第八話 狂王の帰還
天空城に夜が訪れた。無数の星が息を潜め見つめる元で、大きな棺桶がゆっくりと動き始める。頑丈な蓋が静かにずれてゆき、やがて夜の闇より尚暗い深淵のような中身が露呈した。
棺桶の中で蠢く闇は、次第に凝縮していく。影が星の光の中で自らの姿を取り戻すように、闇は人の姿へと収縮していった。天を巡る星たちの光が照らすその下で、人の形を得た影は、ゆっくりと身を起こす。
無数の水晶の欠片が散りばめられたような星々の光を受け、影は立ち上がった。
そして闇は目を開く。暗黒の宇宙を太陽の炎が切り裂くように、黄金の瞳が闇で造られた顔に出現した。さらに、夜明けの光が炎となって墜ちてきたように、闇色の影に金色の髪が伸びてゆく。
しんとした夜の世界の中で、その立ち上がった闇は急速に人としての姿を整えていった。その姿は端正な美貌を持った少年のものになってゆく。
「待ち侘びましたよ、ガルン」
マグナスがガルンの背後より声をかける。その後ろには黒衣のロキと真白く輝く鎧に身を包んだフレヤがいた。銀色の髪をした少年の姿を持つ老いた魔導師マグナスは、ガルンの前に立つ。その二人はよく似ていた。ただ似ているのは姿形だけではあるが。ガルンは、少年の顔に狂った獣の禍々しい笑みを見せる。
「なんの用だ。マグナス。今、おれにはおまえたちの相手をしている時間はないぞ」
マグナスはガルンとは対照的に、老人の笑みを浮かべて答える。
「時間がないですって。とんでもない。今こそ時はきたのですよ。ウロボロスの輪の彼方にいるラフレールがあなたをアイオーン界の奥底から引き上げたのは、フレヤとあなたを会わせるためでしょう。あなたが再び地上へ降りてきたのは、フレヤの道案内をするためではなかったのですか」
ガルンは、けたたましく笑う。凶暴な光がガルンの黄金の瞳に宿る。
「ラフレールの思惑なぞ知ったことじゃねぇ。だいたいマグナス。おまえの思惑はなんだ。かつての弟子であるラフレールに荷担したいのか?神々の約定を破棄するほどおまえは狂っているのか?」
マグナスは、深いところで淀む水のように穏やかな笑みを崩さなかった。
「いいえ、私は傍観しているだけです。神々と同じように。それよりもガルン。あなたが自分に与えられた役割を果たさぬのであれば、あなたに用は無いということになります。もう一度アイオーン界の奥に戻りますか」
ガルンは舌打ちをした。
「戻るさ、いずれ。ただ、今じゃねぇ。客が揃っちゃいねぇだろう」
「フレヤ殿がいれば十分」
「いいや」
ガルンは、ふてくされたように笑う。
「魔族の女王も招くつもりだ」
マグナスは喉の奥で笑う。
「まだ未練があるのですか、かつての思い人に」
「うるせえ」
血に飢えた獣ののように凶暴な気をガルンは放つ。
「とにかくおれが地上へ戻った以上、混乱と殺戮の饗宴が必要だ。まずは魔族を掌握する。そして再び魔族の軍勢が地上に死体の山を築くのさ」
「好きにすればいい」
氷河を渡る凍り付いた風を思わせる声で、フレヤが言った。
「私をラフレールと再び会わせた後でならばな」
「ふん」
ガルンはせせら笑いながら、フレヤを見る。
「そう待たせはしねぇよ。これからちょいと降りてくる。おまえの相手はその後だ、最後の巨人」
「では、これからヴェリンダを招きにいくのか」
ロキの問いにガルンは冷笑で答えた。
突然、ガルンの瞳は光を失い、その身体は形を失い黒い水と化して地面に落ちる。
流動する影に戻ったガルンの身体は、不定形のまま棺桶へと戻ってゆく。ガルンの身体であった影が棺桶の中に身を横たえた後、ゆっくりとその蓋が閉ざされていった。
◆ ◆ ◆
フライア神の神殿の中に入り込んだエリウスたちは、旅行用の軽装に着替えを済ませると用意された小部屋で軽く食事をとった。ここもエリウスが身を潜めていた娼館と同様に神聖騎士団の者が入り込んでおり、全てはエリウスの望み通りに整えられてゆく。
食事を終えたバクヤがエリウスに問いかける。
「で、これからどうするんだ」
「アルケミアに行くんだったら船だろうけどねぇ」
エリウスはヌバークを見ながら言った。
「とりあえずは、サフィアスを脱出しなくちゃ」
「海に出さえすればいい」
ヌバークは無造作にいった。
「私がここまできた船がある」
バクヤは苦笑する。
「あんたの船では、オーラの海上封鎖を抜けられんだろう」
ヌバークは奇妙な笑みを浮かべ立ち上がる。
「アルケミアの船だ。魔道の海を航海する。オーラの軍船であっても捕らえることはできない。この世の外を航海するのだからな」
「なるほどな」
バクヤは頷くと、ヌバークを見つめる。
「ところで、さっきあんたはわざと傍観してエリウスの腕を試したな」
ヌバークは薄く笑った。
「さあね」
「おれはどう思っている?おれの腕を確かめる気は無いのか」
ヌバークは笑みを浮かべたままだ。
「メタルギミックスライムを義手として操る人間がどんな実力を持っているかの見当はつくさ」
そういい終えると軽くあくびをかみ殺しながら部屋の外へ向かう。
「私は休ませてもらう。とにかくおまえたちにまかすよ、船にたどりつくまでのことは」
ヌバークが出ていった後、バクヤは少し肩を竦める。
「いやならいいよ」
エリウスがぽつりと言った。
「なんや」
「ヌバークが気にいらないんだろ。つき合うことは無いよ。脱出経路を教えてあげるから一人でサフィアスを脱出すれば?」
「馬鹿いえ」
バクヤはため息をつく。
「おまえなあ、エリウス。おれが判らないのは、おまえのことや」
「なあに」
「ヌバークがいうように、おまえが魔族の王を救ったら本当にアルケミアがおまえのために軍隊を貸すと思ってるのか」
エリウスは婉然といってもいい笑みを浮かべる。
「そんなこと、ある訳ないじゃん」
「だったらなぜ」
エリウスは、少し謎めいた輝きを瞳に浮かべる。
「興味があるんだ、アルケミアに」
「興味?」
「居心地がここよりよかったらさ、帰らないって手もあるよね」
バクヤの顔がむっと怒気を孕むのを見て、エリウスは無邪気に手を振る。
「冗談にきまってるでしょ、そんなこと」
そういうと、エリウスはけらけらと笑った。
「よく笑ってられるな、おまえ」
バクヤは少し苛立ったように、ため息をつく。
「おまえさっき人を斬っただろう。ある意味では無意味な殺しだ。おまえ人をどのくらい斬ってきたんや?」
「始めてだよ」
エリウスは、美しい顔に笑みを浮かべて言った。
「殺したのは始めてだ」
バクヤは深く息を吐き出す。
「なんで、平気なんや。人を殺したんやで。憎んでもいないのに」
エリウスはすっと左手を前に出す。その中指には、金色の指輪が光っていた。妖しく魔道の力を秘めた光がバクヤの目を射る。
「指輪の王様なんだ。これは」
エリウスは夢見るような瞳で言った。
「指輪の王様は僕の心の奥深くに住んでいる。指輪の王様は僕の恐怖や不安といった感情を緩和してくれるんだ」
バクヤは眉間に皺を寄せる。
「おまえ、それは危険なものやで。捨てたほうがいい」
「三日だね」
エリウスは笑いながら言った。バクヤは困ったような顔をして尋ねる。
「何や、三日って?」
「今の謀略の渦巻くトラウスで、指輪の王無しで僕が生き延びられる日数」
バクヤはもう一度、深く息をつく。
「そらそうやけどなあ」
エリウスは無邪気といってもいい笑みを浮かべて、バクヤに問いかける。
「じゃあさ、僕が指輪の王を捨てたとしてバクヤが僕を守っていってくれる?」
バクヤは力無く笑い返す。
「無理を承知で言うのは、暴力やで」
「そうだよね」
エリウスはバクヤの顔をのぞき込む。
「バクヤが指輪を捨てろ、て僕にいうのも暴力だよね」
バクヤは深いため息をついた。
「そりゃあそうやろうけどな」
その時、突然ドアが開きヌバークが入ってきた。バクヤが立ち上がり、ヌバークの前に立つ。
「なんや、寝にいったんとちがうんか?」
「何かがおかしい」
ヌバークが呟くように言った。
「魔族のいる気配がある。瘴気が少し漂っている。しかし、それだけじゃない」
「なんや、はっきりいえよ」
バクヤの言葉に、ヌバークは眉をひそめて首を振った。
「判らないんだ。何がおころうとしているのか」
エリウスが立ち上がる。その手にノウトゥングを持ち、ヌバークに微笑みかけた。
「いこうか、ヌバーク」
バクヤがあっけにとられてエリウスを見る。
「いこうって、どこへ」
「何かが起こるのは間違いないんでしょ。だったら、その何かが起こるところへ行ってみようよ」
「そうだな」
ヌバークが頷いた。
「確かめてみよう」
ヌバークとエリウスが部屋の外へと向かう。バクヤは何か口にしようとしたが、やめた。とりあえず自分もついて行くことにする。




