第八話 夜の眷属
轟音。
私は、火炎と黒煙の中で気がつく。
私の身体は、無惨な状態だった。胴や胸を金属の破片が貫き、手足の骨はへし折れ、あらぬほうへ曲がっている。幼児が弄んだ末、放り投げた玩具の人形。私の身体はそういう状態で炎の中にあった。
意識は朦朧としている。
時折、脳の中に断片的な映像が浮かび上がった。凄まじい轟音と光。全身を貫く衝撃。そして、全てを破壊する貪欲な火炎。それらの記憶が次々と浮かび上がっては、消えて行く。
私は、それでもあたり前のように立ちあがった。
ずたぼろになった服が纏わりつくのを毟り取る。炎の中から歩みでた。私の身体は10回くらい死んでも不思議はないくらいほど破壊されていたはず。
私は夜の闇の中に、漆黒の裸体を晒した。私の身体は既に修復されつつある。焼け焦げた皮膚は剥がれ落ち、下から新しい皮膚が姿を現す。そして、破壊された骨は元通りに接続されてゆく。
私の記憶が私に囁きかける。こんなことはあたりまえだと。
(私は夜の眷属なのだから)
そう。
私は夜を支配する者たちに属する。そして、人間たちに狩られるものでもあった。
石で出来た道。その上を歩いてゆく。
ここはどこだろうか。
夜の中に浮かび上がる輝く塔が、見える。
記憶が次第に形をなしてゆく。
ここはデルファイ。死霊の都。そしてここには、もう一つの名がある。ここに住まう人間どもの呼び方。それは新宿という名。
残骸と化している私の乗っていたアルファロメオは、高速道路の高架下で炎をあげ私の裸体を照らしている。私のアルファロメオを破壊したのは、人間の狩人。その狩人たちが、もうすぐここにもくるはず。
しかし、私の目的地はもう目の前だ。ゾーンと呼ばれる場所。
高圧電流の流れるフェンスによって囲われたその場所は、もう目の前に来ている。
記憶が流れ込んでゆく。アルケミアでの私の記憶。そう、私の名はヌバーク。攫われた王を救うためにここへ来た。
ようやく狩人たちの到着した気配がある。狩人たちは、ヘッドライトを消したワンボックスカーを私の後ろに止めた。
十人近い男たちが私の後ろに展開してゆく。
私は振り向く。レーザー照準機の発する光の点が、私の身体に灯る。それは夜の空に輝く星々のようだ。
『夜の眷属』
そう、私は夜に属する。夜こそ私の時間だ。
あるものは、「ヴァンパイア」という昔ながらの名で私たちを呼ぶ。私たちは日の光を浴びることを嫌い、人の血を啜って生きてゆくから。
しかし、私たちはの存在の本当の意味は別のところにある。私たちはアルケミアの貴族たちに属したものであり、アルケミアの記憶を保ったままこのデルファイへ来ることができるものだ。
凄まじい閃光と轟音。
狩人たちが放ったグレネードランチャーだ。人間であればその轟音と閃光に五感を奪われ、一時的に行動不能となる。しかし、私にはなんの意味も無い。
私は跳躍した。銃弾が私のいた場所を通過する。
狩人たちは銀でコーティングされた銃弾を使用していた。それは、私たち夜の眷属に唯一傷をおわせることが可能な物質だからだ。
けれども、愚鈍な人間の力で私たちに銃弾を命中させるのは容易なことでは無い。
私たちはあらゆる意味で人間どもよりも優れている。だからこそ、愚かで脆弱な人間たちは私たちを狩るのだ。
かつて哲学者は弱者こそ闘争に勝利すると語った。確かにそうなのだろう。人間はあまりに脆弱でかつ醜すぎた。無様な存在として生れ落ちた憎しみを、私たち完全なる存在に向け、狩りたてる。私たちには、人間のように醜悪な憎しみを持つのは不可能だ。だから最後に勝利する弱者=人間というのは正解なのだろう。私たちは闘うには誇り高すぎる。
私はフェンスの上に立つ。
高圧電流が火花を散らし、私の身体を蒼白く燃え上がらせた。このフェンスの向こうは『ゾーン』だ。狩人たちもそこまでは追ってこない場所。
私は夜の闇に向かって哄笑する。レーザーの光が、火花を散らし燃え上がる私を捕らえた。
再び銃弾が放たれるが、それは虚空を貫いたに過ぎない。
私はゾーンの中に降りる。
夜の闇より尚昏いその場所。そこがゾーン。
侵入した私に、ゾーンの内部からスポットライトが浴びせられる。私は素早く跳躍してゆき、廃墟と化した建物の中へと侵入した。
ここは、脱出しようとするものに対しては厳しい対処が行われるが、内部に入りこむ者に対してはむしろ大雑把な対応しかされていない。しかし、現実には外の世界との出入りは黙認されている部分があった。
ゾーンとはバイオ・ハサード・ゾーンの略称である。未知の生物兵器によって汚染された区域という名目で閉鎖されている地域のことだ。新宿の中心部、半径5キロメートルくらいの範囲。ただ実際のところの汚染状況は、よく判っていない。
ゾーンは自衛隊の兵士たちが要所、要所を警備している。内部は生物兵器の汚染が残っているはずだが、その被害にあった者はほとんどいない。汚染されたものを外に出さないという名目で厳重な警備が敷かれているものの、実際には汚染物質など存在しないのではないかとすらいわれていた。
私は廃墟となった建物の地下へと入りこんでゆく。地下は、完全な闇だ。夜の眷属である私にとってはむしろ親しみやすい空間といえる。
私は冥界のように暗い闇に閉ざされた地下街へと下っていった。こんな場所でも人の気配がある。
ゾーン内部には様々な人が生活していた。なぜ汚染区域に人が溢れているか。それは、この新宿のある国、日本が完全に破綻しているからだ。
二十一世紀を越えてまもなく、経済的に破綻しきった日本の紙幣は紙屑同然まで価値を下げた。完全失業率は30%を超え、街は浮浪者と犯罪者に満ち溢れている。
ゾーン内でおこるできごとに対して、警察や自衛隊は決して介入しない。あくまでも彼らは、そこから出るものを射殺するのみだ。それもあくまでも乏しい予算の範疇での話だが。よって、犯罪者にとってゾーンにさえ逃げ込めば、とりあえずの身の安全を確保できることになる。
また、借金を抱えたものが逃げ込むこともあれば、テロ組織が拠点を持つために利用するケースもあった。ここはダークサイドを生きるものたちの楽園ともいえる。結果的にゾーン内には様々な人間で満ちていたが、自衛隊も警察もそこに介入する気は無い。彼らはフェンスの警備をするだけの予算しか与えられていないのだから。
地下街には浮浪者が棲息しているポイントがいくつかある。彼らは群れて集落を作っていた。そうした場所は簡単なテントや、照明があるため見れば判る。そうした浮浪者たちが私に気づいたようだ。
裸体で、ゾーンに迷い込んだ黒い肌の女。彼らから見れば私は、何かのトラブルでここに逃げ込んだ者なのだろう。
浮浪者たちは私を遠巻きにしつつある。捉えれば、女である私を利用する術があるとでも思っているのか。彼らは手にした懐中電灯の光を私に浴びせる。
私は立ち止まる。
浮浪者たちも立ち止まった。
半径10メートルくらいの円を描いて私をとりまく。
彼らは手にナイフや棍棒、鉄パイプを持っていた。銃を向けてこないのは持っていないというよりは、私を殺したくないということなのだろう。
私は獲物を見る獣の目で、彼らを眺める。
円の向こうにリーダーらしい男がいた。少し小柄で、目つきの鋭い男だ。比較的程度のいいものを着ている。私の狙いが決まった。
鉄パイプを持った男が一歩前に出る。
「おい」
その男の言葉と同時に私は跳躍していた。浮浪者たちの頭上を越え、リーダーらしい男の前に立つ。その男が何かを叫ぼうとする前に、その顔を鷲掴みにする。
軽く力をいれた。あっさりと首がねじ切れる。血が鈍い鉄色の光を放ち、しぶく。
私はその首をほうりなげた。
円の中央に生首が落ちる。
浮浪者たちは何が起こったのか一瞬、判らなかったようだ。私の動きが速すぎたせいだろう。生首は何も言わず、暗い虚空を睨んでいた。
浮浪者たちはようやく事態を認識したらしく、一斉に私のほうを振り向く。私はリーダーの男のポケットにあった銃を取り出す。38口径の安物のリボルバーだ。中国製らしい。
私は無造作にそれを撃つ。鉄パイプを持った男と、ナイフを持った男が倒れる。パニックが広がった。悲鳴をあげ浮浪者たちは、逃げ出してゆく。
私は男の身体から衣服を奪う。銃は捨てた。私にとってはあまり意味が無い。財布にはUSドルが入っていたので、それは貰っておく。
男の衣服を奪った私は、闇の中へと消える。その気になれば、闇の中で人間に気配を感じさせないまま移動することは可能だ。
私は地上にでる。
夜の街。
そこは完全な廃墟だった。荒れ果てたビル街は半ば崩れ落ちている。路上には解体された車が瓦礫に埋もれた状態で放置されていた。
それでも、そこは人に溢れている。
簡易テントがそこここにあり、ちょっとした人だかりのあるところには、屋台の飲み屋があった。あるいは、ちょっとしたフリーマーケットがある。
深夜を過ぎているとはいえ、人通りはけっこうあった。人種は様々。年齢も性別も様々だ。
道端で子供たちが、派手な音楽をかけながら踊っている。ギターを抱えて轟音を奏でている者もいた。そうした風景は外とそう大差は無い。
ただ、多くのものが麻薬に酔った目つきをしており、そうでないものは異様に鋭く危険な瞳をしているということ以外は。
私は仲間を探さねばならない。
白痴の王子、エリウス。
彼の者こそ、我らが王ヴァルラ様を救うことができる。しかし、エリウスはただの人間だから、私のようにアルケミアでの記憶を保持していないはずだ。エリウスを探し出し、彼に真の記憶を取り戻させねばならない。




