第十二話 グランドゼロ
ブラックソウルの言葉に莫邪がのけぞる。
『へえ、びっくりだね。バイオテロルで汚染された中心地かい。そんなところに何があるのかな?』
ゴスロリ人形の言葉にブラックソウルが答える。
「グランドゼロ。つまりあんたが言うように生物兵器によるテロルの中心地のことだが、そもそもテロルが本当にあったと思うか?」
莫邪が答える。
「そもそも生物兵器による汚染など存在しないという噂なら聞いたことあるが」
『汚染区域に入っても、いわれてるように発病して死んだ人なんていないよね』
「そうだ。そもそもここを隔離することが目的で、テロルが演じられたんだ」
「まさか」
莫邪の言葉に、ブラックソウルが答えた。
「まあ、信じなくてもかまわないがね。グランドゼロ。あそこにはバイオテクノロジーにより様々な医薬品を開発している多国籍企業メビウスの研究所があった。そこで開発された生物兵器の実験を行うためにここは隔離されたんだ」
「つまり今汚染されているわけではなく、今後汚染されたときのリスクを減らすために?」
「そうだ」
「あほな、それやったらそもそもこんな街中に研究所を造る必要が無い。どこか辺鄙なところでやれば」
ブラックソウルはどこか邪悪な笑みを浮かべる。
「そうじゃない。ゾーン自体が大きな人体実験場だとしたらどうだい」
「まあそれなら理屈はあうかも。そやけど、それにしては隔離が中途半端や」
「まだ、実験がその段階に達していないのだろうな。それとおそらく最終的には実験範囲は日本全体に拡大される」
「なんやて」
ブラックソウルは楽しげに言った。
「今の日本は世界のごみだめみたいなものだ。現代において、国際社会から消失しても一番誰も困らない国はおそらく日本だ。それは冷戦体制の崩壊、つまり日本が反共産主義の極東防衛ラインとしての意味づけを失った時点で決定付けられたことだがな」
『ごみだめねえ。言い得て妙だねえ』
「あほ、何感心しとんねん」
ゴスロリ人形のつぶやきに、莫邪がつっこむ。
「で、グランドゼロから何を盗むというのや」
「生物兵器の人体実験があそこでなされている。その検体だよ、おれの欲しいものは」
「つまり死体?」
「まあ、まるごとひとつはいらない。組織を一部切り取ることができれば、どんな実験が行われているのかは判る」
ふん、と莫邪は鼻をならす。
「やっかいそうな仕事やな」
ブラックソウルは優しげに言った。
「やめるかい?」
「あほいえ。ここまで聞いて断ったら、あんたに消されるやろ」
あははは、とブラックソウルが笑う。
「そいつはどうも」
「で、どうするんや。計画から実行まで全部おれらに丸投げしたいんやったら、それでもいいで。ただ値段は高くなるけどな」
「いや、こちらの実行計画に従ってもらう。おれのチームのメンバとして動いて欲しい。まずおれのプロジェクトベースへ来てもらう。そこでシミュレータを使ったリハーサルを数回行う。実行は一週間後」
莫邪は立ちあがった。
「OKや。それなら安くしとくで。基本料金だけやからな。とりあえず、行こうか。あんたのプロジェクトベースへ」
◆ ◆ ◆
グランドゼロ。
かつて製薬会社メビウスのビルであったが、今ではただの廃墟にすぎない。巨大な墓標のように暗黒の空に向かって聳えたっている。
私たちの乗ったワゴン車はその聳え立つ漆黒の廃墟が間近に見える地点で止まった。
グランドゼロを監視している兵士たちに見つからない、ぎりぎりのポイントだ。私と莫邪、それに月影が車から降りる。
車を運転していたプラックソウルは、少し笑みを見せるとその場から去っていった。
ブラックソウルは、別の場所から連携をとる。
私たちは廃ビルのひとつに入りこむ。周縁部には溢れかえっている浮浪者たちも、さすがにこのグランドゼロの近くには見当たらない。生物兵器に汚染されているといわれる区域に、好き好んで入りこむようなものはいないということだ。
暗視ゴーグルを装着し、私たちは廃ビルの地下へと入りこむ。そこは、なんらかのマシン設備が設置されていたところらしいが、今はがらんとした洞窟のようだ。
「やれやれ」
莫邪がつぶやく。
「こんなくそ重たいものを装備するはめになるとは」
確かに、私と莫邪の背負うバーレット・アンチマテリアル・ライフルは14キロ以上あり、実際長距離狙撃をするわけでもない今回の作戦にはやっかいなだけのしろものにも思える。
『んじゃ、おいていけば』
月影のバックパックに固定されたゴスロリ人形の突っ込みに、莫邪がほやく。
「あほいえ、おれたちの相手は人間やないからなあ。おまえはいいよな」
そういわれた月影の背にあるのは、蝙蝠傘だけである。ダークグレーのインバネスに蝙蝠傘とゴスロリ人形を装着したバックパックを背負っているという奇妙な風体なのだが、彼の奇天烈さには多少なれたせいかそれほど不自然に思わなくなった。
ただ月影も軽装備というわけではなく、片手に端末をおさめたケース、そしてもう一方の手には地上においてきたアンテナに接続されたケーブルを持っている。
私たちは洞窟のようなその地下室の最奥に辿り着いた。そこには頑丈そうな鉄の扉がある。両手の荷物を降ろした月影は、そのドアノブに手をかけた。
「あれ、開いてないよ」
私は舌打ちする。あまりここで時間をとる予定ではなかった。
「斬ろうか」
月影は、莫邪に問いかける。莫邪は首を振った。
「いや、おれがやっとこ」
莫邪は気軽に言うと、左手のグローブをはずす。漆黒の義手が顕わになる。
まるで、バターを斬るようだった。
漆黒の義手はあっさりと鉄製のドアのノブを円形に切り取る。驚いた私に笑いかけると、ドアを開いた莫邪が私を招く。
「レディ・ファーストでいっとこか」
『あんたもレディだろ』
「まあ、そうともいうが」
私たちはその奥へ入りこむ。階段が下っている。酷く狭い。
月影の持っていたケーブルはここまでだった。終端についた中継アンテナを立て、階段の上端に設置する。私たちは狭い階段を下ってゆく。薄暗い照明が入っており、ここから先は暗視ゴーグルは不要だ。
やがて、地下の配管トンネルに辿り着いた。そこは巨大な獣の体内に入りこんだ気にさせられる場所だ。丁度人の背丈くらいの高さと幅を持ったトンネル。その壁は様々なケーブルやパイプによって覆い尽くされていた。
ある意味それは、臓器的な形態を持っている。私たちは、そのトンネルを歩き出した。
莫邪は私の左手への視線に、微笑みで答える。
「この手が気になる?」
「まあね」
「ま、いってみればある種の生物兵器なようなものでね。こいつは虫でてきている」
「虫?」
「ああ。人工的につくりあげられたナノサイズの虫。その虫が身体の表面に微細な黒鉄砂をつけて、おれの左手を擬態している」
「驚いたな、一体どこでそんなものを?」
「ま、色々あってな」
「あったよ」
月影の声に、私たちは立ち止まる。そこから先はフェンスで閉ざされていた。フェンスの周りには様々な探知装置がついていて、その向こうへ入りこもうとすると警報装置が作動するしくみだ。そのフェンスの奥こそ、グランドゼロへと繋がる道があった。
フェンスの奥へと続くケーブル群に、点検装置が装着されている。点検装置を通じて、光ファイバーケーブルから何本ものメタルの構内線へ分岐させる分岐装置を、コントロールすることができるらしい。その点検装置のパネルを月影は開いた。開かれてあらわになった点検装置のパネルに、ケースから取り出したノート型の端末を接続してゆく。
ノート型端末の液晶ディスプレイにネットワークのイメージ図が表示された。二系統のラインが表示されている。片方はブルーに輝き、アクディブであることを示し、もう片方は灰色で待機系であることを示していた。
「OK、待機系に繋がったよ」
「よし、ブラックソウルに連絡や」
莫邪の言葉に、月影はトランシーバーのスイッチを入れる。
「こっちはスタンバイOKだよ」
(判った)
トランシーバーからブラックソウルの声が漏れる。そして爆発音。と同時に、液晶ディスプレイに表示されていたアクディブ側のラインが、ブルーからレッドに変わった。そして、灰色だった待機系のラインがブルー表示に変わる。ブラックソウルがアクディブ側の光ファイバーケーブルを増幅装置ごと爆破したためだ。
「ここのラインがアクティブになったよ」
「よしっ、ゴーだ」
莫邪の声に、月影は端末を操作する。ディスプレイに表示されたラインが両方レッド表示になった。
「ウィルス注入完了、あと五秒でシステムダウン」
「5、4、3、2、いくぜ」
莫邪は一呼吸おくと、漆黒の左手でフェンスを切り裂く。警報装置は沈黙したままだ。私たちはフェンスを乗り越え、ブラックソウルを待つ。
ブラックソウルは十分ほどで現れた。




