第十四話 殺戮の夜
それは月の明るい夜であった。バクヤが父親の屋敷へ辿り着いたのは、夜半すぎである。村から離れたその屋敷についた時、バクヤは奇妙な気配を感じた。
多くの人がいる気配である。剣の使い手としては名の知られたジュリアス・コーネリウスの屋敷であった。まさか盗賊ということもないだろうと思いつつ、バクヤは広い玄関ホールへ足を踏み入れる。
そこにいたのは黒装束の見知らぬ男たちと、白髪で美貌の男。そして、狼のような笑みを月明かりの下で浮かべている黒髪の男である。
黒髪の男が奇妙な陽気さのある口調で、声をかけてきた。
「お帰り、お嬢さん。お邪魔させてもらっている」
バクヤは、冷静さを装って答えた。
「だれや、あんたら。ここで何をしている」
「これは失礼。私たちはオーラのなんというか、そう、特務部隊といっておこうか。本当はお嬢さん、あんたが帰ってくる夜に事を起こすつもりは無かった。ただ、時間が無かったしね。それに、あんたが帰ってくるまでに、撤退もできなった」
「父さんと姉さんを殺したんやな」
バクヤは冷たい声でいった。なんの感情もこもらない、真冬の冷気がこもった声。
「ああ、申し訳ないが、あんたも殺すことになる」
黒髪の男の言葉と同時に、黒装束の男たちが短刀を抜いた。バクヤは素早く荷を降ろし、構えをとる。左手を下にたらし、右手を顎のしたにつける独特の構えだ。
その時、バクヤの左手に奇妙なことが起こった。闇色の影が生き物のように蠢き、左手を覆ってゆく。瞬く間にバクヤの左手は漆黒の闇につつまれた。
同時にその左手から、強い瘴気が立ち上る。それは、バクヤの凍り付いた怒りが実体化したかのようだ。
「ほう」
黒髪の男が感心して声をあげた。
「黒砂蟲だね」
そう言い終えた時には、黒装束の男たちが動いていた。男たちは三人一組みとしてバクヤの左右に展開していく。
突然バクヤが動いた。素早く無駄の無い動きで、左側の男たちへ間合いを詰める。黒装束の男たちは冷静にそれに対処した。三人でバクヤを囲む動きをすると、同時に短剣を振るう。
バクヤの左手の動きは肉眼で捕らえられるものでは無かった。漆黒の影が死をもたらす風となって走り抜ける。
闇に撃たれた光が地に墜ちるように、へし折られた短剣が床へおちた。と、同時に月の光りの中を金属質の輝きを持った血が飛沫く。
三人の男たちは一瞬にして、手にした剣をへし折られ首の血筋を裂かれていた。バクヤは凶悪な笑みを浮かべ振り返る。その背後で男たちが、崩れるように倒れていった。
突然、拍手の音があがった。黒髪の男である。
「素晴らしい。ラハン流格闘術だね。これはいいものを見せてもらった。どうだい、ティエンロウ、あの技は見切れたかね」
ティエンロウと呼ばれた白髪の男は薄く笑みを見せる。
「ええ、ブラックソウル様」
ブラックソウルと呼ばれた黒髪の男は、満足げに頷いた。
バクヤは戸惑ったようにブラックソウルを見る。この男は自分の部下が目の前で三人殺されても、意に介した様子は無い。むしろ人を殺したショックで蒼ざめているのは、バクヤのほうであった。
戦乱の時代である。バクヤとて人を殺したことがあった。しかし、それはあくまでも殺意を持って殺した訳ではなく、身を守る際の戦いの中での過失に近い殺し方である。
生まれて始めて自らの意志をもって人を殺したのだ。バクヤの心の中の蒼ざめた憎悪が、かろうじて彼女をその場に踏み止まらせていた。そうでなければ、心理的な衝撃で激しくおう吐し、立ち続けることすら不可能であったろう。
今の彼女は人ではなく、復讐に取り憑かれた獣である。ブラックソウルは黒曜石のように黒く輝いている瞳で、バクヤを見つめていた。まるで彼女の心理を完全に見抜き、面白がっているかのようだ。
ブラックソウルは、黒装束の男たちに退がるように指示を出す。そして、ティエンロウという名の白髪の男へ眼差しを向けた。
「どうだ、ティエンロウ。やってみるか。ラハン流と戦える機会、そうは無いぞ」
ティエンロウは明けの明星のごとく真紅に輝く瞳を、バクヤのほうへ向け頷いた。その月明かりの下で石膏のデスマスクのように白く浮かび上がる顔に、なんの表情も読み取れない。ただ、殺すことへの意志だけがあった。
ティエンロウは一歩踏み出す。バクヤとの間の距離は五メートルほどか。ブラックソウルが楽しげにバクヤへ話しかける。
「ラハン流の嬢ちゃん。気をつけな。ティエンロウは拳銃を使う」
その言葉と同時にティエンロウはマントを開き、腰に下げた拳銃の銃把を現わにした。バクヤは左手を下に降ろした構えのまま、ティエンロウに向かい合う。
バクヤにはティエンロウの技が読めない。拳銃は始めて見る武器であり、どのようなものかは判っているものの、抜く速度や照準の正確さは見当も付かなかった。
ただ、その拳銃の発している妖気は強烈なものだ。バクヤの左手を覆っている魔法的生命体である黒砂蟲と同じレベルのものである。
今にして思えば、手の内を見せて三人の男を殺したのは失敗であった。ティエンロウはバクヤの技の速さを見切ったと言っている。
今のバクヤには相手の出方を待つ余裕は無い。黒砂蟲を制御しているのはバクヤの呪力である。黒砂蟲は制御しておかねば、瞬く間に彼女の左手を喰い尽くしてしまうような物騒な生命体であった。普段は肩あてに付けている結界を張った革袋の中に仕込んである為、おとなしくしている。
今は常に呪力を発していなければならない。そのこと自体が彼女の精神力を激しく消耗していた。待ち続ける程、ティエンロウにとって有利になる。
むろん彼女にはまだ、奥の手があった。しかし、今ここでそれを使うということは、ブックソウルと名乗る男に手の内を晒すことになる。いずれにせよ、今のバクヤに勝ち目は無い。
そう思ったとたん、唐突にバクヤの顔に笑みが浮かんだ。酷く狂暴な、野獣の笑み。バクヤは怪訝そうに見ているティエンロウに語りかける。
「楽しいな、紅い目の兄ちゃん」
問いかけるようにバクヤを見るティエンロウに、バクヤは語り続ける。
「生まれてはじめてや。これほど本気で人を殺したいと思ったのは。まるで」
バクヤは込み上げてくるものを押さえきれないというように、語る。
「まるで今までのおれは生きていなかったと思える程、おれは今生きている」
突然、ブラックソウルは哄笑した。その笑い声は、バクヤを称賛するように高らかに響いた。そしてそれを合図にしたかのように、バクヤは動く。
風と化したような速度でバクヤは右前方へ飛ぶ。それと同時にティエンロウは拳銃を抜いた。骨で作られたかのような純白の銃身が、魔物のように妖気を発して出現する。
その瞬間、バクヤの左手が黒い霞となる程、高速で動いた。それと同時に黒い拳大の固まりがティエンロウの手元へ飛ぶ。
同時に純白の拳銃が火を吹いた。
バクヤが放ったのは黒砂蟲の固まりである。それは煙のようにふわりと膨らみ、ティエンロウの撃った弾を包み込む。
初弾は封じたとバクヤは確信する。左手を包んでいた黒砂蟲は一瞬消え去ったものの、今は再び彼女の手を包んでいた。
バクヤはティエンロウに向かって飛ぶように間合いを詰める。ティエンロウはバクヤの放った黒砂蟲を避けねばならないため、次弾を放つまでに間が空くはずだ。
その間は、バクヤが間合いをつめるのに充分な長さである。
しかし、バクヤは読み違えていた。
パン、と炸裂音が響き、黒砂蟲が跳ね飛ぶ。黒砂蟲は呪力によってその形態を保っているが、ティエンロウの撃った拳銃の弾丸に込められていた呪力がそれを上回ったのだ。
黒砂蟲は無力化し、漆黒の水飛沫のようにティエンロウの足元へ墜ちる。ティエンロウは何事もなかったように、バクヤへ向かって残弾五発を全て撃ち込んだ。
バクヤとティエンロウの間の距離は、精々二メートル。躱しようの無い距離だ。
ただ、今のバクヤの意識は通常の状態ではない。バクヤは五発の弾丸を、すべて肉眼で捕らえていた。
バクヤはラハン流格闘術の師であるジークという男から、想と意というものを教わっている。想とは、通常の意識より深いところで流れる言語化する以前の、生の根源に近いところでの意識であった。
意とは通常の意識であり、いわゆる思考である。格闘術において思考して身体を動かしていたのでは、到底戦いに勝つことはできない。よって反射としての動きを身体にたたき込み、考える以前に身体を動かすようにする。
ラハン流の想という概念はそれをさらに、進化させたものであった。ある意味ではユンク流の剣術と共通した部分である。ユンクがホロン言語というものを利用して実現しようとしたものは、ラハン流の想とほぼ同じものだ。
ただ、ユンクはそれを体系化し、誰でも習得可能な技術体系として整備した。ラハンはあくまでも自分自信の為にのみ、その技術をあみだしている。ジークにその技を教えたのは数少ない例外の一つであった。
バクヤは想のレベルにおいて、五発の弾丸を捉えている。バクヤの意識の中で大気は水のようになり、身体は鉛を括りつけられたように重かった。
ただ左手だけが独立した生き物のように、動く。それは漆黒の蛇のように鋭く、素速く動いた。
再びバクヤの腕が黒い霞と化す。黒い血飛沫のように、バクヤの左手の黒砂蟲が撒き散らされる。
バクヤの苦鳴が漏れた。同時に、ブラックソウルの賛嘆の呟きが聞こえる。
「すばらしい」
バクヤの左手は、既に闇色の黒砂蟲で覆われていなかった。その剥き出しになった左手から五発の弾丸が床におちる。それと同時に手の平から、血が滴った。
ティエンロウの弾丸に込められた呪力が黒砂蟲を支配していた力を無化してバクヤの手から跳ね飛ばしたが、バクヤは素手で弾丸を受け止めたのだ。当然、バクヤのうけた代償も大きい。バクヤの手の骨は砕かれ、肉は深く抉られていた。
その手はもう、使えないだろう。しかし、バクヤには右手が残っていた。
ラハン流には、想と対象的な概念として意がある。意とは通常の意識のことであり、この意識により肉体をコントロールする技がラハン流にはあった。
人間の身体には、無意識に動かされている部分がある。例えば心臓の心拍や、内分泌であり、これらは本能のレベルで制御されるものだ。
こうした不随意筋や内蔵の作用まで意識的にコントロールすることによって、通常の人間には発揮できないような力を引き出す技がある。それは意身術と呼ばれていた。
むろんこの技には代償がともなう。肉体は通常以上に酷使される為、技を使用し終わった直後は激しい疲労により動けなくなることもある。
又、意身術を使う前も激しい精神集中を行う為、動きを止めることになった。バクヤは意身術に入る為、動きを止める。
ティエンロウのほうも全弾を撃ち尽くした為、次の攻撃に入る為の間ができていた。ティエンロウは銃身の下のレバーを操作し、弾倉を外す。
雷管式の拳銃は火薬を込め、弾を詰めるのにかなりの時間を要する。しかし、予め装填した弾倉を用意しておけば、数秒の時間で済む弾倉の交換だけで使用可能であった。ティエンロウは装填済みの弾倉を再び銃に取り付ける。バクヤにはその時間で充分であった。
バクヤは弾倉交換の間に手を伸ばせば届くところまで間合いを詰めている。バクヤは左手で銃口を覆うように、拳銃の銃身を掴む。銃口を塞がれれば拳銃を撃つことはできない。その状態で撃てば銃身に圧力がかかり、炸裂する為だ。
同時に右の掌底を、ティエンロウの腹部に向かってのばす。意身術によって増幅された力は、鋼鉄のハンマーの打撃力をその右手に与えていた。
ティエンロウの目に驚愕と恐怖の色が浮かぶ。バクヤは勝利を確信した。間違いなく、彼女の右手はティエンロウの内蔵を破壊する。
バクヤは勝利の雄叫びを上げようとした。しかし、口をついて出たのは悲鳴である。
「うああああ、」
ティエンロウは跳ね飛ばされ、気を失う。バクヤの右手の力は半減し、ティエンロウを殺すことはできなかった。
バクヤは、全身に糸の食い込む苦痛を味わっている。身体じゅうに巻き付いた糸が彼女の身体を金縛りにしていた。それでも、ティエンロウを気絶させる一撃だけは発することはできたのだが。
「おまえか、これは」
バクヤは血を吐くように、ブラックソウルへ言葉を投げつける。ブラックソウルは嬉しそうに微笑み、バクヤを賞賛するように手を掲げた。
「すばらしいよ、嬢ちゃん。あんたは素敵だ! ただ、ティエンロウを失いたくなかったのでね。魔操糸術であんたを縛らせてもらった」
ブラックソウルは満足げに頷く。バクヤは傷ついた獣の瞳で、ブラックソウルを見る。ブラックソウルはその瞳が愛おしくてたまらないように、笑った。
「私は君に贈り物をしようと思う。素晴らしいものを見せてもらったお礼にね」
「なんや、一体」
バクヤは凍り付いた冷たい声でいった。ブラックソウルは恋人に愛を囁くように続ける。
「君の命さ。嬢ちゃん。あんたはここを生き延びる。明日の夜明けと共に私たちは再び君の命を奪う為に動きだす。私は期待しているよ。あんたが生き延びることを。そしてもう一度、私の命を奪いにくることを」
バクヤは呻き声をあげた。
「ふざけるな。殺せ、おれを。でなければ、後悔することになる」
「ああ、いいねぇ、その瞳」
ブラックソウルは楽しげにバクヤを見つめる。
「それと嬢ちゃん。君の左手は私がもらう。私を殺したければ、新しい左手を手に入れるがいい。そいつのありかはユンクという男が知っている」
バクヤは、冷たい風が吹き抜けるのを感じた。左手が床に落ちる。水晶剣、という言葉が脳裏に浮かんだが、意識は瞬く間に闇の中へ堕ちていった。




