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ワルキューレ シリーズ  作者: ヒルナギ
第三章 天空のワルキューレ

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第一話 トラウスの崩壊

 巨大な白い石柱が立ち並ぶ中を、兵士たちが駆けぬけてゆく。三千年の歴史を持つ王国の首都トラウスは、侵略者たちの前に屈しつつあった。

 一団の兵士らの先頭を駆けるレンには、この神殿が巨大な神の墓場に思える。トラウスの中心にあるヌース神の神殿は、ただひたすら巨大な石柱と白く輝く壁が続くばかりで、白銀の雪原に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 この巨大な純白の迷路を、数万もの兵士が制圧しつつある。しかし、戦闘は殆ど行われなかった。神官たちは無条件に降伏しており、神官兵士と呼ばれる者たちも決して人間相手に剣を抜こうとはしない。

 この巨大な神殿を他国の侵入から守っていたのは、そここそ神の地上に降り立つ場所とする信仰が生きていたからである。人々がこの場所、トラウスに抱く畏怖の念こそ、最大の防壁であった。

 今その信仰にささえられた畏怖の念は、踏みにじられている。兵士の中には神殿に足を踏みいれたとたん、神の炎により焼き尽くされると信じていたものもいたが、何も起こらなかった。

 本来はそのこと自体が衝撃的なことのはずである。しかし、レンは何も感じないように努めた。おそらく彼の周りの兵士たちも同じ思いのはずだ。戦場では、ただ任務だけを忠実に実行する。それは彼らの体の中に刻み込まれた本能のようなものであり、今はその本能にただしたがうことが彼らの精神を守っているといえる。

 レンたちは命じられたとおりに、神官たちを見つけると捕虜として連行し、指定された拠点を確保するまで前進するだけであった。その先にあるといわれるロザーヌの塔。それが何ものであるかは、何も知らなかったし教えるといわれても拒否しただろう。

 ここには壮麗な壁画や、神像、宝石に飾られた神具は無い。ここに祭られるヌース神は理念のみの存在であり、偶像を否定しているからだ。ここはただ広く、高く、空疎であった。それは知っている。

 しかし、レンは不安だった。おそらく周りの兵士たちも同じだろう。ここには何かがあるはずだ。いや、何かがなければならない。中原で最強の軍であるオーラ軍が万を超える兵力を投入して制圧しているのだ。

 ようやくレンたちは、指定された拠点の手前まで来た。後すこしで彼らの疾走は終わり、本隊の到着を待つことになる。しかし、レンたちは目的の地点にたどり着かなかった。

 レンたちはその瞬間、走ることを忘れる。それは神話が降臨する瞬間。レンたちは改めて自分たちが神の棲む場所へ来たことを知った。

 巨人である。レンたちは、目の前に現れた巨人を見つめていた。白亜の神殿から浮き出てきたように思える純白のマントを身につけた巨人。

 その髪は黄金の炎であり、その瞳は青く輝く宝石。見事に均整のとれた四肢を持つ巨人は女性の姿を持ち、しかも美しい。

 そう、美しかった。それは人間の持つべき美しさでは無い。いや、自分たちは卑小な誤った存在であり彼女こそ、その巨人こそが完全なる存在だという錯覚に陥っていく。

 最初に我に帰ったのはレンである。彼は自分の隊のものに指示を出す。彼らは四人一組のユニットから形成されており、8ユニットが一つの隊である。

 レンの配下には今二つの隊がいる。レンは一つの隊を後方に配置し、巨人の前後左右に2ユニットずつ置いて四方からとりかこんだ。

 巨人についての一応の知識は持っている。まともに戦ってかなう相手ではない。後方の隊より数名が援軍を依頼しに走った。彼らにできることはただ足留めくらいである。

 巨人は薄く笑いながら、兵士たちが布陣を整えるのを見ていた。その笑みには嘲りが潜んでいる。レンにはそれが判った。


「道をあけるがいい、小さき者たちよ」


 巨人の声が、真白き神殿に響く。それは雪原をわたる風であり、闇を裂く月の輝きであった。レンは自分の足が震えているのに気付く。


「望んで死ぬことは無いぞ、小さき者。いくらとるに足らぬ生であっても、虫けらのように死ぬことは無い。いいか、私の望みはロザーヌの塔へゆくこと。道をあければ誰も殺さない」


 レンは自分でも理解できない陶酔がゆっくりと心を満たしていくのを、感じる。神話と一体化し、神話を生き、神話の中で死ぬという陶酔。それこそが、今目の前でおころうとしていることであった。

 レンは自分が絶叫するのを、他人ごとのように聞いた。


「殺せ、その無様な白い女トロールを八裂きにしろ」

 兵士たちは槍を構え、攻撃体勢にはいる。その瞬間、閃光が疾った。レンは自分の視界が紅く染まったのを知る。

 目の前に八人の兵士たちが転がっていた。その兵士たちは胴を両断されている。真っ白な石の床を、夕日が雪原に沈むように真紅の血潮が紅く染めてゆく。

 巨人は剣を抜いていた。切っ先きが戦斧のように平たくなった、半ばメイスのような巨大な鉄材を思わす剣だ。無骨な外見に似合わず、きめ細かい輝きを持つ剣である。巨人は、その剣で一瞬にして八人の兵を斬った。太刀が振られる瞬間は、肉眼では捕らえられない。ただ閃光にしか見えなかった。

 レンは夢中で絶叫する。そうしなければ、一歩も動けなかっただろう。兵士たちも皆、雄叫びをあげる。フレヤだけが残酷な女神の笑みを浮かべていた。


「殺せ、殺せ」


 レンはそう叫びながら自らも剣を抜く。そして最後にレンが見たのは、自分の血で紅く濡れた石の床であった。


◆        ◆


 ふたりの女官が、神殿の中を駆けてゆく。一人は銀の髪、もう一人は黒髪であった。黒髪の女官が遅れ始める。銀の髪の女官は立ち止まり、後ろの女官に声を掛けた。


「エリウス様、急いでください」

「もうだめだよ、ちょっと休もう」


 黒髪の女官が発したその声は、青年のものだ。白い女性用の僧衣に身を包んだその若者は、男性らしい。しかし、その美貌は性を超越した妖精めいたものであり、声を発しないかぎり性別は判りそうになかった。

 エリウスと呼ばれたその青年は、白い布につつまれた細長い杖のようなもので体を支え、息をととのえながら銀の髪の女官に声をかける。


「ねえイリス、父さんはどうしたのかな」


 イリスと呼ばれたその女官は、サファイアの青さを持つ瞳に苛だちを宿しながらエリウスを見る。エリウスより年上らしいイリスは冷めた美貌の持ち主だが、エリウスの前に立つと見劣りすると言わざるおえない。


「王のことを言っておられるのであれば、トラウスの防衛戦で戦死されたとお伝えしましたが」

「いや、そういうことになっているのは知ってるけどね。一応、僕は肉親だよ」


 イリスの瞳は冷たい輝きを放ち、我慢の限界に来つつあることを示している。しかし、それを見るエリウスはのほほんと笑うばかりだ。イリスは溜息をつく。


「なんといわれようと、答えは同じです」

「はあ、そうですか」


 エリウスは気の抜けた返事をする。その表情は茫洋として考えが読めない。というより、その美貌の青年は何も考えていないのかもしれない。


「それにしても、結構神殿の奥深いとこまできたね。もうすぐロザーヌの塔への扉があるよ」

「そろそろ行きましょう、脱出できる地下道の入り口は、すぐそこです」


 イリスに促され、ようやくエリウスは歩き出す。イリスは、白く高い神殿の壁にある扉を押した。

 扉を抜け出た二人は、息を呑む。そこに居たのは、侵略軍の兵士たちだ。歩兵の数は三個小隊を超えているだろう。それよりも目を引くのは、その後ろにいる鋼鉄の蜘蛛を思わせる機動甲冑だ。

 漆黒の黒い装甲に包まれ、鋼鉄の八足を蠢かせる巨大な蜘蛛たちは、二十機もいるだろうか。その亜生命体である機動兵器は、中原のあらゆる軍隊を打ち破ってきた。無敵ともいえる鉄の蜘蛛たちは、その凶悪な外見にふさわしい強大な戦闘力を持つ。

 イリスはとっさに悲鳴をあげると身を伏せ、体を震わせる。エリウスもそれにならった。イリスは心の中で呟く。


(まさか、こんなに速く神殿の深部までくるとは。まるでここを目指してきたような)

「こんなところで、何をしている」


 侵略軍の歩兵が、声をかけた。


「お許しください」


 イリスが震える声で答えた。兵士はなだめるように、問いを繰り返す。


「何をしていると聞いた」

「逃げようとしたのですが、道に迷ってしまい彷徨っていました。まだここに来て日が浅いもので」


 兵士は少し相談すると、手を振った。


「行け、出口は向こうだ」


 イリスとエリウスは立ちあがり、立ち去ろうとする。その瞬間、再び兵士が声を発した。


「そこの黒髪の女、それはなんだ」


 兵士はエリウスの持つ、細長い包みを指さしている。イリスはとっさに答えようとした。


「それは」

「おまえに聞いているのでは無い、黒髪の女、おまえが答えろ」


 兵士の答えに、エリウスは微笑んだ。神々ですら魅入られるであろうその美貌。その黒き瞳の輝きは、神秘性すら宿しているように見える。兵士たちはエリウスに目を奪われ、同時に戦慄を覚えた。

 そこにいる兵士たちは直感的に、自分の出会ったものが魔であることに気付く。

それは人の美しさでは無い。古きこの王国に潜む魔の一つに違いなかった。

 エリウスは笑みを浮かべながら、ゆっくりと手にした包みをほどく。


「もういいよ、イリス。面倒臭くなった」


 包みの下から現れたのは、漆黒の鞘に収められた剣である。柄には絹糸が何重にも巻かれていた。エリウスはもの憂げにしゃべる。


「申し訳ないけれどあなた方には、死んでもらうよ」

「貴様、」


 兵士たちの前でゆっくりと、その片刃で微かに反りがある剣が抜かれた。その剣は奇妙なことに刀身を半ばで絶ちきられいる。兵士たちはエリウスから目を離すことができない。その美しさは、見るものの心を停止させてしまう。

 漆黒の瞳が妖しく煌めく。エリウスは左手に剣を掲げたまま、一歩前にでる。


「じゃあ、誰から死ぬんだい」

「ふざけるな」


 兵士は叫ぶと、槍を構える。兵士たちは理解していない。自分たちが目の当たりにしているものが、伝説の刀ノウトゥングであることを。エリウスは艶やかといってもいい笑みを見せ、剣を構える。そして、唐突に動きを止めた。


「やあ、ひさしぶりだ」


 そう言ったエリウスの眼差しは兵士たちを通り越して、その背後を見ている。ただ茫洋と視線を泳がしているようなエリウスの見る先を求め、兵士たちは振り向いた。そして、文字どおり凍りつく。

 その瞳は、真冬の晴れ渡る空。その髪は黄金に輝く夜明けの太陽。身に纏ったマントは新雪の純白を備える。そして凶悪にして繊細な輝きを持つ剣を手にし、巨人が佇んでいた。

 その美貌の巨人は女神の微笑みを見せ、エリウスに語りかけた。


「おまえか、小僧。何をしている」

「いや、ただこうしているんだけど」


 エリウスは、見るものが陶酔に呑み込まれるような美しい笑みを見せた。


「よかったよ、フレヤ。君がこなかったら僕が死体の山を造らないといけないところだった。こういうことは、君にまかせるよ」

「やれやれだな」


 フレヤと呼ばれた巨人は、溜息をつく。兵士たちは後ろに下がり、機動甲冑が動き始めた。機動甲冑たちは、その先端部から火砲の砲身をつきだし、フレヤに狙いを定めている。

 巨人が跳躍したのと火砲が火を吹いたのは、ほぼ同時だった。紅蓮の炎が白亜の神殿を舐めまわす。白い巨鳥のように舞いあがったフレヤは、真冬の暴風となり鋼鉄の蜘蛛へ襲いかかった。

 雪原を支配するブリザードと化した巨大な剣が鋼鉄の蜘蛛を跳ねとばす。両断された2体の機動甲冑が兵士の中に墜ちていった。怒号と悲鳴が沸き起こる。

 フレヤは怒れる真白き神となった。黒く蠢く機動甲冑たちは、真紅の炎を巻き散らしながら破壊されてゆく。そこは爆煙と火焔に満ちた狂気の地獄となる。ただフレヤだけはその破壊の中心にいながら、冷たく冴えた月のような美貌に笑みを浮かべ続けていた。

 瞬く間に機動甲冑たちの半数は、壊滅している。呑気に日向で微睡んでいるようにその様を見つめていたエリウスは、背後のイリスに声をかけられ我にかえったように振り向いた。


「逃げるなら今です」

「うん」


 素直に頷いた女装の青年は、イリスに従って狂気と炎に満ちた戦場を後にした。


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