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 ヒナタと最初の出会いは、三週間前まで(さかのぼ)る。


 高校生になり一年を終え、二年生になった、(みつる)は、美術部に所属していた。


 子どもの頃から、公園の何気(なにげ)ない風景や、時間と共に移り変わる空を絵に描くことが好きであった事に加え、運動も苦手であったことから、高校に入学してすぐにこの部活を選んだ。


 中学生の時には、母親に(すす)められ、サッカー部に所属していたが、運動音痴(おんち)であった満にとって、日々の練習は厳しく、毎日が拷問(ごうもん)のようなものであった。中学の時の思い出は、ほとんどがそれに()()えられ、(そう)じて、良い思い出は特になかった。


 人間関係を(きず)く事も苦手であったが、目立って孤立(こりつ)することはなく、グループ活動なども決まった少数メンバーに囲まれ苦労をすることはなかったが、自分から声をかけるという積極的な行動をとる事はなかった。


 高校に入る前から、高校での部活動は自分で決めようと、決心していた。満が入学した高校は、美術部はあったものの、部員数(ぶいんすう)が一名しかおらず、廃部(はいぶ)の危機に(ひん)していた。しかしそれは、他者と関わる事を苦手とする満にとっては、好都合であった。なるべく部員数は少ない方が良い、できれば五人くらい、と考えていたが、その期待が上回(うわま)り、その事実を部活動紹介で知った時は、安堵(あんど)を感じるほどであった。


 事故が起きたのは、そのすぐ後であった。


 廃部にならずに済むと、歓喜(かんき)の声をあげ、手厚(てあつ)歓迎(かんげい)をする先輩に案内されるままに、美術室へ初めて足を()み入れた放課後。美術室の扉が開くと、満は、目を丸くした。


 雑誌やテレビに映る、海外の美しい、海の砂浜のように白い肌。(つや)やかな肩まで伸びた、黒い髪。幼さが残っているが、輪郭(りんかく)がしっかりとし、(ととの)った顔。清楚(せいそ)と言う言葉が代名詞となるような、女子生徒が、すでに一つのイーゼルの前に、静かに()していた。


その(しず)けさは、美術室の静かな独特(どくとく)の空気に溶け()んでおり、これをそのまま絵に描いたとしても良いと思うくらいのものであった。先輩が、それぞれ手を指し、紹介すると、少女と満はお互いに、軽くお辞儀(じぎ)をした。


 これが、有栖兄妹(ありすきょうだい)の妹――有栖(ありす)雪奈(ゆきな)との初対面(ファーストコンタクト)であった。


 有栖雪奈は、学校(いち)(しょう)されるほどの美少女であり、学年問わず、男子生徒からの視線を集める存在であった。一緒のクラスともなれば、まるで有名人と一緒に学校生活送る、という非日常的な感覚を感じる者も多い。成績も優秀であったが、虚弱(きょじゃく)であるのか、ただ単に運動が苦手であったのか、体育の時間のほとんどは、いつも体育館、校庭の(すみ)っこで(ひざ)(かか)え座っている姿が見られた。

 入学したばかりのこの初対面(はつたいめん)時には、まだそれほど注目を置かれる存在ではなかったが、後にそれになるほどに十分な美貌(びぼう)は備えていた。


 雪奈には一つ上の学年に結兎(ゆいと)という兄がおり、兄もまた、雪奈に匹敵するほどの有名人であった。結兎は、白いワイシャツを開き、中の(うす)ピンクのTシャツが目印(めじるし)になっていた。


 第一印象として、少しチャラい印象があったが、実際に会った時には、とても友好的(ゆうこうてき)であり、(さわ)やかな印象を与えた。

 雪奈と同じ唯一の美術部員であったためか、結兎は、度々美術部に遊びに来ては、満に積極的に(せっ)し、友好を深めていった。


 愛想(あいそう)の良い、結兎とは対極(たいきょく)し、雪奈は周囲とは一定の距離を保っていた。


 満と雪奈は同じ学級であったが、教室にいる時も、雪奈は特に誰と仲が良いというわけでもなく、昼食時も、教室を抜け、どこかへ去って行った。(のち)に、雪奈が屋上で一人、昼食を取っているのを目にした時には、すでに、満は雪奈が周囲と関わりを持とうとせず、孤独の道を意図的に選択していることを知っていた。他者との関わりを切り離した雪奈の孤立は、彼女に、独りぼっちという負のレッテルを貼るどころか、文字通りの高嶺(たかね)の花という価値意識を学校中に定着させていた。


 そういった雪奈の性格を考えると、満は、周囲が(うらやむ)む存在であり、特別な例であることは間違いなかった。最初のうちは、放課後の美術室でも、二人は黙り、先輩の(ひと)(ごと)のようになっていた。

 満は、そのうちに心を開き、先輩とキャッチボールのように会話を交わせるようになっていたが、雪奈は相変(あいか)わらず、表情一つ変えず、キャンバスにひたすら向き合うのみだった。先輩と満が、雪奈に言葉のボールを投げても、雪奈は暖簾(のれん)(ごと)く――耳に(せん)でもしているかのように――それを避けた。


「何で美術部に入ったの?」


 雪奈が満に最初に話しかけたのは、入部してから三カ月後の、先輩が顧問(こもん)に呼び出され、教室を抜けた時であった。

 普段、授業中に国語の音読くらいであてられた時くらいでしか、耳にすることのなかった、その声は、森の中の静けさを帯びた、空気のように()んだ声だった。


 突然の出来事に、満が言葉を()まらせていると、雪奈は続けるように言葉を投球(とうきゅう)してきた。


「中学の時も、絵を描いていたの?」


「いやっ、その、中学の時は、サッカーをやってました」

 緊張のせいか、思わず敬語になる。


 雪奈は、意外そうな表情を浮かべ、ふーん、と鳴らした。


「子どもの時から、絵を描くのが好きで、中学の時は親に勧められて運動部をやってたんだけど、高校では美術部があったら絵を描こう、って思って……」


 冷汗(ひやあせ)が肌を伝うのを感じた。

 言葉もどこかぎこちなく、満は、じっと見つめる雪奈と目を合わせる事ができなかった。

 不自然にキョロキョロと、雪奈の視線を避けようとしているように、(ひとみ)が動く。


「静かよね。ここ」


 雪奈は、窓の外を見て言った。


「私、静かな場所、好きよ。絵を描くのも。あの先輩はお(しゃべ)りだけど、あなたは静かな人だから、少し好感を持っていたの。」


「あ、え……はぁ」

 余りにも満がペコペコしているせいか、雪奈は、満を見て、クスッと笑みをこぼした。


 雪奈はその後も相変わらず、無口であったが、満と雪奈の間には、何か特別な関係がゆっくりと築かれていった。誰かがいる時には、雪奈は満が話しかけたとしても一貫(いっかん)して無言のスタイルを通したが、二人きりの際は、必ず雪奈から話しかけ、会話に花を咲かせていた。


 雪奈にとって、満は心を許せる存在であったのだろう。結兎と二人で話した時、雪奈は心を許さない限り絶対に人と話をしないと、結兎が言っていたことを思い出す。雪奈と親友と呼べる間柄(あいだがら)かは微妙であったが、親しい仲であることは実感できた。


 雪奈は、満の前では、非常にお喋りであり、初対面(しょたいめん)の時とは想像できないほど表情豊かな人物であった。これが本来の彼女の姿なのであろう。度々(たびたび)町中(まちなか)の図書館やカフェで偶然に会う時でも、雪奈はとても良く話した。そして少々毒舌(どくぜつ)を吐くこともあった。


 ここまでの仲に発展したのも、思えば、雪奈とは多くの共通点があったために違いない。

 二人とも周囲とは距離を置き、絵を描くのが好きで、そして、静かな人の少ない場所を好んでいた。共通点が多かったからこそ、雪奈も心を開きやすかったのであろう。


 それから一年が終わり、学年が二年生になっても、二人は相変わらず、喧騒(けんそう)を避け、それぞれの世界を生きていた。


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