第四話 黒い炎団
夜が明け、ライゴールの首都である、ゴーラにも朝日が差し込む。昨夜とはうって変わり、輝くばかりに青く高い空を、朝日に染められた雲が流れてゆく。
何もかもが、雨に流されてしまったかのような街角に、ジークとケインは立っていた。ケインがぽつりと言う。
「お迎えが来たぞ」
ジークはぼんやりと、頷いた。ジークとケインの前にやって来た男は、灰色のマントを身に纏った、地味な男である。ただ、目付きの鋭さが、男の職業をものがたっているようだ。
男はケインの前に立つと言った。
「あんたが、ケインか?」
ケインは頷く。ジークは欠伸をした。2足で立ったトドを思わす仕草である。
「おれは、ミル。黒い炎団のものだ」
そう言って、一瞬印章を見せる。炎を形どった、黒い紋章が見えた。闇だけを見つめてきたかのような、男の瞳がケインとジークを写す。ミルがどう思ったのかは、その表情からは読み取れない。
「行こうか、ミルさん。あんたとこの、お頭に会わせてもらえるんだったな」
ケインの言葉に、ミルは黙って頷く。そして歩きだした。
冬眠から目覚めた熊のように、のそのそ歩くジークの臑を、ケインは素早く蹴飛ばした。
「いいかげん、目を覚ましたらどうだ」
「ああ、悪いな、昨日の酒が残ってるようでな」
ジークはぼやきながら、頭の後ろを叩く。ケインは諦めたように、ため息をついた。ミルという男は、二人の話しが聞こえているだろうが、無視して歩いていく。
ミルはゴーラの下街のほうへと、入り込んで行った。朝だけに、人影は疎らであるが、麻薬の夢の中を漂っているような男や、妖魔の血が流れているふうな娼婦が、けだるげに水タバコを吸引しているのを見かける。おそらく昨日の夜ここで殺されたものがいたとしても、その血は雨で流されてしまっているだろう。
2時間ほど、その迷路のような下街を歩いた後、ミルは、とある建物の地下へと続く階段を、下っていった。その壁には、邪神グーヌの僕の姿や、東方の名も定かではない、性愛の神の淫らな姿が描かれている。
ケインとジークは、その半神半獣たちの戯れる姿を描いた壁画を見ながら、地下へと降りていった。ミルは扉を開き、薄暗い部屋へ入る。ケインたちも後に続いた。
白い布で仕切られた向こうへミルは声を掛ける。
「二人をつれて来ました」
「ああ、こっちへこい」
布の向こうは思ったより広い部屋であった。部屋の中央は一段低くなっており、食物と壷のおかれた低いテーブルが置かれている。そのテーブルの向こう側に背が高く、体つきの逞しい男がいた。男はクッションの上に胡座をかいて、座っている。
どうやらその男が首領らしい。
部屋の周囲は、布で覆われており、その奥に人が潜んでいる気配をケインは感じた。ミルは後ろにさがり、姿を消す。ケイン達は、男の前に立つ。
「私が黒い炎団の首領、ゲールだ。腰をおろしたまえ」
思ったより若い男である。肌は浅黒く、髪も黒い。顔の彫りは深く、顔立ちは結構整っており、二枚目だ。目もとは、盗賊の首領とは思えないほど、涼しげであったが、豊かな口髭をはやしている口元は、皮肉っぽく歪められていた。
ゲールは値踏みするように、目の前に腰をおろした二人を見る。微かに笑みを含んだ目もとからは、何を考えているのか、読み取れない。
「ラハンの弟子といったね、君たちは」ゲールはよく通る美声で言った。盗賊には、似合わない声だ。
「ラハンの弟子はおれじゃない。こいつだ」
ケインに小突かれたジークは、愛想よく笑う。
「まかしてくれ。オーラの闘竜と、さしでやっても負けない。実力はラハン以上だ」
ジークは粒らな瞳をキラキラさせて、言った。
「東方の二十七の都市で、武闘会に出場し、すべて優勝した。あんたは好運だよ、ゲールさん。なにせ、地上最強の男が味方につくんだ」
「生憎と私は、言葉を信用できなくてね、」
ゲールの言葉と同時に、ゲールの後ろの布がゆれ、3人の男が現れた。3人とも、黒い革の鎧を身につけ、長剣を手にしている。
ジークは丸まると太った顔に、愛くるしいといってもいいような笑みを浮かべ、困惑したように肩を竦めた。
「ゲールさん、どういうことです?」
「実力を目に見せてくれ。彼らを相手に」
ジークは本当に困ったというように、丸顔を歪める。
「ゲールさん、私はあなたの部下を傷つけたくない。困りましたね」
「構いませんよ」ゲールは、涼しげに言った。「彼らには、あなた達を殺すように指示した。あなたが彼らを殺してもいいですよ」
急に、ジークの目が鋭くなり、口元に不逞ぶてしい笑みが浮かんだ。
「あんた、殺していいと、言ったな」
ジークの口調は楽しげですらあった。ケインが小声で素早く言う。
「殺すなよ」
「心配ないって、ケイン」
心配ないとはどういう意味かと思ったときには、ジークが立ち上がっていた。 3人の男たちは、ゲールの左側から回り込んで来る。ジークは、3人の前に立った。
3人の男達は、長身の男を中心に、残りの二人が左右に展開する。
3人とも構えは自己流であったが、人を斬り馴れているようだ。特に中心にいる長身の男は、それなりに剣の技を学んだことがあるらしく、構えが様になっている。
ジークは左半身を前に出し、包帯を巻いた左手を腰のあたりで曲げ、ゆっくりと揺らし始めた。右手は、顎の下に構えている。ほぼ直角に曲げた左手を振り子のように揺らしながら、ジークはフットワークを使う。
3人の男達は、丸腰のジークにかえって警戒しているようだ。正面の長身の男は左手で、片刃の剣を下段に構えている。左右の男達は、両刃の剣を突く体勢で、構えていた。
ゲールは座ったままのケインに声をかける。
「君は、見ているだけのつもりかい」
ケインは少し口を歪めて、言った。
「まあ、やつが調子にのりすぎたら、後ろから尻をけって止めますから、ご心配なく」
ゲールは戸惑ったようにケインを見たが、視線をジークのほうへ戻す。ジークは左手を揺らしながら、楽しげにいった。
「こいよ、こっちはいつでもいいぜ」
ジークは、粒らな瞳を輝かせてあどけない笑みをみせる。
「恐いかい、丸腰の相手が」
正面の長身の男が動いた。裂帛の気合いと共に、下段から剣をきり上げる。素早く激しい踏み込みであった。
突風のように、剣がジークの顔を掠めて上方へ振り抜けられる。いわゆる見せ太刀であった。一太刀目を相手に見切らせておいて、二撃目で初めて間合いに入る。
一撃目をかわしたと思い、攻撃に入ろうとした所を斬る手であった。
しかし、長身の男の手は、ジークに読まれている。上方へ抜けた剣は、刃を返して上段よりジークの頭上へ向かった。ジークはその剣に向かい、退かずに、間合いを詰める。包帯を巻いた左手が、疾風のように動いた。
キン、と甲高い音が響き、長身の男の剣がへし折られる。剣をへし折ったジークの左拳は、そのまま長身の男の顎へ叩き込まれた。
カウンターで拳を受けた男は、跳ね飛ばされる。仰向けに、床にダウンした。と、同時に左右の男達が、ジークに向かって剣を突く。避けようのないタイミングと、スピードだった。
左右の男達は、その時、信じられないものを見た。ジークの丸いでっぷりした体が、軽々と宙を跳んだのだ。ジークの巨体は空中で一捻りし、さらに一回転する。
左右の男たちの剣は、宙を斬った。
ジークは、仰向けに倒れている男の腹の上に、着地する。男の絶叫が響き渡った。
ケインが顔を、しかめる。
「内臓をやったな。一撃目で殺してやったほうがよかった。楽には死ねんぞ」
ジークは男の体から降り、その体を蹴飛ばして残りの男達の前に転がす。二人の男は、身を折って苦悶する仲間が足もとにいるせいで、踏み込みが止まった。 ジークはその隙に、左手の包帯をとる。そこに現れたのは、闇であった。漆黒の闇、星のない夜空のような闇が左手の形をとって姿を現す。
「あれは、」ゲールが呆然と呟く。「黒砂掌か。そんな……」
残った男達は、苦悶する仲間を跨ぎ越え、ジークの前に立つ。ジークは再び左半身の体勢をとり、黒い左手を振り子のように揺らしていた。
「待て!」
ゲールの制止よりも一瞬早く、二人の男達は、踏み込んでいた。その時、ジークの左手が黒い鞭のようにしなり、疾しる。
二人の剣は二本共、へし折られた。ぬばたまの闇が凝縮したような左手は、鉄の剣を木刀のように楽々とへし折る。ジークは、楽しそうに舌なめずりした。
「さて、」
「調子にのるな、ジーク」
「そこまでだ!ラハンの弟子」
ケインとゲールが同時に叫び、ジークの動きが止まる。部屋の周囲の布が揺れ、十人以上の剣を持った男達が現れた。ゲールは立ち上がり、男達の間へ入る。
3人の男達が、ゲールの前へ出る。男達は、火砲を持っていた。雷管式の、オーラ製の火砲らしい。長さは、五十センチほど、口径は三センチほどだ。
陶器の榴散弾を発射するタイプで、陶器の砲の中に尖った鉄のかけらを詰め込んだものが炸裂し、命中すれば人の頭を粉々にするくらいのパワーがある。男達は火砲を片手で保持していた。
「楽しそうな玩具を、持ってるね」
ジークは、子供のように無邪気に笑って言った。
「射ってごらんよ。ただし、射つなら必ず頭を狙いなよ。それ以外の場所に当たれば、あんたたち死ぬよ」
ジークはそういうと、左手を揺らす。黒い死神の鎌のように、左手が揺れる。火砲を持った男達の間に、微かな動揺が走った。ゲールは、命ずる。
「射て!」
ゲールが叫ぶと同時に、座ったままのケインの右手が素早く動く。何かが空を裂く音がした。
「うっ」
「つうっ」
火砲を持った男達の呻き声と共に、三本の指が木から落ちた芋虫のように、床へ転がった。男達の引き金に掛けられていた指が、鋭利な刃物で切断されている。火砲の銃把が血に塗れた。
「こんな所でそんなもの、ぶっぱなしてほしくないね」
ケインの軽く挙げた右手の先で、何かが光った。それは氷のように透明な、剣である。透明な剣の中で閉じこめられた光が、七色に輝き、あたかも清流が日差しを浴びて煌めくように反射した。それは三日月型をした、刃渡り二十センチほどの剣である。その一方の端にはエルフの紡いだ絹糸がつけられており、糸はケインの上着の袖口の中へと続いていた。
ゲールが呻くように言った。
「水晶剣……、あんた西方のユンクの弟子なのか?」
水晶製の剣、それは武器というにはあまりに華奢で、かつ清冽な美しさを備えている。ユンクは、その剣を使った剣術を開発した西方一の剣士であり、ケインの師であった。
ケインは苦笑する。
「よく知っているな。物知り博士か、あんた?」
ケインは水晶によって造られた、透明の三日月型の剣を、袖口にある鞘へ納めた。水晶剣は、隠密性の高い武器である。肉眼では捕らえにくい透明の剣を飛ばし、細くて丈夫なエルフの絹糸で操るという術を知る者は、少ない。
ゲールは、片手をあげる。まわりの男達は、剣を納めた。傷を負った者は、奥へ退がる。
「あんた達を、本物と認めよう。ケインとジーク。あんた達となら、ナイトフレイムの宮殿へ行くことができそうだ」
ジークはケラケラ笑った。
「始めっからいってんじゃん。おれは地上最強だって。ま、いいよ。お宝の話しようか」
そういうと、ジークはどっかりと腰をおろした。ゲールはその前に腰をおろし、改めてジークの左手を見る。
まるで日差しの下の影が、実体と入れ替わったかのような左手を、ジークはテーブルに置いていた。ゲールが尋ねる。
「それにしても、どうやったら、そんな手ができるんだ?」
「この大陸の東南のほう、クメンとバグダッシュの間のあたりの密林地帯には、黒砂蟲というやつがいる」
黒砂は鋼鉄以上の硬度を持つ、特殊な黒い金属の砂鉄である。その砂鉄の中には、黒砂蟲というスライム状のごく小さな虫が棲んでいた。その蚤よりも小さな虫は、柔らかい体表を外敵から守るため、黒砂を使って殻を造る。
この黒砂蟲は、動物の体にへばりつき、その血肉を喰らう。そして、黒砂蟲は一匹々は小さな虫だが、集団になると擬態を行う習性をもつ。すなわち、動物の体の一部分を喰らうと、その喰った部分の擬態を行うわけである。
例えば、足を喰らえば足を、手を喰えば手をといった具合に。そして、その擬態を行った器官を、黒砂の殻で覆う。ジークの左手のように。
黒砂掌は、黒砂蟲の擬態を利用したわけである。あえて自らの血肉を黒砂蟲に食わせ、その腕を黒砂で固めるのだ。
黒砂掌がガントレットを腕につけるのと違うのは、血肉を鉄に置き換えるのと同じことである為、余計な重さが腕に加わらないということである。また、腕の組成そのものを替えてしまうので、どんなに強力な打撃を行っても、拳を骨折することはありえない。
「自分の血肉を虫に喰わせる時、どんな気分だと思う?その痛みといったら気が狂いそうになるぜ。肉を食いちぎられる痛みで夜も眠れねぇ。そいつが、一か月以上続く」
実際、黒砂掌を学ぶ途中で多くのものが、発狂し挫折する。
「恐ろしいものだな、ラハンの技とは」
ジークとケインは苦笑した。黒砂掌はラハン流の防御の技である。ラハンの奥技は右手にあった。左手は右手を生かすための、補助である。
「そんなことよりだ、ゲールさん」
ケインが言った。
「あんたナイトフレイム宮殿という廃虚に侵入する為に、腕のたつ人間を探していたらしいが、なぜ廃虚なんかに侵入するのに腕のたつ人間がいるんだ」
「ナイトフレイム宮殿は、厳密にいうと廃虚ではない。あそこは、魔族達に守られているという噂だ」
「魔族だと?」
ケインが眉間に、しわをよせる。
「まさか。こんな北方の僻地に魔族なぞ」
「おれたち、魔族と戦うわけ?すげぇじゃん」
半信半疑のケインに対して、ジークは楽しげに笑った。
「私も信じている訳ではない。しかし、相当に手ごわい連中が棲んでいるようだ何しろ、相当経験を積んだ戦士の冒険家ですら、生きて還ってはこなかった。あんた達なら相手が、魔族であってもな」
「お宝は山分けでいこうぜ、ゲールさんよ」
ジークは相手が魔族であっても、本当に問題にしていないようだ。ゲールは陽気に笑ってみせた。
「いいだろう。我々で見つかった財宝を、それぞれ三分の一づつ分けるということで、手を打とう。前祝いだ。好きなだけ飲み喰いしてくれ。出発は明日の朝だ」
ゲールが言い終わる前に、ジークはテーブルの上の食物に、食いついていた。
(本当に相手が魔族なら)ケインは魔族に関する、乏しい知識で考えた。(おれの命も、明日までということだな)ようするに、考えてもむだということだ。ケインは憂鬱げにため息をつく。ジークが、ニコニコしながら言った。
「これ旨いぜ、ケイン。喰ってみろよ」
ケインはもう一度、ため息をついた。