第七話 地下宮殿の魔族
「この先だな、ナイトフレイム宮殿は」
革の防具に身を固めた、ゲールが呟く。そこは、ノースブレイド山の地下通路であった。丁度、ジゼルの城と反対側の北面に、その地下通路の入り口がある。
「やれやれ、ようやくかよ」
ジークがぼやいた。その完全な暗闇の地下通路は、ゴブリンやオークの彷徨く剣呑な場所である。そこを、ゲールにジークとケイン、それにジークの配下の剣士二人が加わって、ここまでやってきた。
ゲールの配下の剣士は、中々の腕前である。呪法の心得もあるらしく、彼らの革の鎧は善神ヌースの加護を受けており、邪悪な闇の生き物を遠ざける力を持っていた。迷路のような地下通路の中で、たまたま出会った闇の生き物達も、ほとんど彼らの手で、葬られている。
ゲールの持つ古文書の地図を頼りに、ここまで来た彼らだが、相当奥深い地下に来ていることは、確かであった。地下深い所には、闇の生き物すらおらず、まるで墳墓の地下へ入り込んでしまったようだ。
松明をかざし、先頭をすすむゲールの前に、真っ直ぐ下へ向かう階段があった。
「ここを、下りきったところに宮殿の入り口がある」
ゲールとジークは、ほっとため息をついた。どんなところであろうと、この地下通路よりはまし、といった気分になっている。ほとんど変化のない単調な闇は、ジークとケインの神経を滅入らせていた。二人のゲールの部下は、終始無表情である為、なにを考えているかよく判らない。元々、東洋系の人種である彼らの表情は、読みにくかったが。
ゲールは明白に、緊張しているようだ。この先に、宝物が眠っているというよりも、未知の世界に踏み込むことに、精神を高ぶらせているらしい。
うんざりするほど、長い階段を下りきった所に、その魔像があった。壁にレリーフで描かれており、獣頭人身で翼を持ったその姿は、邪神ゴラースのようだ。
「これが、入り口だ」
ゲールは緊張で、掠れた声で言った。そのゴラースの頭部に手を触れ、押す。奥深い所で何かが響き、ゆっくりと扉が開いた。
「こいつは、…」
ケインは感心して呟く。そこは、大きな礼拝堂のようだ。巨大な柱が並び、見た事もない、奇形の神々の像が並んでいる。どこからか、微かな照明が入っており、薄い光があたりを照らしていた。
すべては、黒い大理石のような素材で造られており、あたかも闇が実体をもったような建造物である。ジーク達は、ゆっくり歩き始めた。天井はとても高く、ドーム状になっている。松明を消すと、ジーク達は、正面の扉へ向かった。
「何者だ」
突然、柱の影から白い僧衣をつけた者が二人、姿を現す。ゲールが呻く。
「魔族が、やはり…」
その二人は、紛れもなく魔族であった。その言葉には、どこか古風な訛がある。
輝くばかりの金髪の下の顔からすると、女性のようであった。漆黒の肌の、その魔族の女たちは、地上のどのような貴族の子女も及ばないような、気高い美貌の持ち主である。
その美しい金色の瞳は、蔑みをあらわにゲール達へ向けられていた。十メートルほどの距離を置いて、立ち止まる。
「家畜か」
「こんな所へ迷い込むとな」
二人は、錫杖を手にしている。それを構えた。ゲールの配下の剣士達が、片刃の剣を抜く。
ケインは、奇妙な波動を感じた。それは、魔族の女達から発せられる精神波らしい。まるで、精神の奥底の暗闇を、のぞき込まれるようだ。
しだいに、ケインの不安が増大していく。それは、魔族の発する瘴気のような、精神波によるものらしい。胃の底に鈍痛が産まれ、全身に疲労感が広まってゆく。
あたかも、空気そのものが液体のような重みを持ち、体を覆っているようだ。
隣のジークも同じらしく、体を動かし調子をつかもうとしている。剣を抜いた二人は、さらに大きなプレッシャーを感じているらしく、剣の切っ先が震えていた。
地下通路で闇の者達を相手にした時には、無かったことだ。
魔族の女達は、大輪の黒薔薇のごとき美貌に笑みを浮かべ、侮蔑をはらんだ声で言った。
「おいで、哀れな生け贄たち」
「久しぶりに、生きのいい生命を味あわせておくれ」
魔族の放つ精神波が極限に高まり、どす黒い恐怖が、嵐の夜の暗雲のように、ケインの心を覆った。ジークが呻くのが聞こえる。
二人の剣士は、悲鳴のような雄叫びを迸らせ、切りかかっていった。魔族の女達は、舞うように動き、手にした錫杖で剣をあっさりへし折る。
剣士達は、抵抗する術もなく、魔族の女に捕らえられた。二人とも膝まづき、その喉もとに手を掛けられる。
ぞっとするような違和感に、ケインの体は総毛立った。まるで自分の目の前が、異質の空間となってしまったかのようだ。
魔族の女達は、その歪んだガラスの中のような、異様な空間の中で、二人の剣士を抱いている。二人の男の肌が急速に、死人の肌の色へ変わっていくのが判った。
剣士たちが床へ投げ出された時には、その肌は完全に土気色となっていた。その顔はミイラのように、窶れている。
魔族の女達は、毒をはらんだ黒い花のように、艶やかに笑った。その笑みは、死んだ剣士達の生命を吸い取った為か、生き生きと美しく輝いている。
女達が近づく。ケインは脳裏に水晶の輝きを思い浮かべ、精神の統一をはかる。
恐怖を追いやり、手足に力を取り戻さねばならない。
頭の中を、清浄な光が貫く。意識のスペクトルが変化し始める。闇のような恐怖を、和らげるのにケインは成功した。手足に再び生きた血が通い始め、動けるようになる。隣のジークも、ステップを踏んでいた。精神統一により、魔族の瘴気をはねのけたらしい。
「ようやく、おれ達にふさわしい相手が、出てきたじゃねぇか」
ジークが、楽しげにいった。ケインはそれが強がりだけではないと感じ、苦笑する。
(脳天気にもほどがあるぜ)
しかし、その脳天気さは、多少心強くもあった。ジークは左手の包帯を、外す。
漆黒の闇に包まれた左腕が、姿を現す。
ジークはいつもの左半身を前に出し、黒い左手を振り子のように揺らすスタイルで、魔族の女と向かい合った。滑るようにスムーズなフットワークで、間合いをつめる。白衣の女は、金色に輝く瞳で、ジークを見つめた。その瞳の奥で、邪悪な精神波が、揺らめいている。
目に見えぬ波動が、津波のようにジークを襲う。見ているケインのほうが、吐き気と目眩を感じた。当のジークはつぶらな瞳に、笑みを浮かべたままだ。
「黒いお肌がセクーシーだぜ、ベイビ」
ジークの膚は蒼ざめ、肉体は衰弱しはじめているようだが、減らず口はそのままただった。魔族は、暗い笑みをみせる。
「家畜は生きのいいほうが、旨い」
ケインは横に動き、もう一人の魔族の女を牽制する。背後でゲールが背中の荷物から、火砲を出す気配を感じた。ただ、準備には多少手間取る。
(こういうのは、苦手だな)
ケインはもう一人の魔族と向かい合いながら、心の中で呟く。ケインの技は、暗殺の技である。普通であれば、ジークが正面に立ち、後方からバックアップするのが、ケインの役割であった。ただ、この女達は、ジーク一人では荷がかちすぎる。
ケインは、間合いを測りながら、魔族の女に近づく。
(一撃できめるしかない)
ケインの技は不可視であるがゆえに、有効である。見切られれば、それまでであった。正面から向かい合えば、一撃目をかわせば見切られてしまう。
3メートル、そこが確実に決められる距離であった。ただ、近づくにつれ、邪悪な精神波動は強力になってゆく。どこまで耐えれるか、疑問であった。
(いずれにせよ、やるしかない)