第十七話 アルケミアへ
突然、それは出現した。
それは降りてきたというべきか。いきなり交響楽のクライマックスが始まったような。あるいは、霧に覆われた向こう側より、突然巨大な建造物が出現したかのごとく。
フレヤは自身を知った。
そこは、天空城の、空中庭園である。あらゆるノイズが音へと編成され、光の洪水に過ぎなかったものが形態を備えた。
手には剣がある。フレヤはその剣を、腰に戻す。その美しい花々に彩られた夢幻的庭園を見渡す。
ブラックソウルが、ヴェリンダが、そしてバクヤとヌバークが沈黙したまま、自分を見つめているのを知る。
「私は」
フレヤは呟く。
「私はここでは無い、どこか別の世界から来た。それが今、判った」
水鏡の中から、エリウスが出てくる。美しい王子は、全身から水を滴らせて庭園に降り立った。
「やれやれだなあ」
ずぶぬれのエリウスはぼやく。相変わらず、のんきそうな瞳であたりを見る。
「黄金の林檎はどうした?」
ブラックソウルの問いかけに、エリウスはぼんやりと答えた。
「さあ、どうしたんでしょ」
突然、水鏡が黄金の光を放つ。あたかも昏い深淵から太陽が昇ってくるように。
光は無限の高みを持つ紺碧の空を貫く。天空城は、光の柱に串刺しにされたようだ。
そして、その黄金の輝きを放つ物体は、ゆっくりと姿を顕わした。
死せる女神の心臓である、黄金の林檎。
そこにいるものたちは、フレヤをも含め息を呑んだ。それが啓示するのがまさに宇宙の外であることを、本能的に理解したためだ。無限の宇宙よりさらに果てしない、宇宙の外。そこからその暴力的な黄金の光は到来し、あたりを覆ってゆく。
まさに、世界を終焉に導くであろう力を秘めた光。
それが黄金の林檎。
全くコントロールされぬ、野生の姿を人前に晒したのは、おそらく地上に持ち込まれてから始めてであろう。
ブラックソウルでさえ、身体を震わせた。自分の求めるものが放つ、あまりに凶暴であまりに陶酔的な美しさに酔わされている。
誰もが思った。
フレヤでさえ。
ここまでのものとは。
世界の果てを超えたものを啓示するということが、どれほどのことかということを。
今、始めてそこにいる者たちは理解した。
最初に冷静さを取り戻したのは、ブラックソウルである。
「できるか、ヴェリンダ」
ヴェリンダは頷き、両手を動かし呪術文様を空中に描く。手の動きに沿って、異質な空間が宙に出現した。
ヴェリンダが、トラウスを訪れた際に学んだ黄金の林檎の封印の魔法。
その封印空間は、中空を横断し黄金の林檎へと向かう。そして、黄金の林檎と重なり、光を封じ込める。そこにいる者たちは、ため息をもらした。
その時。
漆黒の鳥が、水鏡から出現し封印空間を掴んだ。
「ガルンか」
ヴェリンダが呻く。
「ザンネンダッタナ、ヴェリンダ。オレハ、シナナカッタ」
黒い鳥は、そう言い残すと封印空間を掴んだまま紺碧の空へと舞い上がる。凄みを秘めて昏く青い空の彼方へと、漆黒の鳥は飛び去っていった。
「しぶといやつだ」
ブラックソウルは苦笑する。
「全部終わったようやが、どうするんや、ブラックソウル」
バクヤが凶暴な視線を、ブラックソウルに投げかける。ブラックソウルは肩を竦めた。
「とりあえず、ガルンを追わなきゃな。また会おう、嬢ちゃん」
「また会おう、て」
ブラックソウルの背後から、音もなく飛行機械が出現した。その卵形の飛行機械を操縦するのは、シャオパイフォウである。ブラックソウルとヴェリンダは飛行機械に飛び乗った。
エリウスたちが見守る中、飛行機械は軽やかに空へと舞い上がってゆく。バクヤがため息をつく間に、飛行機械は天空城から去っていった。漆黒の鳥を追って。
そこにようやく黒衣に身を包んだロキが、城の地下へと続く階段から現れる。
「残念だったな、ロキ」
フレヤは皮肉な笑みをロキに投げかける。
「黄金の林檎はガルンに持ち去られたぞ」
ロキは冷静な声でいった。
「やつの行き先は判るさ。アルケミアしか無い。とりあえず、地上へ降りよう。トラウスの神殿への通路は閉鎖したが、サフィアスのフライア神の神殿への通路が残っている」
ヌバークがロキに言った。
「アルケミアへは私が船でお連れしよう、ロキ殿」
ロキは黙って頷いた。
◆ ◆ ◆
「全くえらい目に会いましたよ」
シャオパイフォウは飛行機械の中でぼやく。ブラックソウルとヴェリンダは放心状態で、飛行機械の座席に身を投げ出している。
「私以外は全滅でした。天空城の中に天使どもが大勢残ってました」
ブラックソウルはうんざりした口調で言い放った。
「そんなことは見れば判る。それより、天空城のシステムは把握したのか?」
シャオパイフォウは肩を竦める。
「頭の中にちゃんと詰め込みましたよ」
シャオパイフォウはとんとんと指先で額をつつく。
「この私にしても、えらく手こずりましたがね。それはそれとして、少し気になることがあるんですけど」
ブラックソウルはじろりとシャオパイフォウを見た。
「なんだ」
「本当にブラックソウル様、あなたはヌース神とグーヌ神を滅ぼすためにだけにあの黄金の林檎のエネルギーを利用するシステムをお使いになるんでしょうね?」
ブラックソウルはあからさまに、不機嫌な声を出す。
「あたり前だ。昔説明した通りだよ。神々の約定から人間を解き放ち、全ての人々を王国より解放する。それがおれの目的だ」
「だといいんですがね」
シャオパイフォウは首を振る。そして呟いた。
「まさかそこまで、おれは自分の上司が狂っているとは思いたくない」
「何くだらないこと言ってやがる」
ブラックソウルはやれやれと首を振る。
「何か疲れてません?ブラックソウル様」
「あたりまえだ」
ブラックソウルはそういうと、口を閉ざす。
「まあ、元気だしてくださいよ。いいこともきっとありますから。で、次はどこへ行くのでしたっけ」
ブラックソウルは遠くを見つめる。そして一言だけいった。
「アルケミアだ」




