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 数日、夏の空が広がる晴天が続いたが、再び薄暗(うすぐら)い雲が町の空を覆っていた。


 雨自体はそんなに(ひど)くないものの、気分屋で、降っては止みの繰り返しだった。


 (みつる)が、校門から学校を去る時には、再び雲が立ち込め、雨脚(あまあし)が降り注いでいた。


 その天気は、満の心を映し出しているかのように、不機嫌で不安定な、そんなものだった。



 あんな風に責めるつもりはなかった。



 その日は朝から立て続けに不機嫌にさせる事が起こった。

 携帯のアラームアプリの不具合で、遅刻をし、午前中の夏期講習では宿題を忘れ公開処刑をくらわされ、おまけに急な雨と来たものだから、憮然(ぶぜん)としてしまうのも仕方(しかた)がなかった。


 雨音の中、()いのような感情が、胸の奥底に重みを帯び、居座(いすわ)った。


 

 ヒナタが濡れる事を非常に嫌うことは知っていた。


 

 雨が降っている時は、必ず現れないことも。



 だが、それにも関わらず、満はヒナタを怒り、責めてしまった。



 出かける約束をしていたのだが、天気予報が外れ、ちょうど待ち合わせの時間に小雨(こさめ)が降った。

 

 このくらいの雨であれば、来るだろう。


 傘を差せば(しの)げるほどの、優しい雨。



 しかし、現実は容赦なかった。

 約束の時間を二時間も待ったが、弱弱しく雨は降れど、ヒナタはその場に来ることはなかった。


 ヒナタの連絡先を聞いて置けば良かったと最初は思ったが、この程度の雨でも来ない、ヒナタに、満の腹はグツグツと静かに()えていた。


 約束の時間に訪れないことよりも、約束より自身が濡れない事を優先したことが、なおさら、満の青筋(あおすじ)を立てた。


 ヒナタがようやく来たのは、雨がもう店じまいをし、(あかね)色の空が広がり始めた頃だった。

 (かんむり)を曲げてしまった満に、ヒナタは会うなり、すぐに謝罪をしたが、その謝罪に含まれていた言葉が、満の癇癪玉(かんしゃくだま)を爆発させた。


「ほんとーに、ごめん! 雨が降ってきちゃって、早く行かないと、って急いでたんだけど、中々止まなくて……」



――雨が降ってきちゃって。



「傘はなかったの?」


 自分でも驚くほどに、落ち着いた恐い声だった。



「傘は……ちょっと」


 ヒナタは目を()らし言う。


「そんなに濡れるのが嫌なの?」

 ヒナタは、静かにコクリと(うなず)いた。


「約束破ってまで、自分のことを優先するん……だね。」

 ヒナタは、怒りの(にじ)んだ満の言葉を聞くと、ブンブンと横に首を振った。



「違うの、そうじゃないの。」


「じゃあ、何なの? 水アレルギーとかなの?」


「アレルギーとかじゃ……ないけど……」

 目のやり場に困っているように視線をそらし、小さな声で言うヒナタに、ついに満は風船を爆発させたように、せきをとばした。


「じゃあ一体何なんだよ!! ただ単に濡れるのが嫌なんだろ!? アレルギーとか、そんなんじゃないなら、この程度の雨、来ようと思えば来れただろ!? いい加減にしろよ!!」



 ――やってしまった。

 朝からのむしゃくしゃを、全て乗せてしまった。


 直後、怒りの蜃気楼(しんきろう)の中に、後悔の冷たい風が吹いた。


「本当に……ごめん……。」


 線香花火が落ちるように、しゅんとした声だった。


 ヒナタと満は、二人の時間だけが一瞬止まったように、静止した。



 ――ここで許して謝ろう。


 それは、「謝ればよかった」という言葉に変わった。



「満っ……」

 その声が後ろから聞こえた時には、満はすでにヒナタに背を向けて、歩きはじめていた。


 ――今ならまだ間に合う。


 しかし、意固地になったもう一人の自分は、その足を止めようとしない。

 

 結局後ろに振り返ることもなく、満は、その場を去っていった。



   *   *   *



 雨は次の日も、また次の日も振り続けた。


 黒板の前から、熱弁する声が聞こえるが、満は、窓から流れ落ちる雨粒を見つめていた。

 

「最近、元気ないわね。」

 美術室でイーゼルに向かう雪奈(ゆきな)が、満に声をかける。

 

 その声にハッとする。

 いつの間にか、講習は終わり、美術室まで来ていた。

 

 返事のない満に、雪奈は息をつき、再びイーゼルに視線を戻した。


「まぁ、何があったのかは分からないけど、私にできることがあれば、相談に乗るわよ。」


「ありがとう。けど、大丈夫。」



 本当は大丈夫なんかじゃない――。


 しかし、こう返す他に、言葉が浮かんでこなかった。


 この状態を学校にまで持ち込むのは、いけないことだと思ってはいた。


 こういった感情は、雪奈との間にも、(わだかま)りの様な壁を築いてしまう。


 なるべく、学校では普段通りに過ごそうと、満は努力した。


 心に戻って来た、寂しさのような何かが渦巻くことを必死に隠し、振る舞った。


「……そう。」


 (かん)の良い雪奈が、満のそれに気が付かないはずがなかった。しかし、満のことを気(づか)った上での判断なのか、雪奈はそれ以上それについて言及(げんきゅう)してくることはなかった。

 


 夕方になると、雨は止み、夜には星空に町は包まれた。


 夜のとばりの中、蛙の鳴き声、水が落ちる音、車が近くに来て遠くへ去る音が静かに響く。


 青白い柔らかい月の光が、窓から差し込み、寝入る満を照らしていた。


 目を覚ましたのは、二時を少し過ぎた頃であった。


 満は、何かに起こされたかのように、(まぶた)を開き、目を(こす)り、上半身を起こした。


 まだ、昼間に感じていた、騒めく何かが静かに胸の底で満を(あお)っていた。

 またあの後悔の念が、ヒナタの見せた寂し気な顔とともに、脳裏に浮かぶ。


 ため息をつき、満は窓の外に視線を向けた。




 満はその息を止めた。




 ――止められてしまった。いや、奪われてしまったのだ。




 四角いビルの黒い影の中、そこに、巨大なそれは、歩く様に動いていた。


 山羊(やぎ)のような角が、後頭部から突き出し、渦を巻いている。


 人型なのか、よく分からないが、確かにそれには腕のようなものもついている。


 それを前につき、下半身を引きずるように町中を進む、山のようなそれに、満は言葉を失った。



 目を思いっきり(こす)り、(まぶた)を見開きしたが、確かにそれは、はっきりと視界にうつっている。


 月光に照らされ、その体はシャボン玉のように表面と複数の赤い瞳を輝かせている。よくみれば、巨大な牙のような口元も見える。

 

 窓越しに広がるその光景に、満は、思わず、腰を抜かした。



 その化け物は、何かを探しているように、周りを見渡し始めた。


 赤い瞳が八つほど、光っている。



 気付かれたのか、その化け物と思わず目が合ってしまった――。



 満はすぐに、窓から見えないように体をうずくめた。

 

 焦燥(しょうそう)と恐怖が立ち込める。

 満は、思い切りに瞼を結んだ。



 暗い視界の中。



 近づいてくる足音もしない。



 満は、窓枠に汗濡れた手をかけ、ゆっくりと、窓の外を(のぞ)いた。


 蒼い星空の広がる、静寂に包まれた町――。

 

 満は、膝をたて、首を振り、辺りを見渡すも、怪物の影すらもそこにはなかった。


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