第六話 デルファイへの道
ただひたすら真っ直ぐ続く迷宮。
その薄明の世界をバクヤたちはヌバークに導かれるまま、進んで行った。
そこは太古の、古きものたちの支配する世界である。時の流れが存在しない世界。
その幽冥の世界を進んでゆく。
『さすが、エリウスというべきかな』
再び、ウルラの声が聞こえてくる。ヌバークは唇を噛んだ。
『やっぱりエリウスという名のものは、殺しておくべきだということを理解したよ。魔道が通用せず、剣でも殺すことができない』
バクヤは、左手を動かそうとする。メタルギミックスライムはバクヤの生命力を餌として活動する存在だ。バクヤの体力が底をついた今では、ただの鉄の塊と変わらない。
『しかし、魔道が通じないと一口にいっても魔道というものには、色々な種類がある。ヌバーク殿、君も理解しているだろう』
ウルラの声は、むしろ優しげといってもいい。
『ヌバーク殿、投降したまえ。ヴァルラ王に忠誠をつくして何になるというのだ。君とてガルン様とともに中原を蹂躙することを夢想したことがあるだろう』
ヌバークは空を睨みながら言い放つ。
「私を従えたいのならば、まずおまえの心臓をさしだせ、ウルラ」
ウルラは暫く沈黙する。そして、残念げなため息をついた。
『ではこれでお別れだ、ヌバーク殿。共に戦えないというのはとても残念だ』
ヌバークは立ち止まる。そして、ぽつりと言った。
「すまなかった、エリウス、バクヤ」
「あほいえ、まだこれからや」
バクヤが叫ぶが、ヌバークは首を振る。
「いかにエリウス殿が優れた剣士であったとしても」
ヌバークの言葉と同時に、前方に影の塊が現れる。数は七つほど。子牛ほどの大きさがあるだろうか。四足で立つ獣の姿をしている。
「闇の生き物を斬ることはできない」
エリウスは、ノウトゥングを抜く。
闇の生き物。そう呼ばれた影たちは近づくにつれ、その形がはっきりしてくる。影たちは巨大な狼の姿をしていた。
その頭部と見られるところに、二つの紅い光が灯る。どうやら、瞳らしい。
その姿は狼のように見えるが、朧げであった。ただはっきりと見えるのは、黒い牙である。漆黒の短刀に見えるその牙だけは、リアルで冷たい存在感を放っていた。
バクヤは唸る。
確かに、斬れそうに無い。魔法的生き物は、存在の位相をずらしその身体を異なる次元界におくと聞く。魔導師によって召喚されたその闇の生き物たちは、この次元界に身を置いていない。これでは、斬りようが無かった。
エリウスは、剣を振る。
ひゅう、と風が走った。影は一瞬揺らいだように見えたが、何も感じていないようだ。
「へえ、こりゃ難しいなあ」
エリウスはのほほんと呟く。
突然、一頭の闇の獣が跳躍した。人の頭を呑み込めそうな口を開かれている。
「くそっ」
バクヤは前に飛び出すと、動かない左手を右手で掴み、無理やり闇の獣へ叩きつけた。闇の獣は、その左手に食いつく。しかし、メタルギミックスライムの左手を噛みきることは、当然できない。
左手に食いついた状態で、真紅の瞳がバクヤを見る。
その光の中には飢えがあった。
魂を食らおうとする生き物特有の、飢え。
「このやろ」
バクヤは無理やり左手を動かそうとする。
突然。
ばさり、と闇の獣の首が落ちた。
くらいついていたバクヤの左手を離す。闇の本体は消えてゆく。切り落とされた頭だけが、地に落ちた影のように残っている。
「なるほどねえ」
エリウスが、のんびり呟く。
「攻撃してくる時には、転移している次元界が安定するみたいだねえ。それならなんとかなるけれど」
獣たちは、頭がよさそうだ。一頭殺されたことによって、警戒しはじめている。ゆっくりと左右に展開していく。どうやらバクヤたちを取り囲むつもりらしい。
「六頭同時っていうのはちょっと多いなあ。困ったねえ」
あまり困っていなさそうに、エリウスはぼやく。
迷宮の通路は広い。その通路一杯に使って、獣たちは左右へ回りこんでゆく。
しかし、獣たちの目的が果たされることはなかった。
唐突に獣たちは動きを止めると、身を翻し自分たちが現れたところへと戻ってゆく。
獣はバクヤたちに背を向け遠ざかって行った。
「助かったみたいだねえ」
エリウスの言葉にヌバークが答える。
「そんなはずは無い、召喚された闇の生き物がなぜ」
獣たちの行く先に白い影が現れた。
次第にその姿ははっきりしてくる。
それは、白き巨人。
女神の美貌を持つ、殺戮の大天使を越える戦闘機械。
獣たちは、一斉に跳躍した。
真冬の日差しを思わせる閃光が、一瞬走る。
容赦のない殺戮の輝き。
それはほんの僅かな時間でしかない。しかし、影は切り裂かれていた。
攻撃の為に位相を固定されるほんの一瞬。
その瞬間に闇の獣たちは切り裂かれた。胴体を両断された獣たちは地に落ちる。断片となった獣の頭、胴体、刻まれた足があたりにばら撒かれた。そしてその断片は黒い影となって消えてゆく。
全ての影が消失した後、純白の鎧に身を包んだ巨人がバクヤたちの前に立つ。その後ろには影のように黒衣のロキが続く。
エリウスは無邪気に手を振る。
「あはは、助かったよ、フレヤ」
フレヤは苦笑を浮かべる。
「おまえなら斬れたはずだ、エリウス」
「いやあ、でも面倒そうじゃん」
「面倒って」
バクヤが目を剥く。それを無視してヌバークはロキの前に立つ。
「礼をいいます、ロキ殿」
ロキは、無表情に答える。
「ガルンは冥界に下った。黄金の林檎をいだいたまま」
「冥界?」
バクヤの問いに、ヌバークが答える。
「冥界とは、アルケミアの地下最も奥深い場所。そこにグーヌ神が眠っている」
「我々では冥界に下ることはできない」
ロキの言葉にヌバークは頷いた。
「そこに下ることができるのは、本来王族だけです。ガルンは元はセルジュ王の近習でした。セルジュ王から冥界に下りる呪文を学んだのです。あそこにいけるのは、後はヴァルラ様だけでしょう」
ロキはヌバークを見つめる。
「まずは、デルファイに幽閉されているヴァルラ殿を救出せねばなるまい」
「では、ロキ殿。ヴァルラ様を助けるために御助力いただけるのですか?」
「いや」
ロキは首を振る。
「おれがデルファイに行くのは不可能だ。しかし、フレヤならいける」
「それでは」
ロキは頷いた。
「デルファイへ行こう」




