第十話 ヴァンパイア・アルケー
ブラックソウルは片手をあげる。
全ての音が消えていた。まるで、時間が止まったようだ。私たちは突然、闇の中に裸でほうりだされたように不安になる。
さっきまで踊り狂っていた若者たちも、不安げに立ち尽くしていた。ただ一人。嘲笑を口元に貼り付けたブラックソウルがマイクを手に取る。
「見ろ、狩人たちが来た」
ブラックソウルが上を指差す。私ははっとなって見上げる。
光と音が炸裂する。スタングレネードだ。
パニックが起こった。
皆、出口めがけて走り出す。何人かが押し倒され踏みつけられ、悲鳴があがった。
高い所にある、窓が割れる。もう一度、スタングレネードが投下された。閃光と轟音が消えた後に、数人の男たちが倉庫の中に降りているのに気づく。
三人一組らしい男たちは四箇所から侵入したようだ。男たちは暗視ゴーグルをつけ、都市迷彩ふうにグレーの彩色がされた戦闘服姿をしている。腰だめにした短機関銃を小刻みに撃ち、逃げ惑うものを巧みに誘導していた。
その手際のよさ、場慣れた様子はどうやら狩人らしい。私はゾーン内部まで入りこんで来たことに軽い驚きを覚えるが、元々非合法機関である狩人たちの組織にとってゾーンの中であろうと関係無いということか。
短時間で、その倉庫を満たしていた若者たちは駆逐された。この広い空間に残されたのは、狩人たちを除けば私とブラックソウルだけだ。
私の身体にレーザーの光がポイントされる。気配を感じて、上を見上げると割れた窓から狙撃手が私に狙いを定めていた。どうやら、ここで決着をつけたいらしい。おそらくここの周囲は武装した狩人たちで固められているのだろう。
ブラックソウルはただ一人、悠然と笑っている。死者の国の、王を思わせる表情で。
ブラックソウルはマイクをとった。
「ようこそ、おれのショウへ」
ブラックソウルは妙に上機嫌だ。狩人たちは黙殺している。意識は私にのみ集中していた。
「といったものの、見てのとおりショウはまだ始まっていない。しかも主賓が登場していない。そろそろショウを始めようか」
ブラックソウルの後ろで、設えられた祭壇の十字架がゆっくり倒れる。鈍い音をたてて十字架が地に落ちるとともに、棺桶の蓋が静かに動いた。
「紹介しよう。彼女こそ、ヴァンパイア・アルケー、ヴェリンダ・ヴェック」
狩人たちに動揺が走るのが判った。ヴァンパイア・アルケー。それは、狩人たちの最大の宿敵であると同時に、最悪の強敵である。
夜の眷属と呼ばれるものたちは私もふくめ、元は人間だった。私たちはヴァンパイア・アルケーと呼ばれる存在によって夜の眷属にされたのだ。私たち自身に新たに夜の眷属を創り出す力は無い。
そして、棺桶の蓋が落ちた。
闇の濃さが増す。
瘴気が流れる水のように溢れ出し、倉庫を満たしてゆく。
闇はまるで命を得たように、狂乱の気配を振り撒いていった。私は全身が総毛立つのを感じる。私は幻惑を感じた。この空間に漆黒のメエルシュトロオムが生じたかのようだ。そして、その中心に棺桶がある。
ゆっくりと。
闇色の太陽が昇るように、ヴァンパイア・アルケーが立ちあがった。
闇が祝福するように膨れ上がる。
漆黒の肌に黄金の髪。誇り高い闇色の野獣のような美しい裸体を晒しながら我が女王、ヴェリンダ様が静かにステージに降りた。
私は跪いて、女王を迎える。
狩人たちは一歩も動けなかった。予期せぬ事態に遭遇したのだから、撤退すべきなのだろうが、その判断力すら失っている。
それほどに。
ここの闇は深い。人間が原初の世界で出会ったであろう闇への恐怖。それがここにはリアルに渦巻いている。
ただ一人。
ブラックソウルだけは上機嫌に微笑んでいる。まさに自身の主催するショウを楽しむプロモーターとして。
ヴァンパイア・アルケーは厳かに語る。
「さて、家畜ども。私のために自らの血を差し出しにきたか。それは重畳。しかし、おまえたちのように無様で醜い家畜の血を余は好まぬ。おまえたちは家畜の中でも特に醜く愚かで脆弱なものだ。そんなおまえたちの穢れた血はいらぬ」
闇が微笑んだ。
ぞくりと。
戦慄が走り抜ける。
「それでも余のためにわざわざ血を差し出しに来たものを追い返すほど、冷酷ではないぞ。褒美をとらせる。喜ぶがよい。おまえたちに、より美しくより相応しい身体を与えてやろう」
どさりと。
上の窓から狙撃手たちが落ちてきた。
まるで虫のように、そのものたちはぐねぐねとのたうちまわる。その身体は次第に膨張していった。その顔は数倍に膨れ上がる。巨大に広がった口から苦鳴がもれた。
「ぶひい」
豚の叫びだ。戦闘服が破れ、豚の身体が顕わになる。手足は縮み胴だけが丸々と膨らんでいく。狙撃手は完全に豚へ姿を変え終わると、豚の声で悲鳴をあげながら倉庫の隅へ逃げ込んでいった。
残りの狩人たちも、床へ崩れおちる。皆、うねうねとのたうちながら豚へと変化していった。豚たちは、怯えながら倉庫の隅へと逃げ込む。
拍手の音が鳴り響く。
ブラックソウルだ。
ブラックソウルは満足げな笑みを浮かべながら、ゆっくりと前へでる。
「いいショウだった。楽しんでもらえたかね」
ブラックソウルは、私の前に立つ。狼の笑みを浮かべたブラックソウルは私の前を通りすぎ、床に落ちた短機関銃を拾う。
そして、その銃をフルオートで撃った。金色に光るカートリッジが飛び散る。ブラックソウルは弾倉を次々と換えていった。銃弾を浴びた豚たちは、悲鳴をあげなが死んでゆく。
豚たちが血臭を残し全滅した後に、ブラックソウルは銃を捨て再び私を見た。
「エリウスは見つかったかね」
私は首を振る。
「おれは押さえているよ。エリウスの居場所も、ヴァルラの捕らえられている場所もね。おれとともにこい。ヌバーク。おまえの王を救ってやろう」
私は頷く。
ブラックソウルは信用できない。しかし、ブラックソウルはかつてこのデルファイで幽閉されていたヴェリンダ様を救ったのだ。そのことによって、ブラックソウルはヴェリンダ様の夫となった。ある意味、エリウスと同等の能力を持っているのだと思う。ブラックソウルに従わざるをえないだろう。
そして何より、私はヴェリンダ様と行動を共にできることが嬉しかった。




