いて見ることができる場所がないかと、歩きながら探した。
「人、凄い多いねー」
満の手に引かれ、ヒナタが言うと、満も「だね、どこか空いてる場所あればいいんだけど……」と左右を見渡す。
「あ、あそこ良いかも」
ヒナタが後ろから声を出し、目で示した場所を見ると、ちょうど緩やかな傾斜になっている場所に空いているスペースがあった。
しかし、向かおうとすると、先に気が付いていた親子がその隙間を埋めた。
あと、5分か。
このまま歩きながら見ることも考えたが、それは何とか最終手段にしたい。
どこか良い所は――
満は、すぐ横にある赤いビルを見ると、ハッとした。
このビルって確か……
中学の頃、ちょうどあれはこの時期、クラスの男子生徒たちが言っていたことを思い出した。
「花火よく見れる秘密の場所あるんだぜ。萬代橋から川に沿って歩くと、赤いビルがあるんだ。その屋上。」
確か、廃ビルになっており、正面入り口は封鎖されている。
しかし、非常階段は別だった。
信濃川沿いからはその階段は見えず、その上に上がる人もいない。
もしかしたら――
「ヒナタ、ちょっとこっち」
満が手を引くと、ヒナタは少し戸惑った顔をしたが、駆ける満に着いて行った。
間違いない。このビルだ。
裏にはさび付いた非常階段があり、まるで長い間棚の後ろに放置された玩具のように、静かにひっそりとあった。
階段を、カン、コンと鳴らし、屋上へ上がると、そこには誰も人はおらず、信濃川を一望できる場所だった。
その時、雷のように、辺りが一瞬明るくなったと思うと、太鼓を叩くような音とともに、空には巨大な美しい華が咲いていた。
ヒナタは感嘆の声を上げると、フェンスに手をつけ、空に次々と打ち上げられるそれに、目を輝かせた。
また一つ、また一つ、花火は打ち上がっては音を立て、二人の目の前に、水中の泡のように弾けては、消え、弾けては消えていく。
下からは歓声が上がり、花火の明かりに辺りは色とりどりに照らされた。
満とヒナタは、空に描かれるように広がるそれを、見つめていた。
「私……」
見つめながら、静かにヒナタが口を開く。
「私、こんな綺麗なもの、初めて見た。やっぱり、こっちの世界は素敵な場所だった。夢に見た通り、一つ一つに色があって、生き生きとしていて。満……」
満は、ヒナタのそれにハッとした。
静かに頬からその雫が垂れ、嬉しさを滲ませた、笑顔がそこにあった。
「ありがとう」
その言葉は、縁側の日向のように優しい温もりを帯びていた。
その温もりが直接心に触れたように、胸が熱くなった。
その熱は、満の奥深くから全身に伝わるとともに、もう一つの感情がこみ上げてきた。
今まで隠していたのか、それとも無意識なだけであったのか。
しかしそれは、日々を重ねるに連れて、確かに膨らんで、心のどこかにあった。
今やもうそれを堪える事ができない。
その感情を表現するとしたら、何色であろう。
炎のような赤や太陽のようなオレンジだけではとどまらない。今まで過ごした時間という白い紙に、楽しさの黄色、安らぎの緑、悲しみの青、そういう様々な色がごちゃごちゃに混ぜられ完成した色だった。
しかしそれは、暗い色ではなく、鮮明で、明るい、そんな色合いだった。
「あ、あのさ……ヒナタ」
ヒナタが涙をぬぐい、少し真剣な表情を浮かべた、満の顔に視線を向ける。
手や額からは汗が流れ、心臓がバクバクとしている。
しかし、もうここしかなかった。
ヒナタが絵に返ってしまえば、これまで通り、ヒナタと会える保証はない。
緊張とその思いを込め、無理やりに絞り込んだそのシンプルな言葉を口にした。
「俺、ヒナタの事が好きだ」
時が一瞬止まったように感じた。
全身の力が言葉と共に、身体から空気を伝っていくように、抜ける。
ヒナタは、口を少し開けたまま、驚いたようにじっと満を見つめた。
しかし、その顔がすぐに柔らかくなると、満の両手をそっと握り、春の風のように優しく撫ぜるように返事をした。
「私も、満の事大好きだよ。ありがとう」
夏の夜の空には、いくつもの花火が、天から二人を見下ろしていた。




