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ワルキューレ シリーズ  作者: ヒルナギ
第二章 妖精城のワルキューレ

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第二十六話 何でもない日

 始めは、遠いところで鳴る音楽に気づいたような気持ちであった。ホロン言語はバクヤの心の中で独自に動き始める。

 それは生き物のように、バクヤの心の中に一つの領域を確保した。元々バクヤはユンク流剣術とよく似たラハン流格闘術を身につけていた為、ホロン言語はなんの違和感もなくバクヤの中に吸い込まれていく。

 バクヤは、それを見つめているのに気がついた。むしろそれを見ている自分がいることに、気がついたというべきだろうか。

 それをどう例えるべきだろう。バクヤは自分の心の中で起こっていることに対して形容できる言葉を持っていなかった。

 突然時間が逆戻りして廃墟が繁栄する都市へと変化してゆく。あるいは、真冬がいきなり終わり、夏の盛りに切り替わってゆく。

 そんな言葉で例えられるようなことが、バクヤの中で起こりつつある。

 それまで荒涼として何もなかった部分に、いきなり複雑な構築物が出現したようだ。それは機械にも似ている。水晶と光の管によって構築された複雑な機械。あるいは透明で光の音楽を奏でることのできる楽器。

 その何者かが、バクヤの心の中を思念で満たしてゆく。バクヤはただそれを見ていた。その何者かが彼女の心を整理し、闇を駆逐してゆくのを。

 バクヤは突然気づく。自分の目の前に巨大で獰猛な獣がいることに。さっきまで自分はその獣と一体化していた。今は違う。ホロン言語によって造り出された思念が、獣の輪郭を明瞭に示している。

 バクヤは、その獣に命じた。おれに従えと。

 その巨大な獣は姿を変えてゆく。左手へと。闇色の左手へ。


◆         ◆


 バクヤは光の中にいた。妖精城の屋上である。

 バクヤの視界に彼女を見守る者たちが入ってきた。

 妖精の王ペイルフレイム、そしてその妻シルバーシャドウ。

 漆黒のマントを纏ったロキ。

 白衣のフレヤ。

 そして、春風駘蕩とでもいうべき平和な笑みを浮かべたエリウス。

 みんなバクヤの前にいた。

 エリウス以外は信じがたいものを見る目でバクヤを見ている。バクヤは無邪気な笑みを見せ、闇色の左手を上げた。


「よっ、ご苦労さんだね、みんな」


 そしてバクヤはエリウスに眼差しを向ける。暫く見つめた後、すこし照れたように言った。


「ま、ひとつ借りということやな、王子」


◆         ◆


「ご苦労であったな、エリウス」


 バクヤと別れ、師であるユンクのもとにエリウスは戻った。平和な春の日差しに満ちたユンクの小屋の前で、エリウスは師に出迎えられる。


「ただいま、先生」

「エリウスよ、ところでおまえに聞きたいことがある」

「なんですか」

「おまえの心の中には、おまえとは違う何かが居るな」

「うん」

「その何かと話がしたい。できるか」

「うん」


 エリウスは、優しい昼下がりの日差しの中であっさり答える。


「できるよ。今呼んでみるね」


 突然、エリウスの表情が変わる。そして瞳の奥底に、金色の光が宿った。エリウスは老いたもののように落ち着いた声で語る。


「私に何か用かね」


 ユンクはその長き年を経た魔導師を思わせる存在をじっくりと見つめる。そして静かに言った。


「おまえは何者かね」

「指輪の王と言っておこうか」

「おまえは魔法的な精霊の類なのかね」

「いや、もっと人間的だよ、私は。太古の王国が繁栄していた時代には、ごくあたり前の存在だったがね。まあ人前に出るのは久しぶりかな」

「もっと具体的にいってもらえないかな、自分が何者かを」

「いうなれば、知の集積体だよ。王国が建国されると同時に延々と積み重ねられてきた知識の集合。それが私かな」

「王国の再建を助けるつもりなのか」

「さて」


 暫く沈黙が支配する。そこを満たすのは心地よい春のそよ風だけ。日は空に輝き、小鳥が唄を囀る。

 ユンクが沈黙を破った。


「おまえの目的はなんだ」

「どうでもいいだろう。おまえは私を利用したいようだな。何しろこの王子は、何だか型破りすぎるしな。私ならこの子どもを名君にできる。その反対にするのも簡単な話だけどね」

「もう一度聞く。目的を言いたまえ」

「私は利用できないよ。さてどうするね。私を消すか」

「王国の為にならない存在であれば、斬るしかない」


 ユンクは剣を抜く。それはノウトゥングと同様の形をしていたが、色が漆黒であった。鍔も柄もぬばたまの黒。ただ半ばで断ち切られた刃だけが、暖かな春の日差しを受け怜悧な輝きを見せている。


「なるほど、ノウトゥングと双子の剣、モーンブレイドか。黒金剛石の刃を持つその剣であれば私を斬れるかもしれない。しかし、どうかな」


 再び沈黙が支配する。

 エリウスは剣を抜かなかった。

 二人ともただ立ち尽くす。

 静かな春の昼下がり。

 蒼穹は無限の高さで二人の頭上に広がる。

 空駆ける獣のように雲が流れていった。

 世界は何事もなく平和でただ時だけが過ぎて行く。

 日は次第に陰ってゆき。

 西に沈んでゆく太陽は、空を黄金色に輝かせる。

 遥かな空の高みで青が深まり、地上に佇む二人の影が濃度を増した。

 黄昏の女神がヴェールを広げたように、地上を薄闇が覆う。

 そして、エリウスが言った。


「どうしたんですか、先生」


 指輪の王は消えていた。ユンクはため息をついて剣を納める。


「いや、何でもない」


 ユンクはゆっくりと繰り返す。


「何でもないよ、エリウス」



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