第六話 アルケミアからきた魔導師
サフィアスのなだらかな丘陵、その中腹にある娼館に王子エリウスはいた。娼婦でありフライア神の巫女でもある神官の煌びやかな僧衣を、身につけている。その姿は群を抜いて美しく、口を開かなければその女装を疑うものはまずいないだろうと思われた。
エリウスは、部屋の窓から月明かりに照らされたサフィアスの街を見下ろしている。その茫洋として何も考えていないような瞳に、一瞬動きがあった。
「あれ?」
エリウスの眺めていた窓に、漆黒の手がかかる。そして、ぬっと少年のように髪を短く刈り込んだ頭が現れた。
「ようエリウス、久しぶりやな」
「バクヤなの、どうしてここへ?」
バクヤと呼ばれたその女は、黒豹のようにしなやかな身のこなしで部屋の中に入り込む。にいっと、美貌に似合わぬ野性的な笑みをうかべてエリウスを見つめた。
「ユンク先生に聞いたんだよ、おまえがここにいるって」
「ああ、なるほどね」
エリウスはふっ、と笑った。
「なんだか騒がしい夜だと思ったんだ。おまけに、血の臭いがするし」
バクヤは、あぐらをかいて座り込む。
「返り血は浴びなかったつもりやけどな」
「で、僕に用事があるの?」
「いや、ただの挨拶や」
「ふうん。で、この街で何をするつもり?」
バクヤはにこにこと楽しそうに笑う。その瞳には獰猛な輝きが宿っている。
「ここにブラックソウルが来ているからな。ここならやつと接触するチャンスもあるやろう」
「えー、やだなあ」
エリウスはふくれ顔になる。
「騒ぎがおこると巻き込まれちゃうしなあ。敵うちなんて、もうやめちゃえば」
「あほか、おまえ」
ばん、と右手でエリウスの頭をはたく。
「自分の父親と姉を殺した相手をそう簡単に諦められるかい」
エリウスは、むっとなって頭をさするがバクヤはきっと睨み付ける。
「大体やな、おまえも父親をオーラ軍に殺されたんやから敵をとらなあかんのちゃうか」
「うーん、父さんはうまいこと逃げたよなあ」
「なにぼけかましとんねん」
ばん、と再びバクヤはエリウスの頭をたたく。
「こんなところでぼーっとしてないで、軍を率いて反攻せんかい」
「んー、でももう僕、関係ないもん」
バクヤは目を剥いた。
「そんなこと誰が決めた」
「僕」
「あほか」
ばん、ともう一度バクヤはエリウスの頭をたたいた。
「でも、誰も僕に期待してないし。僕に軍を貸すほど頭のいかれた貴族はいないよ。いたとしたら僕を利用したいだけだろうし。トラウスなんて潰れちゃったんだから、もうどうでもいいじゃん」
バクヤは、もう一度叩こうとして手をあげる。エリウスは反射的に頭を押さえた。
しかし、バクヤは思い直し、ふっ、とため息をつく。
「まあ、確かにおまえみたいなあほたれに率いられる兵士は、可哀想やな」
「そうそう」
「おまえがいうな」
バクヤは脱力した気分になり、腕を組む。その時、扉が叩かれた。
「誰?」
「失礼します、エリウス様。サラです」
神官の姿をした女性が部屋に入ってくると跪いた。一瞬、バクヤのほうに視線を投げかけるが、何も言わない。
「エリウス様に会いたいという者が、ここにきましたので」
「ふうん」
エリウスはぼんやりと、サラと名乗った女性を見る。髪は短く切りそろえられ、どこか少年のような凛々しい輝きを持った女性である。僧衣を身につけているが隙はなく、身のこなしも機敏そうだ。おそらく神聖騎士団の一人だろうとバクヤは判断する。
「賑やかな夜だな。どうしてその人は僕がここにいるって判ったの?」
「そのものは、アルケミアからきた魔導師と思われます」
「アルケミア?」
「魔導師?」
エリウスとバクヤは同時に驚きの声をあげる。
「まさか魔族、てことはないよねぇ」
「もちろん、違います」
エリウスの疑問を、サラはきっぱりと否定した。
「じゃ、会ってみようか」
軽くいったエリウスに、ちょっとサラは不満げな顔したが、エリウスを導き部屋を出た。
◆ ◆ ◆
そこは祭儀場である。ここでいつもフライア神に捧げる祝宴が催された。そこは、華麗に飾り付けられた場所である。色鮮やかなタペストリが壁にかけられ、家具や内装は流麗な曲線を描く修飾過多ぎみなデザインが為されていた。見る者によっては悪趣味ともとれるほどの派手なデザインであるが、かろうじてそれを見るに耐えるものにするだけの緻密な技が使われている。
その華やかな空間に、最も似つかわしくないであろう人物が佇んでいた。そのものは、魔導師が好んで身につける灰色のフードつきマントで全身を包み込んでいる。
その容姿も体型もよく判らない。その姿は逢魔が時に浮かぶ幻影のようであり、冥界に住まうものに相応しい。
その魔導師の前に、エリウスがバクヤとサラを伴って現れた。白の長依に金と銀の糸で華麗な刺繍を施した僧衣を身につけたエリウスは、つかつかと魔導師の前に歩み寄る。煌びやかといってもいい女装姿のエリウスと、黄昏の国より彷徨いいでた灰色のマントを身につけた魔導師は実に対象的であった。
エリウスは、顔を傾けフードに隠れた顔をのぞき込む。
「へえ、黒い肌なんだ」
エリウスは、手をフードにのばす。魔導師はエリウスの手を激しく払いのけた。同時にエリウスの手にあたってフードがはね上げられる。
そこに現れたのは、黒い肌の少女であった。黒い肌といっても魔族の肌のように星無き夜の闇の黒さでは無く、暁の太陽の輝きを内に秘めた黒さである。近づけば草原を渡る太陽の熱を吸収し焼け焦げた風の臭いを、感じさせるであろう肌の色だ。
髪は黒い直毛で、短く切りそろえられている。瞳は、琥珀色に近い輝きを持っていた。その沈みゆく太陽の輝きを閉じこめた瞳はエリウスを見つめているが、その中には明らかにおぞましきものをみる色がある。
エリウスはにこにこと楽しげにその少女を見ていたが、唐突に手を延ばす。
反射的に少女は退いた。エリウスは、あははと笑う。
「ふーん。僕が怖いわけ?」
「白い肌は汚らわしいものと教えられてきたからな。アルケミアでは白い肌の者は家畜として扱われる。おまえの肌の色に慣れるには、時間がかかりそうだ。おまえが、エリウスなのか?」
「そうだよ」
エリウスはにっこり微笑んで答えた。黒い肌の少女は、侮蔑の感情を含んだ目でエリウスを見つめている。嫌悪の為か、眉間に皺が寄せられていた。
「私はアルケミアの魔導師、ヌバークだ。それにしてもおまえ、そんなに黒い肌が珍しいのか?」
「うん」
エリウスは素直に頷く。
「サフィアスにはズール族やバギ族の住む区域があると聞いている。黒い肌はそう珍しくも無いと思うが?」
「いや、僕サフィアスに来て間が無いもので。オーラ兵が駐留してるから出歩けないし。それで、僕になんの用?」
「とりあえず、もう少し後ろに下がってくれ。白い肌のものが近くにいるのは、落ち着かない」
エリウスは数歩下がる。かつてヌバークと名乗った少女ほど、この美貌の王子をここまで嫌悪を込めた瞳で見たものはいなかっただろう。ヌバークはようやく落ち着いたというように、ため息をつく。
「おまえが、エリウスという名の者であれば、頼みたいことがある」
「なんだかさあ」
エリウスは、にこにこしながら言った。
「人のこと汚らわしいとか家畜とかいっといて、頼み事するなんて調子よすぎない?」
「いや、別におまえのことを」
慌てて弁解しようとするヌバークを、エリウスは手をあげて止める。
「でもいいよ、助けてあげよう」
「おい、エリウス」
後ろでバクヤが言った。
「おまえ、何考えとるんや。今の自分の立場が判ってるのか」
「もちろん」
エリウスは、ヌバークを見たまま言った。
「でも、こんな可愛い女の子の頼み、聞かないわけにはいかないでしょ」
「おい、」
「エリウス様!」
バクヤとサラが同時に声を上げるのを、またエリウスは手を上げてとめる。
「でもね、ヌバーク。君も人に頼み事する時に、手ぶらってことはないよね」
「ああ」
ヌバークは頷いた。
「もしも、我々に助力がもらえるのならエリウス、おまえが自分の国を取り戻すために我々が手を貸してもいいと思っている」
「と、いってるんだけど」
エリウスはにいっと笑って、バクヤのほうを振り向く。
「やっぱ僕もトラウス奪回のために奮闘したほうがいいのかなあ、どう思うバクヤ?」
バクヤはやめとけ、あほという言葉をかろうじて呑み込んだ。さっきさんざんエリウスを叱りとばしたのを思い出した為である。
「おまえの問題や、すきにしたらええやないけ」
「だよね」
エリウスは、純真といってもいい瞳でヌバークを見つめると、言った。
「んじゃ、詳しい話を聞こうか」
ヌバークは胡乱げな瞳でエリウスを見る。どうもこの目の前の男は得体が知れない。考えが読めなかった。というより何も考えていないのかもしれない。そう見せかけて、計算尽くのような気もする。
ヌバークが迷いを振り切るように首を振ると、口を開こうとした。その時、祭儀場に一人の少女が入ってくる。作務依のような服を身につけた少女はまっすぐサラの元へゆく。サラの耳元へ何かを囁いた。サラの顔が少し蒼ざめる。
その瞬間、オーラの兵たちがその祭儀場へ入ってきた。全部で8人。小隊二つ分である。バクヤは咄嗟に身を隠していた。サラが小隊の前に立つ。エリウスはヌバークを隠すようにその後ろに回る。
小隊長らしい男が一歩前に出た。同時にサラが激しい口調で言う。
「神前です。ここで暴力を振るうことは許しません」
小隊長は苦笑を浮かべる。
「おれたちは、トラウスの神殿を蹂躙してきたばかりだぜ。いずれにせよ、おまえらに用は無い。用があるのはそこの魔導師だ」
「グーヌ神とフライア神を共に敵に回すというのですか」
サラの言葉に小隊長はさらに笑いを深める。
「だからおれたちはもう、中原じゅうの神様を敵にまわしてるんだよ。おい、魔導師殿、我々にはあんたの術はきかないよ。おれたちの鎧はヴェリンダ様自身の手で魔封じの呪術文様が刻印されてるからな。おとなしくこいよ。でないと死ぬことになるぜ」
「気をつけなさい」
サラはうんざりしたような口調になって、言った。
「警告しておきます。今すぐここから立ち去らなければ死ぬのはあなたがたです」
小隊長はサラに負けないうんざりした口調で言った。
「だからおれたちはもう、百万回くらいは地獄に行くくらい神域を犯してきたんだって。神罰なんざいまさら」
「いやいや、そうじゃなくて」
突然エリウスがのほほんとした口調でしゃべりだす。
「サラの警告は正しいよ。僕もいっとくけど、今すぐここから立ち去るか、ここで死ぬかそのどちらかしか君たちには選択子がないよ」
オーラの兵たちは、ぎょっとしたようにその青年の声で語る美貌の人物を見た。
その常軌を逸しているといってもいい美しさと黒髪、黒い瞳。その特徴にあてはまる人物を兵たちは知っていた。
「まさか、あんた」
「あたり、だよん」
エリウスのひとを喰ったものいいに、兵たちは一斉に剣を抜いた。戦闘陣形をとる。素早く二人一組の兵がエリウスの前後左右に展開した。
エリウスは美しい瞳で夢見心地に兵たちを見ている。小隊長は残虐な笑みを投げかけた。
「こいつはいい拾いものをした。王子エリウス、噂通りの美しさだ」
「いやもう、王子じゃないって。トラウス無くなっちゃったし」
オーラの兵士たちは羊を囲む野犬の群のように、殺気立っていた。その瞳には血肉を引き裂く欲望が渦巻いている。欲情しているかのように激しい気がその全身から立ち上っていた。
対するエリウスは夢の中にいるように、佇んでいる。異なる時間の流れにいるもののように、兵たちを無視して薄く笑っていた。
「僕は一応警告したからね、みんな」
小隊長はエリウスを捕らえるつもりは無い。優れた剣士と聞かされているからだ。しかし、8人の訓練された兵士に囲まれて切り抜けられる剣士がいるとは思えない。
だいいちエリウスは剣を身につけてさえいなかった。要するに血が見たかっただけなのかもしれない。目の前の美貌の王子が血の海に沈む様が見たかったのだろう。
小隊長は号令を発するべく口を開いた。しかし、声は出ない。一瞬、視界の片隅に閃光が走ったような気がしている。
ふと小隊長は自分の身体が血塗れであることに気付いた。その血は自分の喉から流れているようだ。薄れていく意識の中で、自分の部下たちも同様に血塗れであることに気付く。
何が起こったのか判らぬまま、オーラの兵たちは糸の切れた操り人形のように倒れていった。エリウスは一人薄く笑いながら、緋のビロードを床へ敷き詰めたような血塗れの祭儀場に立っている。ヌバークは思わず戦慄とともにエリウスの手にある水晶剣を見た。
フェアリーの羽のように薄く氷のように透明なその剣。刃渡り三十センチほどの剣をエリウスはエルフの紡いだ絹糸で操ったのだ。
兵たちの首筋を掻き斬るのに、瞬きするほどの時間しか必要としなかった。到底人間のなしうる速さではない。
エリウスは物陰からあらわれたバクヤに声をかける。
「一緒にいくでしょ、バクヤも」
「なんでおれが」
「だってオーラの兵が踏み込んだということは、ここはもう包囲されてるよ。脱出するのに僕の知ってる抜け道使わないと苦労するよ」
バクヤは憮然とした顔になる。サラが口を開こうとしたのをエリウスが制する。
「僕の剣持ってきて」
「エリウス様」
「ま、僕は適当にするから、後よろしく」
サラはうんざりしたように、エリウスを見るとあきらめたように指示を少女に出す。少女は駆け出していった。




