第十九話 暴虐の女神
シルバーシャドウは、ブラックソウルたちが消えた空間を見つめていた。魔法が終わり次元の裂け目が閉ざされれば空間は安定するばずである。しかし、ブラックソウルたちが消えたその空間は安定するどころか次第に歪みを増してゆく。
その様は傍らにいるロキにも見えていたようだ。
「戻って来るぞ」
ロキの言葉とほぼ同時に、その空間の歪みから炎が出現した。黄金に輝くその炎は次第に大きくなり、やがて人の形をとる。
人型の炎は沈み行く太陽のように輝きを失ってゆき、その中にいる漆黒の人影が明瞭に見え始めた。昼間の太陽が沈み、暗黒の太陽が出現したかのごとく強大な瘴気がたちこめはじめる。シルバーシャドウは眉をひそめた。
炎が消え、漆黒の肌の女性が姿を現す。黄金に輝く髪と、闇の世界を支配する女神を思わせる美貌を持ったその女性は魔族であった。魔族の女性は、野生の獣が放つ燃え盛る生命力を持ち、魔神の叫びのごとき邪悪な瘴気を撒き散らしている。
魔族の女性は傲岸な笑みを放ちながら指を鳴らす。その後ろにブラックソウルと、白髪の男ティエンロウが出現した。
魔族の女は狂った神々の崇める黒い太陽のように邪悪な笑みを放ち、虫けらを見る瞳でシルバーシャドウを眺める。
「久しぶりだな、我が奴隷ども」
シルバーシャドウは蒼ざめた顔で魔族の女を見つめる。
「私たちはもう奴隷ではありません。かつて人間の王エリウスが結んだ約定をお忘れですか。第一あなたとてもう魔族の女王ではないのでしょう、ヴェリンダ」
ヴェリンダと呼ばれた女は楽しげな笑みを浮かべてシルバーシャドウを見る。
「私はアルケミアの女王だよ、奴隷」
シルバーシャドウは侮蔑の笑みを口元に浮かべる。
「魔族の女王ともあろう方が家畜と呼ぶ人間を夫にし、化身の術を使って人間に姿を変えて行動を共にするとはどういう事です」
ヴェリンダは哄笑した。世界の終わりに神々を滅ぼす終末の獣が咆哮するように、強烈な瘴気を撒き散らす。もしもその場に普通の人間がいれば、昏倒していただろう。エルフであるシルバーシャドウですら、病に犯された者のごとく蒼ざめている。
ただ、後ろに立つブラックソウルだけは激しい瘴気を受けても平然としていたが。
「思い出すがいい。おまえたちエルフは我々魔族が戯れに家畜と交わることによって生み出された種であるということを。おまえたちは家畜の血を受け継ぐ無様で憐れな生き物であったが、魔道の力を持っていたがゆえに奴隷として扱ってやった。思い上がるな。おまえたちが城とよぶこの粗末な住みかを廃墟に変えてやってもいいのだぞ。今すぐにな」
シルバーシャドウは昂然と眼差しをヴェリンダへ向ける。
「できるというのなら、やってみなさい。たかが人間の下僕と成り下がったあなたに、なんの力も認めません」
まるで暗黒の風が吹くように、邪悪な気がシルバーシャドウを襲う。シルバーシャドウの顔色は土気色となり、小刻みに体を震わせていた。
ヴェリンダは優しげといってもいい笑みを、シルバーシャドウへ向けている。
「どうしたね、奴隷。顔色が悪いようだね。もうおしゃべりは終わりなのかい」
シルバーシャドウの視線は虚ろであり、表情からは生気が失われていっている。
エルフの衛士たちは、色めきたって槍をヴェリンダへ向けた。ヴェリンダは笑みを浮かべたままだ。
「心配するな奴隷。死なせはしない。まず狂ってもらおうか。苦痛だけを感じる愚かな獣となって地を這いずってもらおう」
無言のまま、黒衣のロキが立ち上がる。
「そのくらいにしてはどうか、魔族の女王」
ヴェリンダはおぞましいものを見る瞳で、ロキを見る。
「黙れ、たかが自動人形であるおまえに意見されるいわれは無い」
ロキは表情を変えない。その冷たい瞳は差し貫くようにヴェリンダへ向けられている。
「確かにおまえを止めるのは私の仕事ではない、ヴェリンダよ。しかし、忠告だけはさせておいてもらおう」
ヴェリンダはせせら笑う。
「忠告だと?」
「ああ。いいか、もうすぐこの城の主が戻る。調子にのりすぎて気づいていないようだが」
ヴェリンダは高らかに笑う。
「奴隷の長が戻るか。ではその女と一緒に狂わせて、地面を這い回らせてやろうか」
突然、彗星が出現したかのようにヴェリンダの目の前に巨大な光の球体が顕れる。その眩い白い輝きの中から巨大な白い鷲が出現した。白い鷲は人間の身長以上の長さがある翼を数回うちふると、蒼白い焔につつまれる。焔の中で巨大な鷲は次第に姿を変えていった。
そして焔が消え、一人のエルフが姿を現す。蒼白い焔が燃え盛るような瞳を持ち、純白のマントを身に纏ったそのエルフは、皮肉な笑みを浮かべヴェリンダに語りかける。
「待たせたな、家畜の妻になりさがった魔族。私が奴隷の長、ペイルフレイムだ」
◆ ◆
女性の衛士長であるアンバーナイトは、爆煙が残る焼け焦げた丘陵で気がついた。槍を杖にしてなんとか立ち上がる。爆音はやんでいるようだ。戦いは終わったらしい。
傍らに自分を乗せていた一角獣の死体を見つける。首筋に金属の破片が食い込んでいた。おそらく一撃で死んだのだろう。苦しまなかったのが、せめてもの救いである。
アンバーナイトは自分の体を調べた。金属の破片は体の肉を引き裂いていたが、どうやら重要な血管は裂かれていないようであり、骨も無事のようだ。ため息をつくと、ゆっくり丘陵を登り始める。
アンバーナイトは丘陵を登りつめた。目の前には焼け焦げた草原が広がる。そこに広がっていたのは、破壊神の通り過ぎた後の風景だった。
鋼鉄の蜘蛛たちは一体のこらず破壊され、切り刻まれた足が放置された鉄材のように転がっている。それは金属でできた植物を思わせた。
漆黒の蜘蛛の胴体は鮮やかな切断面をみせ、屍を晒している。それは圧倒的な力の顕現であった。天上より降臨した破壊の力は、地上に無慈悲な暴虐の嵐をもたらす。
しかし、それはアンバーナイトの心になんの感情も引き起こさなかった。それは彼女たちの属している世界と次元の大きく異なる世界の力であった為だ。
それは神話の時代に属する始原の力に思える。目の前に無残な姿を晒している鋼鉄の蜘蛛たちの残骸は、創世の神に捧げられた生贄だった。
アンバーナイトは神話の時代へ立ち戻ってしまったような幻惑を感じる。全ては世界が創造される前の混沌と狂乱の中から立ち顕れた夢だと思った。
アンバーナイトは破壊しつくされた草原を歩いてゆく。それは金属の植物が生えた荒野を歩くのにも似ていた。
そしてアンバーナイトはこの世界に破壊をもたらした巨人、純白のマントを纏った暴虐の女神を見いだす。古の神殿に祭られる女神の彫像のごとく美しい顔は、燃え上がる金色の炎のような髪に縁どられ、サファイアのように青く輝く瞳はまっすぐエルフの衛士を見下ろしている。アンバーナイトは、放心した表情を見せ巨人の美貌を見上げた。
「ここは片づいた」
そう言い放つと、巨人フレヤは巨大な鉄材のような長剣を腰のスリングへ戻す。アンバーナイトはその何の感情もこもらぬ声を聞いて、自分を取り戻した。
「妖精城に強大な魔力を感じます。速く戻らなくては」
美しい巨人は笑みを浮かべると、妖精城へ向かい歩き出した。アンバーナイトはその後を追う。




