第十話 オーラの飛空船
ブラックソウルたちは、神殿のテラスへ出た。バクヤたちも龍騎士に四方を囲まれ、テラスに立つ。
夜空は、明るく輝く月が支配している。バクヤはその深く昏い蒼さに満ちた空に、漆黒の影があるのに気付く。その影は次第に大きくなってゆき、気がついた時には頭上を大きく覆っていた。
「なんや、あれは」
バクヤの呟きを聞きとめたミカエルが、あきれたように尋ねる。
「おまえは、オーラの飛空船を見たことないのか?」
「ああ、噂はよく聞いたが」
それは空に浮く漆黒の巨船である。巨鯨のように見事な流線型の船体を持った飛空船は、空気より軽い気体を船体内に充満させることにより、空を飛ぶということを聞いたことはあった。しかし、バクヤは目で見たのは初めてである。
間近に見るとその大きさは空いっぱいを覆うようであり、バクヤはただ圧倒されその姿に見入っていた。船体の下に吊り下げられたゴンドラより縄ばしごが降ろされる。ブラックソウルが先頭に立ち、縄ばしごを登り始めた。
ヌバークは龍騎士に抱えられた状態でゴンドラへと入ってゆく。エリウスはバクヤと違い、特に感銘を受けた様子も無くいつものようにのほほんとしたままで、船内へと入り込んだ。片腕が使えないバクヤも、その後に続く。
最後の龍騎士が乗り込んだ後、飛空船は夜の闇の中へ上昇していった。
船の中は予想以上に広かった。オーラの飛空兵たちが、忙しげに動き回っている。
エリウス、バクヤ、ヌバークは前後を龍騎士たちに挟まれた形で、移動した。
船室の一つにエリウスたちは案内される。
「こちらへどうぞ」
琥珀色の髪の龍騎士、ウリエルに部屋の中へと導かれる。扉が閉ざされ、龍騎士たちは立ち去っていった。とりあえず、バクヤはヌバークを備え付けられたベッドへ寝かせると、呑気に窓の外を眺めているエリウスに向き直る。
「どういうつもりや?」
「どう、とは?」
エリウスは相変わらず、茫洋とした瞳でバクヤを見つめ返す。
「こんな空の上に来てもうたら、逃げようがないやないけ」
「ふうん、そうかな」
エリウスはにこにこしながら言った。
「でも、ブラックソウルにくっついてたらほうが、敵うつチャンスは多いんじゃない」
「左手が動けばなんとかなるかもしれんけどや」
「なんとかなるんじゃない?」
バクヤは思わずエリウスの頭をはたいていた。
「痛いなあ」
「あほか、なんとかならんやろう」
エリウスは、きょとんとした顔になる。
「どうして?」
「どうしてって、おまえ…」
「さっきの話聞いてたでしょ、ガルンとヴェリンダの」
「どうかしたんかい、あれが」
「天空城に黄金の林檎が来るって」
「まあな」
「ということはラフレールが来るんだよ。その時にはウロボロスの封印も多分解かれてる」
「まさかあの、妖精城の時みたいに?」
「魔法が作動しなくなる」
バクヤはにんまりと笑った。
「チャンスやないけ」
「だからなんとかなるって」
バクヤはエリウスの頭を撫でた。
「ま、悪かったよ。とりあえず待ちやな。天空城につくのを」
◆ ◆ ◆
「ブラックソウル様、ご依頼のあった件だいたいしらべ終わりました」
船室で机をはさんでブラックソウルの前に座った男は、魔導師のようなフードつきマントを纏っていた。フードに隠された顔はよく見えないが、どこかのっぺりとして個性の感じさせない様子である。全体的に影が薄く、薄暮の世界に棲む精霊といった印象があった。
ブラックソウルは黒い瞳を光らせながら、その男を見つめる。後ろで大きな肉食獣が寛いでいるように、ヴェリンダがソファに寝そべっていた。当然、瘴気は滲み出ているのだが、マントを纏った男は気にする様子も無い。
「ご苦労だったな、シャオパイフォウ」
ブラックソウルは気怠げな調子で、シャオパイフォウと呼んだ男に頷きかける。
シャオパイフォウはブラックソウルに報告を始めた。
「王の指輪は確かにクリスタル家の管理下にあったものです。8年前までは」
「その指輪を使えば、人の心に触れることができるというのは本当か?」
ブラックソウルの問いにシャオパイフォウが頷く。
「ええ。おそらくメタルギミックスライムとよく似た金属の魔法的生命体だと思われます。指輪をはめたものは、指輪を通じて他の人間と心を繋げることができるし、指輪自身の心と触れ合うことができます。かつて医師ラブレスがメタルギミックスライムを利用して義肢を造ったように、人間が造りだした魔法的道具です」
「なるほど、ヴェリンダが知らないはずだな」
ブラックソウルの言葉に、ヴェリンダが忍び笑いを漏らす。
「人間は色々奇妙なものを造る。退屈しないのは確かだな、おまえたちの世界は」
「それで、8年前何があったんだ?」
ブラックソウルに促され、シャオパイフォウが報告を続ける。
「クリスタル市にトラウスの密偵が入り込みました。ユンク流剣術の使い手でしたから、おそらく神聖騎士の一人だったのでしょう。その男は捕らえられ、両目をえぐり取られます。しかし、その男はクリスタル市からの脱出に成功しています。王の指輪が失われたのはその直後です」
「ほう」
ブラックソウルは笑みを浮かべて、シャオパイフォウを見つめる。シャオパイフォウは、全く無表情のままだった。
「その目を失った男が指輪を盗んでいったというのか?」
「記録では、その男は無明流といって人の気配だけを頼りに剣を振るう技の使い手だったとか。ただ、奇妙な点が一つありますね」
「なんだ?」
ブラックソウルは楽しそうに笑って先を促す。
「クリスタル家の王子、アリオス様がその男に接触していることです」
ブラックソウルは獣の笑い声をあげる。
「アリオス・クリスタル・アルクスル王子がその指輪を盗みだし、捕虜に与えて逃がしたというのか。はっ!そんな事実をおれが掴んだことを知られれば長老会から抹殺される理由がまた増えちまう」
「どうされます」
シャオパイフォウの声はあくまでも冷静であった。
「どうとは?」
「エリウス王子から指輪を奪いとりますか?」
「おいおい」
ブラックソウルは苦笑する。
「あの壊れた王子は、指輪があるからなんとかなってるんだぜ。指輪をとりあげたら、さすがのおれでも手におえん」
シャオパイフォウは少し沈黙する。
「本気であのエリウス王子を利用されるのですか?」
「使えるものはなんでも使うさ。せっかく手中におさえた切り札をそう簡単に手放しはしないよ」
シャオパイフォウは黙ったままだ。
「不服か?シャオパイフォウ」
「いえ。あの王子がエリウスで無ければもっと安心なんですが」
「何がいいたい?」
ブラックソウルは謎めいた笑みを浮かべる。シャオパイフォウは少しため息をついた。
「おそらく、この世界で神々を滅ぼそうという不遜な野望を持つ者は、ブラックソウル様かエリウス王子のように魔法的世界の外側に生きる人々です。もし、エリウス王子がブラックソウル様と同じ結論に達し、尚かつブラックソウル様より先に黄金の林檎を手に入れれば」
「かまわんさ、どうでもいい」
ブラックソウルは投げやりにいって、肩を竦めた。シャオパイフォウは抗議を唱えようとする。
その時、船室のドアがノックされた。
「なんだ?」
ブラックソウルの声に、外からミカエルの声が応える。
「天空城が見えたぞ、ブラックソウル」
「判った」
ブラックソウルは立ち上がる。
「すぐ行くよ」




