第七話 オーラの龍騎士
エリウスは、左手に鞘におさめられた剣を持ち、右手に小さな発光石を持って広大な地下通路を駆け抜けてゆく。ヌバークとバクヤはその後を追うのがやっとであった。地下通路は複雑な迷路を構成している。地下深いところにあるにも関わらず、天井は高く、道幅も広い。黒い液体のような闇が満たしているその地下通路を、天空に輝く小さな星のごとき発光石の明かりのみで行き先を判断しているエリウスは、バクヤにとって驚異的な存在だった。
今、この地下通路で置き去りにされれば、永遠に迷うしかないと思える。数え切れぬほどの曲がり角を曲がってきたし、道の分岐は無数にあった。エリウスはまるで天空から地面を透かしてこの地下通路を見ているのではないかと思えるほど、確信に満ちた足取りである。
やがて、地下通路は迷路のような分岐を抜けだらだと続く長い坂道に行き当たった。エリウスは歩調を緩め、その坂道を昇ってゆく。バクヤは感覚的に自分たちがサフィアスの中心部に向かっていることを感じ取った。
「おまえ、ここにきたことあるのか?」
「ないよ」
バクヤの問いにそっけなく、エリウスが答える。
「本当に道はあってるんだろうな」
「うん、ま、なんとなくこっちのほうだという気がするから」
エリウスはぼんやりと答える。バクヤはあまりにとぼけた言葉につっこむ気力すら無くした。ヌバークが不安そうにバクヤの顔を見たが、バクヤは肩を竦めただけである。
彼らはサフィアス最大の神殿であるフライア神の神殿に向かっていた。そこに神聖騎士団の隠れ家があり、そこで装備を整えた後サフィアスを脱出する段取りである。
「それにしても、」
バクヤは独り言のように愚痴をこぼしはじめる。
「おれが騒ぎをおこすと巻き込まれるとか言っておいて、結局おまえがおれを巻き込んどるやないか。どういうこっちゃ」
「しかたないじゃない。まあ折角だから一緒にアルケミアへ行こうよ」
「なんで、おれが」
バクヤはうんざりしたようにいったが、エリウスは妙に楽しげに言葉を続ける。
「どうせブラックソウルを倒すといっても、一緒にいる魔族の女王ヴェリンダの魔力を封じる方法なんて考えていないんでしょ」
「まあな」
「だったらアルケミアの魔導師を味方につけてヴェリンダの魔力を封じる方法でも検討してみたら」
「そんな簡単なもんやないやろう、だいたいなあ」
バクヤはつっこもうとしてヌバークの視線を感じ、口を閉ざす。
「私としてもおまえが我々に助力してくれるのであれば、おまえの敵を倒すのに力添えをするつもりだ」
「おまえなぁ」
ヌバークの言葉にバクヤは多少げんなりしたようだ。
「おれは本来一格闘家やからおまえらのような謀略家というか、国家レベルの価値判断で動くようなやつと、関わりたくは無い。だいたい、おまえらエリウスに何を期待しとるんや。こいつの背後の神聖騎士団やヌース教団をあてにしとるんやったらとんだ見当ちがいやで。こいつは政治力ゼロやし、こいつが他人に動かされることはあっても他人を動かすことはない。そいつは保証しとく」
ヌバークは、半ばその姿を闇に溶け込ませている。表情から考えを読むのは不可能だ。しかし、その言葉は冷静で迷いは感じられない。
「我々が必要としているのは、エリウスという名の人間の能力だ。かつて暗黒王ガルンを倒したといわれるその能力」
バクヤは怪訝な顔になる。
「ガルンやと。かつて中原を壊滅させた狂王やろ。そんなやつ遠い昔に滅んだはずや」
「おまえの言う通りではある。しかし、な」
ヌバークは静かに言った。
「ガルンは甦った。アルケミアはやつに支配されつつある」
バクヤは闇が凍り付いた気がした。ヌバークの言葉が本当であれば、六百年以上昔にあったといわれるあの暗黒時代が再来するということになる。
「魔族の王ヴァルラ・ヴェック様はガルンの手のものの謀略によってデルファイという場所に幽閉された。もともと魔族には二つの勢力がある。保守派と革新派といってもいい。保守派とは古の約定にしたがって人間界へは干渉せず神々の賭けを静観しようというもの。革新派は世界に新しい秩序をうち立てるため約定を無視しても人間界に干渉しようというもの。ヴァルラ様はむろん保守派だ。かつてガルンが滅ぼされた時、革新派は勢力を弱めたものの根絶やしにされた訳ではない。
保守派はまだ主導権を握っているが、ヴァルラ様が幽閉された以上革新派がアルケミア全体を支配するのは時間の問題だろう」
「ガルンは本当に甦ったの?」
エリウスがぽつりといった。
「確かに、革新派がそういうデマゴーギュを流通させ不穏な状況を造りだし、心理戦をしかけている可能性はある。ガルン自身の姿を見たものはいないからな。しかし、私も魔導師のはしくれだ。とてつもない魔力を持った存在が、アルケミアに出現したことは間違いない」
バクヤは唸った。
「確かにエリウスは剣の腕はたつ。しかし、ガルンは強力な魔力を持っているんだろう。あんた本当にエリウスがガルンを倒せると思うか」
「無理だな」
ヌバークは平然と言った。
「それやったら」
「ヴァルラ様の幽閉されている場所、デルファイ。そこは、全ての魔法が作動しなくなる場所なのだ。そこからヴァルラ様を救出するのに必要なのは魔法の力よりもむしろ、剣の腕ということになる。今我々が望んでいるのはガルンを葬ることではない。むしろヴァルラ様を救出することだ。
デルファイでは魔族ですらその能力を全て失う。我々人間の魔導師に至っては全く無力な存在と化してしまう。エリウス、バクヤ、おまえたちの力を借りなければならないと判断したのは、そういうことだ」
もう一度バクヤは唸った。
エリウスが今までの話を聞いていなかったかのように、呑気な声でいった。
「ついたよ」
エリウスの手にした発光石の薄明かりの中に、扉が浮かび上がる。
「フライア神の神殿への入り口たよ」
◆ ◆ ◆
そこは煌びやかな祭儀場であった。
金、銀、朱に彩られた衣装を身につけた踊り手たちは華麗に舞い踊り、楽師たちは華やかに見事な細工の施された弦楽器をかき鳴らす。その音と舞踏が鮮やかに合わさって一つの流麗な世界を構成していく様は、ある種の奇跡を見ている思いがある。
そして官能的な曲線を多用した装飾を施されている部屋の主座には、五組の男女が腰を下ろしていた。それぞれのペアに対して一人づつ神官でもあり売笑婦でもある女たちが、ついている。
彼女らは、中原の貴族たちであってもそうはいないだろうという程の、美貌の持ち主であった。彼女らは妖艶に微笑み、主座のものたちに酒をつぎ語りかける。
この天上世界であるかのような饗宴が催されている部屋で、五組のものたちは全くの無表情を保っていた。いや、あからさまに不機嫌さを顔に出している者すらいる。
「どうしました、皆さん」
主座のものたちに対面し、祭壇の前に腰を降ろしていた男、ブラックソウルがおどけた調子で口を開く。傍らには例によってフードつきマントで顔を隠したヴェリンダが控えている。
「折角、オーラから出ることのない龍騎士の皆さんの為、宴を催したというのに、もっと楽しんで下さいよ」
「楽しんでいるさ、おれなりにな」
金色の髪の男が言った。頑強そうな肉体を持ち、荘厳な佇まいを持つ男である。
その男の後ろには、影のように静かな女が立っていた。
「それはなによりですよ、ミカエル殿」
「しかしな、」
ブラックソウルの言葉を切るように、ミカエルと呼ばれた男が言う。
「どうせ趣向をこらすなら、もう少し工夫してもいいんじゃないか」
「どういうことです」
ブラックソウルの問いに、ミカエルが陰鬱に笑いながら答える。
「神に捧げる宴には、供儀がつきものだろう。神にささげる生け贄がいるんじゃないか、ブラックソウル」
ミカエルの青い瞳が、刃の輝きを放った。
「例えばだ。おまえの隣にいる魔族の女。そいつの首を掻ききるというのはどうだ」
ブラックソウルの笑みが一瞬凍り付く。そして笑いの仮面の下から、狼の笑みが立ち現れてきた。ブラックソウルは喉の奥で笑いながら、手を叩く。
宴が中断される。ブラックソウルの無言の指示により、踊り手、楽師、女たちが引き上げていった。
ヴェリンダは無言のまま座っている。フードで隠された顔は見ることができない。
しかし、真冬の冷気を思わす瘴気がマントの下から漂ってくるのは間違いなかった。
「いい冗談だったよ、ミカエル殿。龍騎士と呼ばれる者としては上出来だ」
「いえいえ」
ミカエルの隣に座った、銀色の髪の女性が口を開く。
「冗談ではないでしょう、ブラックソウル。私もミカエル殿と同じように、その魔族の女王が放つ瘴気を楽しませてもらってましたよ。いつ、彼女が魔力を放ってくれるのかわくわくしながらね」
銀色の髪の女は、穏やかな笑みを浮かべて語っている。その美しさは、聖母のような静けさを持っており、見る者の心を落ち着かせてゆく。しかし、今の彼女は挑発的に瞳を輝かせていた。
「ガブリエル殿、余興はもう終わりです」
「あら、そうなの。じゃあ、余興じゃなくてもいいのよ」
ブラックソウルの言葉に、ガブリエルと呼ばれた銀髪の女性が答える。
「そうブラックソウル君を困らせるものではないよ、ガブリエル」
黒髪の男がいった。彼も端正な顔で、詩人のように深く内面を見つめているような瞳を持っている。
「ラファエル、私は別に彼を困らせている訳ではないわ。ただたんに、彼の立場を知りたいだけ」
ラファエルと呼ばれた、黒髪の男は問いかけるような視線をガブリエルに向ける。
「私たちは魔族と戦うために、龍の血を受けた。ブラックソウル殿が私たちの助力が必要というのなら、相応の生け贄を差し出すべきと思わない?」
「くだらない」
吐き捨てるように琥珀色の髪をした男が立ち上がる。鋭く光る瞳を持ち、その肉体は引き締まり頑強であった。戦士の顔と身体を持つ男である。
「ブラックソウル、一体この茶番はなんだ。何がしたい? おまえは。ミカエル、ガブリエル、どうしておまえたちは、ブラックソウルのしかけた挑発に乗ってやるんだ。意味がない、ここで行われた全てに。ブラックソウル、余興が終わったのならおれは引き上げるぞ」
「もう少し待ちましょうよ、ウリエル殿」
そう、灰色の髪をした少年が、琥珀色の髪のウリエルへ声をかける。
「もうそろそろ、本題にはいるのでしょう、ブラックソウル殿」
灰色の髪をした少年は、大きく美しい瞳でブラックソウルを見る。その顔立ちと身体は、エルフを思わせる繊細さがあった。
「いや、どうかな。ラグエル殿」
ブラックソウルは獣の笑みを浮かべて灰色の髪のラグエルを見る。
「おれからの出し物は済んだよ。こんどはあんた方龍騎士の皆さんの好きなやり方で楽しんじゃあどうだい?ガブリエル殿が言ったように余興じゃなくてもいいしな」
「まあ、座れよウリエル」
ミカエルが口を開いた。その言葉には有無を言わせぬ力がある。ウリエルは、無言で腰を降ろした。
「確かに、ウリエルの言う通りだな。ブラックソウル、おまえの挑発に乗ってもしかたない。いいかい、おまえが知っている通りおれたちはおまえが嫌いだ。おまえが宴を催したのはおれたちに、そう言わせたかったのだろう」
ブラックソウルは無言のまま笑っている。
「おまえも、本来おれたちの協力など受けたくないだろう。おまえはオーラ軍を見事な手腕でコントロールしているが、おれたちはおまえの戦略にのる気は全くないからな。おれたちは知ってのとおり魔族と戦うために編成された戦士団だ。神話の巨人が甦っておまえが苦労しているのは判るが、魔族と手を結んだおまえをおれたちは認める気はない。そこでだ」
ミカエルは強烈な意志の力により、強い光を放つ瞳を真っ直ぐブラックソウルへ向けた。
「今回おれたちがかり出されたのは長老たちの思惑もあったのだろうが、最終的におまえの意志がなければおれたちがここにいることは無いはずだ。おまえは、人を嘲弄し怒らせた上で、コントロールしていくのが得意なのだろう。いいだろう、おまえの手にとりあえずは乗ってやった。しかしな、ここまでだよ、ブラックソウル。
これから先はおまえの心理作戦とは別の駒が必要だ。言えよ。ブラックソウル。おれたちがおまえのために手を貸すと判断した駒が何かを」
ブラックソウルは無言で笑みを浮かべたままだ。奇妙な間があった。ミカエルがその瞳に戸惑いの色を浮かべた時、唐突にヴェリンダが口を開く。
「おまえたちは、魔族と戦うための戦士と言った」
龍騎士たちはヴェリンダに視線を集める。
「その通りだ」
ミカエルの答えに、ヴェリンダは静かに笑いながら答える。
「おまえたちが、戦士と呼ぶに値するほどのものかどうかはともかくとして、魔族と戦うという望みは叶えられるよ」
「どういうことだ」
ミカエルの問いに、ヴェリンダは託宣を下す巫女のようにゆっくりと答えた。
「狂王ガルン。彼の者が甦った。その魂はもうすぐサフィアスに訪れる」
ミカエルの表情が凍り付く。ミカエルは飢えた者が食物に手を延ばす時の顔付きでヴェリンダに再び問う。
「いつだ、そのもうすぐとは」
「今宵」
ヴェリンダは歌うように言った。
「星々が巡りガルンの魂をフライア神の神殿へ誘う。星たちの瞬きのもと、おまえたちもガルンの魂とあえるだろうよ」
五人の龍騎士たちと、その後ろに佇む五人の女たち。彼らは言葉を失い、魔族の女王を見つめていた。
「もしもそれが本当であれば」
ミカエルは呟くように後ろに佇む女に声をかける。
「今日まで生きながらえたかいがあるというものだな、ロスヴァイゼ」
ロスヴァイゼと呼ばれた女は、静かに頷いた。
「仰るとおりです、マスター」




