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 目を覚ましたのは、窓の外が明るくなり、車や自転車、誰かが階段を降りる音や包丁でまな板を叩く音などが聞こえる頃だった。


(みつる)ぅー! あんた早く起きなさい! 目覚まし鳴ってないのー?」


 ヒステリックな声が寝耳に響くと、満はハッと、上半身を勢いよく起こした。


 窓の外を見ると、(まぶ)しさに思わず、目を細める。

 

 もう朝か――。

 

 あれから何度か目を覚まし、その度に窓の外を確認したが、あの化物が再び現れることはなかった。

 

 結局、あれは夢だったのだろうか。



 久々に見た悪夢――。

 それも、現実性のある、最悪な悪夢だった。


 睡眠不足のせいか、満は大きなあくびをした。


 制服に着替え、朝食を食べながらテレビを見るが、特に変わったニュースは報道されていない。もしあの化物が、本当に町を徘徊(はいかい)していたのであれば、自分の他に誰かが気付いたのは間違いないだろうし、建物の一つや二つ、破壊されていてもおかしくはない。


 変わらない、平凡な日常が再び訪れていたことは、あれが悪夢であったと確信するには十分であった。

 

 夢だと分かると、心を蝕んでいた何か恐ろしいものに追われていた時に感じる恐怖は溶けるようになくなり、それに閉ざされていた罪悪感が、胸の中に広がる。


 天気予報の太陽マークが表示されているのを、満は牛乳を飲みながら、見つめていた。



 ――今日こそ、ヒナタに謝ろう。


「ごちそうさま」

 満は、一気に牛乳を飲み干し、学校へ向かった。



   *   *   *



 講習を終えると、ダッシュで満はあの港へ向かった。


 雲一つ見当たらない空。


 (せみ)不協和音(ふきょうわおん)が鳴り響き、じりじりと照り付ける太陽の光の中、満はあの場所へ駆けた。


 

 もしかしたら、夕方までヒナタは来ないかもしれない。



 それでも、待ち続けよう。



 待って、ちゃんと謝ろう。


 満は、バスを降りると、スクールバックを片手に、港へ直行(ちょっこう)した。


 日陰(ひかげ)のほとんど見えない港につくと、満は息を切らし、膝に手をついた。

 (ひたい)から流れ落ちる汗を手で(ぬぐ)うと、辺りを見渡す。

 


 ――ヒナタの姿は見えない。

 

 満は木陰(こかげ)のベンチを見つけると、そこに座り、ヒナタを待った。

 

 ヒナタを待ち続けた。


 待ち続けた。


 しかし、夕方になっても彼女が満の前に現われることはなかった。


 日が落ちるギリギリまで待ったが、人通りが少なくなった、港にヒナタは訪れない。



 また、明日来てみよう。


 満は、少し肩を落としたが、立ち上がり、その日はそのまま帰宅した。



 地上の水分を奪い取るかのように、暑い夏の日は続き、満はヒナタを待ち続け、四日経つ。



 ――もしかしたら、ヒナタはもう自分の事を嫌いになってしまったのかもしれない。


 あんなことを言ったんだ。当然だ。


 ここの場所も嫌な思い出の場所に変わってしまったのかもしれない。


 けど、どうしても彼女にこの言葉を伝えたかった。


 ごめん。と――



 許してくれなくてもいい。



 けど、せめて、この言葉は言いたかった。


 不本意にも傷つけてしまったことを後悔しまくったからだ。

 ずっと優しくしてくれた彼女を傷つけたまま、別れてしまうのは何よりも嫌だった。


 満は、その夜、パソコンを開き、ヒナタ着ていた制服と同じ制服の学校を探した。


 近くの学校、市内の学校、県内の学校――。

 ホームページを(めぐ)りに巡り、似たような制服はあるものの、ヒナタと着ていたものと一致する制服は見当たらなかった。


 市立翔凜(しょうりん)高校。一番ヒナタの着ていた制服に近い高校だった。


 (わず)かな望みにかけ、満は翌日、講習を終えると、駅から二つ目の駅へ電車で向かい、翔凜高校を訪れた。


 校門前で、話している女子生徒に、満は声をかける。


 もう異性で(ひる)む暇はなかった。


 ヒナタという名前、容姿。それらをできる限り詳しく説明して尋ねたが、女子生徒たちは首を横に振った。

 他に校舎から出て来る男子生徒や教師にも尋ねてみたが、そのような生徒はいない、と返されるばかりだった。


 どうやら翔凜高校ではないらしい。


 しかし、ネットで見る限り、他に似たような制服の高校はなかった。


 ――だとすると、ヒナタは一体どこの高校に通っていたのだろう。


 以前、ヒナタに同じような質問をしたことがあったが、彼女は港から近くにある高校、とのみ言うだけで、それ以上の事は言わなかった。それ以降、その質問は些細(ささい)な事で、再び彼女に問いかけることはなかったが、今になってそれは、大きな疑問へと姿を変えていた。


 そういえば――



 ヒナタのことを回想している中、彼女に馴染みのある場所がもう一つあることを思い出す。


 かきのき商店街。


 古町(ふるまち)にある、あの商店街。

 ヒナタはよくあそこに通っていると言っていた。


 もしかしたら――


 満は、すぐに駅へ向かい、電車に乗ると、新潟駅へ引き返した。

 幸運な事に、万代口(ばんだいぐち)のバスターミナルには、すぐに古町へ出発するバスが停車しており、満は飛び込む様にバスに乗る。

 

 萬代橋(ばんだいばし)を渡り、古町の停留所で降りると、走って、かきのき商店街へ向かった。


「すいませんっ!!」

 

 満の声に、あの八百屋のおばちゃんは、振り向いた。


 息を切らす満に、おばちゃんは思い出したように声をかけた。


「あぁ、君はヒナタちゃんの!」


 満は呼吸を整える間もなく、途切れ途切れに尋ねる。


「あの……ヒナタ、今日来てませんか……?」


「そういえば、最近全然見ないね~」


 おばちゃんは、首を傾げ言うと、隣の魚屋のおじさんが、横から入り込む。


「俺、この前見たぞ」


 満とおばちゃんは、おじさんの顔に視線を向ける。


「二日くらい前だったかなぁ。ちょっと駅近くに用事があってな、夕方くらい。そこでヒナタちゃん、見たんだよ。」


「それはどこらへんですか!?」


「駅の近くに居酒屋とかが立ち並ぶ路地あんだろ。夕方あの辺で見たんだよ。俺も仲間と一緒で、人通りも多かったから声かけようとしたんだけどさ。何か急いでる感じでどっかに走って行っちゃったんだわ」


「ありがとうございます!」

 満はそう言うと、(きびす)を返し、急いで商店街を後にした。


「ヒナタちゃんに宜しくねぇ~」

 

 駅前に来ると、夕闇が町を包みはじめ、帰宅する人で(にぎ)わいを見せ始めていた。


 満は、すぐに、おじさんの言っていた路地へ向かう。

 路地は、ネオンや提灯(ちょうちん)で照らされ、客寄せする若者や、仕事を終えたサラリーマンで(あふ)れていた。

 

 満は、汗にまみれながらも、ひたすらに路地を駆けまわった。


 人混みの中、制服の女子高生が目に付くたびに、ヒナタかと思うも、ヒナタではなかった。


 日は落ち、(よい)の口が訪れる。


 満は、昼間から走りっぱなしで、足はすでに疲労を訴えていた。

 膝に手をつき、足が止まる。


 もう二度と会えないのかもしれない。


 今まで満を突き動かしていたものが、揺らいだ。

 




 満は、首をあげた。




 目についたそれに、満は目を丸くする。

 

 人々の隙間(すきま)をその二つは、するりと抜け、水中を泳ぐようにいた。

 体表はヌルヌルとしている質感が伝わるように光沢を持ち、ナマズのように長い髭を生やしている。


 水竜。


 蛇のような胴体を動かし、宙を駆けるその姿は、小さな竜のようであった。

 

 二つに光る、赤い瞳。


 満は、思わず息をのんだ。



 以前目にした怪物。

 形状と大きさは異なるものの、その体の表面とあの赤い眼、この世と異質をなすその姿は、悪夢に見た、あれと同じものであった。


 その二匹は、宙で止まり、会話をするように、髭を擦り合わせている。

 

 その二匹に他の人は見えていないのか、気にかける人はいない。


 周囲の反応から見て、満は、その二匹が自分にしか見えていないことを確信した。

 二匹は、何かを見つけたように、首元を上げると、人混みの中、泳ぐように走り始める。


「な、待て!」

 満は、無意識に声を上げると、その生物を追い、後を駆けた。


 目でその生物を捕らえ、左右に出る人を避けるように、走る。


 その生物が、建物と建物の間道へ入ると、満も、その角を曲がった。

 

 その生物の動きは、満から逃げているようにも思われたが、その角を曲がると、それらも追いかける側であったことに満は気が付いた。


 角を曲がった一本道。


 その二匹の先には、背を向け走る、あの金髪の少女の姿があった。


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