第十五話 天空城の崩壊
ガルンに支配されたフレヤは、漆黒の風のように森の中を走り抜けてゆく。ふと、ガルン=フレヤは足を止める。遠い空の彼方を見上げた。そこに白い翼を認める。
ベリアルであった。
漆黒のフレヤは、剣を抜く。しかし、その剣が振るわれることは無かった。
疾風と化したベリアルが急降下をすると、フレヤを抱きかかえ宙へ舞い上がる。
それは天使に死神が抱えられて、運ばれてゆくように見えた。フレヤ=ガルンは、あえてベリアルに抵抗していない。
ベリアルはフレヤを抱えたまま、急降下してゆく。ベリアルはあの巨木、黄金の林檎を封じ込められるという巨木があるところ目差し、飛んで行った。
ベリアルはフレヤを抱えたまま、巨木の根元の地面へ激突する。地面に巨大な穴が穿かれた。
フレヤは、穴の中から歩み出る。剣は手にしたままだ。ベリアルの姿は無い。フレヤはベリアルを求め、あたりを見回す。
突然、気配を感じフレヤは巨木を見た。おそらくその巨木が数千年に渡り蓄えてきたのであろう膨大な量の気、それが地底の最奥で眠る龍が吐息を吹き出したように、地上へと溢れだして来ている。
フレヤ=ガルンは理解した。巨木とベリアルが一体化したということを。
ざわっ、と枝が揺れる。
巨木は巨獣が身震いするように、震えた。
枝が伸びてゆく。
無数の腕が差し伸ばされるように。
フレヤは鬼神のように剣を振るった。常人には見えない速度で剣は振るわれ、閃光が走る度に枝が切り落とされてゆく。
木の枝は無数の蛇がのたうつようにフレヤへ群がり、フレヤの身体をとりまいていった。やがて、剣を振るう速度が追いつかなくなり、フレヤの手や足に木の枝が絡みついてゆく。
フレヤは、激しい勢いで伸びて行く枝の奔流に呑み込まれた。そのまま枝は生き物のようにフレヤを抱え上げ、幹にむかって引き寄せてゆく。
全身を封じられたフレヤは為すすべもなく、巨木へと取り込まれていった。フレヤは巨木の幹へ磔にされた形となる。そしてフレヤの身体に絡みついた枝は、その先端をフレヤの肉体へ食い込ませていった。フレヤの身体の中を細かな枝が這い回り、フレヤはあたかも木の一部となったかのようだ。
フレヤの動きは完全に止まる。その瞳は閉じられた。
巨木は一瞬、揺らいだ。その葉は少しずつ金色へと変わってゆく。巨木=ベリアルは、黄金の林檎のエネルギーを吸収し始めた。
巨木は暁の光を浴びているように、少しずつ金色の光を放ち出す。
◆ ◆ ◆
「見ろあれを」
黒衣のロキは、森の一角を指さす。巨木が金色の光を放っているのが見える。
「ガルンはフレヤのコントロールに失敗した。やっかいなことになるぞ」
ブラックソウルは苦笑する。
「おれにはたんに、黄金の林檎のコントロールがガルンからベリアルへ、移っただけのように見えるが」
「いや」
ロキは無表情のまま言葉を続ける。しかし、その瞳には焦燥の色があった。
「黄金の林檎はヌース教団の持つ秘技をラフレールを通じて盗み取ったガルンであるからこそ、まがりなりにも暴走せずコントロールできていた」
ごおっ、と凄まじい地鳴りが起こった。立て続けに細かな振動が、天空城を襲う。
「ベリアルでは無理だ。というよりも、既にベリアルは扱いきれないエネルギーを吸収し、やつの最大の望みであった死を手にいれたはずだ」
「なんか随分困った状況にしてくれたみたいだねぇ」
やたらとのんびりした声がした。ブラックソウルは驚いて振り向く。美しい顔に、のんきそうな笑みを浮かべた青年が立っている。
「エリウス王子か、それに」
エリウスの後ろにはバクヤと魔導師ヌバークが立っている。
「よお、また会ったな。ブラックソウル」
バクヤは野獣の笑みを浮かべて、ブラックソウルを見つめた。ブラックソウルはやれやれといった顔になる。
再び、地鳴りがあった。無数の亀裂が空中庭園の地面に走る。森の数カ所が陥没していた。天空城は揺れ動きながら、崩壊し始めている。
「で、どうするよ、王子」
ブラックソウルはうんざりした表情で言った。
「おれとヴェリンダとやるのか。そこのお友達に敵を討たせるために。多分ロキ殿は傍観するだろうから2対3ということだな。しかし」
ブラックソウルは肩を竦める。
「そうしている間にこの天空城が崩壊するのは間違いない」
「どうしようか、考えているんだ」
そう答えたエリウスはものを考えているとは到底思えない、茫洋とした表情をしている。
「僕は別に構わないんだけどね、ここで死んでも。バクヤに敵を討たせてあげれるなら」
ブラックソウルはため息をついた。
「王子、ようするにおまえはこう思っているんだろう。たとえここを生き延びたところで、おまえの帰る世界はあのくそったれた王国の中だ。そこで生きてゆくくらいなら、ここで死んでもいいと。しかしな、」
ブラックソウルは獣の笑みを浮かべた。
「おれがその王国を破壊してやるといったらどうする?」
エリウスは無邪気といってもいい笑みを浮かべた。
「神々の約定はどうするの」
「神々ごと破壊するのさ、王国を」
エリウスは、楽しげにくすくす笑った。
「へえ、面白いね。でも信じられない」
ブラックソウルの瞳に苛立ちの色が浮かぶ。神経は研ぎ澄まされ、エリウスが手に提げたノウトゥングに注意を向けている。
「そこまでする理由はないでしょ、あなたに。あなたは神々の約定に縛られてないじゃん」
「おれもテリオス王の子だとしたら?」
エリウスはけらけらと笑った。
「面白いこというねぇ」
「おれはおれの父親を知らない。おれの母親はオーラの貴族、デリダ家の娘だった。
おれの母親はおれを孕んだ時、父親はテリオスだと主張した。証明された訳ではないが、まだ王になっていなかったテリオスが放浪中におれの母親と交際していたのは事実だ。おれの母親は、結局デリダ家によって狂人として扱われ幽閉される。そのうちに本当に狂ってしまったようだがね。おれはかろうじて、殺されずに済んだ。事実はともかくおれの母親が幽閉されたのは、クリスタル家と結びつきの強いデリダ家としては、対立する王家であるアルクスル家の世継ぎテリオスと関係を持っているように見られるのは、危険なことだと判断した為だ」
「それで?」
エリウスは無邪気な笑みを見せて尋ねる。
「それがどうした訳?」
「おれの血もおまえと同じで、神々の約定に縛られたものという訳さ。判るだろ、おまえには」
エリウスは肩を竦めると、振り向いてバクヤに語りかける。
「とりあえずここを生きて脱出するというのは、どうでしょうか?」
「なんやてぇ」
バクヤはむっとした顔になる。
「一応さあ、僕に借りがあったはずだよね、バクヤは」
「むぅ」
バクヤは唸った。エリウスが宥める。
「アルケミアで魔法に対抗する方法を身につけるのに、協力してあげるからさ」
バクヤは肩を竦めた。
「ま、ええやろ。おれが死ぬのはかってやが、おまえらを巻添えにしていい理由はないからな」
エリウスは美しい顔で微笑んだ。バクヤは思わず頬を染める。
「じゃ、僕は何をしたらいい?」
エリウスの問いに、ロキが答えた。
「おまえは王の指輪を持っているな」
「うん」
「それを使え。理屈は、おまえがメタルギミックスライムからバクヤを救った時と同じだ。ただ、フレヤに渡すものは、おれがおまえに渡す」
「ちょっと」
エリウスは、困った顔になってロキを見る。
「どうやってフレヤに触れるの?あの黄金に光っている木のところまでいく訳?」
「それではだめだ」
ロキは水鏡を指さす。
「ここへ入れ。ここからフレヤのところへいける」
エリウスは目を丸くした。
「ええーっ、水の中に入るの?」
ロキは無表情で答える。
「表面だけだ、水に見えるのは。その奥はアイオーン界に繋がっている。アイオーン界を通じて、黄金の林檎のある空間へ行ける。とにかく中に入れば黄金の光が見えるから、そちらへ向かえ。その光の中に入り込めば、フレヤに接触できる」
「へーえ」
エリウスは、緊張感のかけらもないのほほんとした顔で、水鏡に歩み寄る。まるで水遊びをする子供のような気楽さで、ひょいとその水の中へとエリウスは飛び込んだ。
バクヤはやれやれと首を振る。
「大丈夫か?あいつ」
そう問われたヌバークは肩を竦めた。
「私に聞かれても困るが」
「そりゃそうやけど」
ロキは歩きだした。バクヤが問いかける。
「どこへ行くんや?」
「この城の地下だ。そこに天空城を動かすシステムの心臓部がある。そいつを動かす」
「へえ?」
バクヤは理解できなかったが、それ以上問うても無駄と知り階段を降りていくロキを見送った。




