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ワルキューレ シリーズ  作者: ヒルナギ
第二章 妖精城のワルキューレ

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第二十五話 無謀な企て

 エリウスは金属の獣を見つめ続けている。斬ることはできない。獣とはいえ、その肉体はバクヤのものだからだ。そして獣も動けなかった。おそらく目の前にいる少年が、自分を殺す力を持った存在であることを、本能的に悟ったためだ。

 突然、空の闇がさけた。闇の中から世界が出現するように、妖精城を覆っていた暗黒が消え、銀色の空が輝きを取り戻す。

 その時、漆黒の獣が動いた。無数の金属の触手が、黒い蛇のようにエリウスの体へ向かって伸びる。同時にノウトゥングが透明の輝きを放つ。

 金剛石の刃がメタルギミックスライムの触手を切断していく。切り落とされた触手は地に落ち、黒い水のように溶けていった。

 金属の野獣がエリウスとの戦いに専念している時、空の一角が激しい光を放つ。

その光の中から純白の巨大な鷲が姿を現した。妖精王である。

 白く輝く鎧を身につけた巨人フレヤを足で掴み、漆黒のマントを身に纏ったロキを背負った白き鷲は、急速に降下してきた。金属の獣の上でフレヤを放す。フレヤは黒い獣に向かって降下していった。


「その獣を斬ってはいけない」


 エリウスの叫びに、フレヤは剣を振り下ろすのを思いとどまる。フレヤは黒い金属の獣の背後へ降り立った。巨大な鷲とロキもその後ろへ降り立つ。

 白い鷲は、妖精王の姿へと変化する。それと同時に金属の獣は、両腕を獣の前肢のように地におろすと走り去った。


「我々は彼女に警告したはずではなかったか、王子。彼女も自分の意識を失えば死ぬことを納得していたはずだ。我々は彼女をアイオーン界へと封じる。それは我々の義務だ」

「そうであれば」


 漆黒の髪を持つ中原で最も古い王国の王子は、神秘的な黄金の輝きを秘めた瞳でペイルフレイムを見つめる。そして静かに言った。


「残念ながらあなたを斬らねばならない。妖精族の王よ」


 ペイルフレイムはその性別や種族を超越したような神秘的美貌に潜む、死への強烈な意志を読み取って戦慄した。そして魔道の力を呼び覚まし始める。静かにエリウスの周りの空間が歪み始めた。


「やめろ」


 黒衣のロキが、ペイルフレイムの前に立ちふさがる。ペイルフレイムの魔道が止まった。


「王子は、何か手が残っているといいたいのだろう。まずそれを聞こう」


 そしてロキはエリウスへ向き直る。


「王子、あなたには彼女を正気に戻す手だてがあるというのですね」


 エリウスは少し微笑む。


「さて、どうだかね。とりあえず、彼女に手を出さないようにこの城のものに伝えてもらえますか、ペイルフレイム殿」


 妖精族の王は、蒼ざめた顔で頷くと姿を消す。フレヤは笑みを浮かべエリウスに語りかける。


「なんなら手をかそうか、王子よ」


 エリウスは首を振った。


「なんとかしてみるよ、一人でね」


 そういい終えると、エリウスは走りだした。漆黒の金属で身を覆われた獣が向かった方角へ。

 エリウスは走りながら心の中に問いかける。その問いに答えるものがいた。指輪の王である。


『どうするつもりだ、エリウス。何か考えがあるのか』

「うーん。どうしたものかねぇ」

『ではせめて自分の手で斬るとでもいう気か』

「まさか」

『では単に走っているだけなのか、何も考えず』

「うーん」


 エリウスはあどけないといってもいいような笑みをみせる。


「そうだねぇ、それが一番あたってる」

『やれやれだな、私になんとかしろとでもいうつもりか』

「そこなんだよねぇ」


 エリウスは神々ですら頬を染めそうな美貌を曇らせる。


「君になんとかしてもらうしかないんだけどね、指輪の王様」

『本気でいってるのなら大したものだな』

「君は人の心の中へ入り込むことができるよね」

『できないことはないな』

「でさ、僕の心と君が繋がっているということは君さえバクヤの心の中へ入り込めれば僕とバクヤの心を繋ぐことができるんだよね、多分」

『それはできるが、あの獣の心と繋がったとしても、どうすることもできないぞ』「うーん」


 エリウスは暫く沈黙する。


「そこなんだよねぇ」


 相手が人間であれば、いいかげん切れているところだろうが、指輪の王は辛抱強かった。


『そのいいかげんな企てに、私が協力すると思っているのか』

「うーん」


 エリウスは、茫洋として答える。


「どうでしょう」

『のらざるおえまいな、その賭けに』

「え?」

『後ろを見てみろ』


 見るまでもなかった。強烈な殺気が背後にある。エリウスは前を向いたまま、殺気に応える形でノウトゥングを振るった。

 漆黒の獣は、妖精城の屋上にある林の中に潜んだまま金属の触手を飛ばしたが、殺気を隠せるほどの知能は無かったようだ。黒い触手はノウトゥングに斬り落とされ、地面に消えてゆく。

 エリウスは、ゆっくりと振り向く。その口元には、春の日差しのもとで音楽を楽しんでいる詩人のような笑みが浮かべられたままだ。金属の野獣は林の中から姿を現し、鋭い牙の生えた口を広げて獰猛な唸り声を上げる。


「どうしよう」


 のほほんとしたエリウスの問いかけに、指輪の王が応える。


『死ぬぞ、このままだと。あいつは疲れることを知らない。間断無く攻撃を行えば、おまえが受けきれなくなることを、あいつは知っている。そして一番やっかいなのは、おまえがやつを殺せないことに、獣が気づいたことだ』


 エリウスはにっこりと笑った。


「それは困った」


 人間が相手をしていれば激怒していたかもしれないが、指輪の王は全く調子を変えない。落ち着いた口調でエリウスへ語りかける。


『とにかく、私をあの獣に触れさせろ。そうすれば、おまえの心をあの獣に繋げられる』

「はあ、なるほど」


 エリウスが気の抜けた返事をすると同時に、漆黒の蔦を思わせる金属の触手が再びエリウスに向かって襲いかかった。ノウトゥングを右手に持ち替えたエリウスは、金剛石の刃を水にあたって乱反射する光のように走らせ、その触手を切り落としてゆく。

 一本の触手がエリウスののど元へ伸びる。エリウスは、指輪をつけた左手で、その触手を掴んだ。その瞬間、エリウスは金属の獣の心の中にいた。

 そこは底知れぬ闇である。黒い水で満たされた湖の底。そんな空間にエリウスは居た。何も見ることはできなかったが、ただ飢えだけは感じることができる。殺戮に対する飢え。

 あらゆるものに対する破壊衝動だけがあった。その激しい思念は、何も見えない漆黒の空間に塗りたくられた現色の絵の具を思わせる。

 生々しい色で満たされた狂気の壁画。あたりを埋め尽くした黒い闇の向こう側にはその激しさが隠れているようだ。

 それでもエリウスは、呑気に笑っている。そしてゆっくり、確信を持って進み始めた。バクヤの心が隠されている場所へ向かって。

 エリウスはほとんど物質化していると思えるほど強烈な殺意を交わしてゆく。その様はあたかも小さな燕が猛禽の攻撃を躱しながら飛んでゆくようであった。

 やがて、闇の渦巻く所へ辿り着く。その奥にバクヤの気配があった。エリウスは、その獰猛な破壊衝動の渦と半ば一体化し、同時に巧みにその攻撃を躱しながら中へ中へと入ってゆく。

 突然、無風地帯にでた。そこでエリウスは闇の中に咲いた一輪の白百合のような、バクヤを見いだす。バクヤは全身を漆黒の鋼で縛りつけられており、その瞳は虚ろでどこを見ている訳でもなさそうだ。漆黒の鋼は口、鼻、その他体じゅうの穴からバクヤの体内へと入り込んでいる。

 エリウスは、一瞬その縛り付けられているバクヤの額に触れた。エリウスの手から光輝く何かがバクヤの体内に入り込んでゆく。それはホロン言語であった。

 そこまでが限界である。吹き荒れる嵐と化した暗黒の思念を躱しながら、エリウスは注意深くそして素早く撤退していった。

 突然、光に満ちた世界にエリウスは戻る。銀色に空が輝く妖精城の屋上で、エリウスは漆黒の獣の攻撃をかろうじて躱した。ノウトゥングが雷光よりも素早く宙を走り、蝶を絡めとろうとする蜘蛛の糸のように撒き散らされた触手を切断する。

 バクヤとの接触を断ったエリウスに指輪の王が問いかけた。


『おまえはその無謀な企てに勝ったのか?』


 エリウスは夢見るような笑みを浮かべたまま、答える。


「うーん」


 ほんの少し間を置いて、続ける。


「どうでしょ」


 黒い獣は猛々しく吠えた。しかし、攻撃は止まっている。何か迷いのようなものがその瞳の中にあった。突然、金属の獣だけ時間が止まる。

 メタルギミックスライムは、完全に動きを止めた。


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