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 ヒナタの描かれた場所は、雪奈(ゆきな)の家でないことを、(みつる)はここで初めて知った。


 ヒナタによれば、ヒナタが描かれた場所はもっと広い家で、庭があり、電車で運ばれ、雪奈の今住んでいる家に運ばれてきたらしい。


 ヒナタは、その時電車に乗ったことも、通った道もよく覚えていた。

 どの路線の電車に乗ったかは、ヒナタも苦労したらしいが、絵を出た直後、電車から見た景色をもう一度みたいと、新潟(にいがた)駅から電車に乗り、わざわざ探したという。


「その、おばあちゃんの家っていうのは、どこらへんにあるか覚えてる?」


 満が聞くと、ヒナタは「村上(むらかみ)って名前の所だった気がする」と答えた。


 村上市は、新潟県の上越(じょうえつ)といわれる、秋田県側の地方にある町だった。新潟から村上までは、電車で約一時間半かかる。

 満は、村上を日帰りで訪れてみる事に決めると、電車の時間をアプリで調べ、ヒナタに連れられるままに、村上市へ向かった。


 電車に乗る前に、駅で弁当を購入し、電車に乗り込む。


 ちょうど、座れる向かい合い席があり、ヒナタと満は、そこに座った。

 電車に揺られながら、ヒナタは弁当を開け、窓の外を見ながら、目を輝かせ、景色に映るあれこれを、興奮気味に満に示した。


 ちょっとした旅行気分に、満も浸っていた。


 思えば、ヒナタと電車でどこかに行くということは、これが初めてのことだった。


 電車の一時間半は、ヒナタとの会話や、初めて見る景色で、緩やかにそして速く流れる川ように過ぎ去った。

 

 村上駅に到着し、外に出ると、ヒナタは「こっち」と言い、まるでガイドにでもなったかのように、元気よく満を案内した。


 バスに乗り、町を抜け、ヒナタに言われるがままに着いていくと、そこは山の(ふもと)だった。


 辺りを見渡せば、のどかな田畑が見え、山は静かに満達を見下ろしていた。


 蝉や虫の鳴く声が聞こえるほか、涼しい風が満達の髪を弄ぶ。


 道路の歩道を歩き、坂道を上ると、一件の洋風の屋敷のようなものが見えて来る。


「あそこ!」


 ヒナタがその建物を指差すと、ヒナタは元気に駆け出し坂を上り、「こっちこっち」と満に手を振った。



 立派な家だった。


 周りは木々に囲まれ、池がある庭が広がり、そこには色とりどりの夏の野花が、カラフルに咲き誇っていた。建物の洋風じみているが、どこか日本の和も感じられる、そんな立派なものだった。

 満は、門をくぐり、扉の前まで来ると、チャイムを鳴らした。


「はーい」

 柔らかく、そして少し年季(ねんき)の入った、女性の声が、扉の奥から聞こえて来た。


 ふと、横を見ると、大理石のような立て札に「有栖(ありす)」の文字があった。

 ヒナタの言う、おばあちゃんの家はここで間違いなさそうだ。


 扉が開くと、老眼鏡をした、優しそうな、少し丸みの帯びた老婦人が顔をのぞかせた。


「あ、僕、雪奈さんと同じ美術部の室橋(むろはし)満と言います――」


 雪奈さんがここにいるかもと聞いて、と続けようとしたが、老婦人は二人の顔を見て、「遠い所、わざわざありがとう。さぁ、中へどうぞ」と微笑み、家の中へ案内した。


 老婦人に連れられ、大広間に着くと、二人は、老婦人に勧められ、席についた。


 広間の縁側のように開かれた庭に咲いた花々の甘い匂い。途中まで編まれた毛糸の匂い。どこからか絵の具の匂いもした。色々な匂いに包まれた、柔らかく、落ち着いた空間。


「ごめんなさいねぇ。雪奈ちゃん、毎年はうちに尋ねて来るのだけれども、今年は忙しいらしくて、来てないのよ」

 老婦人は、ハーブティーを満とヒナタに差し出しながら、申し訳なさそうに言った。

 満は「いえ、こちらこそ急にすいません。」と頭を軽く下げる。


「あなたは雪奈ちゃんが描いた絵の子ね。」

 老婦人が、ヒナタを見つめ言うと、ヒナタは目を丸くして、ティーカップを口元から離した。


「分かるんですか?」


 老婦人は微笑みながら、ゆっくり頷いた。


「えぇ。ずっと前、雪奈ちゃんが描いていたのをよーく覚えている。雪奈ちゃんや結兎くんように、私にはもう魔力は少しも残っていないけれど、あなたがそこの絵にいた子だっていうのは、分かるよ」


 満は、ティーカップを置くと、真剣な表情になり、落ち着いた声調で言った。


「実は、ヒナタは雪奈が意図せずに魔力を持って、絵からでてきた子らしいんです。一度、ヒナタを返すように迫られて、けど、ヒナタから魔力を奪うと聞いて、ヒナタがいなくなるのが嫌で……今日は、雪奈にヒナタを返す代わりに、ヒナタから魔力を奪わないようにお願いしにきたんです」

 それを聞くと、老婦人は、きょとんとした顔をする。


「雪奈ちゃんが? 描いた絵の魔力を奪うって言ったの?」


 老婦人は、それが信じられないといった顔をして、満達に問いた。

 満とヒナタは、一度顔を合わせると、再び老婦人を見つめ、コクリと頷く。


 老婦人は、二人が頷くのを見ると、肩を落とした。


「そう……。雪奈ちゃんは、絵が大好きな子だったから、自分の魔力が宿った絵を消すなんてことはしないと思っていたのだけれど……」

 

 満は、老婦人にもヒナタを返すよう迫られることを覚悟していた。


 しかし、老婦人の反応はそれとは逆であった。


 まるで、雪奈のほうに落胆しているような様子だった。


「あの、ヒナタのように、魔力が宿ったものは、こっちの世界にいると、何か悪い事をもたらすと、雪奈から伺っていたのですが」


 満は、老婦人に言うと、老婦人は再び縦に首を振った。


「確かに、魔力の宿ったものがこっちの世界に長居することは、宜しくない。けど、ヒナタちゃんのように、絵から出てきたものであれば、額縁の中に戻れば、話は別。たまにであれば絵から出て一緒に散歩をすることだってできるし、周りの人に影響を与える事も少ない。」


 老婦人はハーブティーを口に含み、飲むと、懐かしむ様に言った。


「私も幼い頃、額縁の中にいたお友達を出しっぱなしにして、よく両親に叱られていたわ。絵に描いたお友達とよく遊んでいてね、たまに額縁から出してあげて一緒に過ごしたものよ。大好きだった彼女から、魔力を取る事もなかった。雪奈ちゃんも、昔っから、絵を描いてはその子たちとよくお喋りしたり、この庭で遊んだりしていた。間違って魔力が宿ってしまって出て来た絵もあったけど、雪奈ちゃんはその子も仲間にいれて、楽しそうに遊んでいたわ」


 意外だった。


 今まで、絵画から飛び出て来た絵は、何が何でも消さなければいけない、そういう厳しい戒律があるのもだとされ思っていた。

 しかし、それほど厳しいものでもなければ、あの雪奈自身さえ、自分の魔力のかかった絵を愛していた。

 

「雪奈ちゃんも、変わってしまったのかしらねぇ。エマが亡くなってしまってからは、私がしっかりしなくちゃ、と真面目に勉強して絵もあんまり描かなくなってしまったのよ。」


「エマ?」

 満が会話に突如登場した人物の名前を尋ねると、老婦人は口に近づけたティーカップを止めた。


「あぁ、雪奈ちゃんのお母さん。私の娘さ」

 老婦人は、ふと庭を見つめた。


「生まれた時から体の弱い子でね。結兎くんと雪奈ちゃんが小学校に入ってからすぐに、亡くなってしまったんだよ。」

 弱弱しい風が、庭から広間に入り、頬を撫ぜた。


「雪奈ちゃんは、それ以来、絵をあまり描かなくなってしまった。勉強して凄い魔法使いになって、お母さんの為にも頑張るって言ってね。雪奈ちゃんが頑張るのは、私も嬉しいけど、やっぱり、昔みたいな雪奈ちゃんがいなくなるのは寂しい」


 老婦人は、悲しげに、遠くを見つめる様に目を細め閉じた。

 そして、ヒナタのほうに視線を向けると、微笑言った。


「ヒナタちゃん。私は、雪奈ちゃんがヒナタちゃんから魔力を取って、ヒナタちゃんを消そうとなんて本気で考えていないように思うんだ。二人とも、ちょっと、こっちへ来てごらん」


 老婦人は立ち上がると、満とヒナタを、隣の部屋へ案内した。


 そこはアトリエなのか、イーゼルや、画材道具がそこかしこにあり、床には絵具がまき散らされるように、ついていた。


「あそこにある写真をみてごらん」


 老婦人は、壁に飾られた、大きな写真を指差した。

 その写真は向日葵(ひまわり)畑の中に笑う一人の少女の姿があった。


 その少女を見て、満とヒナタは、目を見開いた。


 白いワンピースに麦わら帽子を身に付け、満面に優しく明るい笑みを浮かべる少女。


「私だ……」

 ヒナタが思わず声を漏らした。

 老婦人はゆっくり頷くと、写真に視線を向けた。


「あれは、エマのちょうどヒナタちゃんくらいの歳の時の写真さ」


「お姉ちゃんのお母さんの?」

 

「あぁ。ヒナタちゃんには敵わないけど、笑顔が素敵な子でね。雪奈ちゃんは、あの写真がずっと好きで、あれを見てヒナタちゃんを描いたんだよ」


「私を?」


「雪奈ちゃんは、それをお母さんとは呼ばなかった。一人の友達、ヒナタちゃんと呼んでいたのを昨日のように覚えている。ここに住んでいた時は学校から帰って来ては、いつも話しかけていた。学校であった嬉しい事、悲しい事。まるで本当にそこに、ヒナタちゃんがいるように。」


 ヒナタは、ハッとし、笑みをこぼした。


「私、何となくだけど、それ覚えてるかも」

 それを聞くと、老婦人も嬉しそうに微笑んだ。


「それは良かった。だからね、ヒナタちゃん。雪奈ちゃんにとっては、ヒナタちゃんは大切なお友達に間違いはない。雪奈ちゃんも、本気で魔力を奪い取ろうなんて考えてないはずだよ。」


 ヒナタは、うん、と強く頷いた。


「良かった。私、ずっとそれが気がかりだったの。お姉ちゃんにとって、私は邪魔な存在なのかなって。そう思うと恐くなって、あの夜、満と一緒に、お姉ちゃんから逃げ出しちゃった。だけど、お姉ちゃんが私の事、好きだったって聞いて、本当に良かった。ありがとう、おばあちゃん」


 ヒナタがお礼を言うと、老婦人も柔らかい笑顔を返した。


 ヒナタは振り返り満を見ると、満も笑顔を浮かべて頷いた。



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