第十二話 ウロボロスの輪
魔導師ラフレールは、巨大な純白の鷲に跨り、七色の雲が渦巻く空間を進んでいた。金色に輝く髪を風に靡かせている魔導師は、人間というよりは魔族に近い雰囲気を持っている。
真夏の空を支配する太陽のように金色に輝く瞳と、若者とも年を経た古き者とも見えるその美貌は、赤銅色の肌を除けば魔族そのものであった。ラフレールは、魔界の王のごとく悠然と前方を見据えている。
力強く羽ばたく白い鷲は、ラフレールに語りかけた。
「かなり、近づいてきたようだ」
ラフレールは、無言で頷く。鷲は、妖精族の王ペイルフレイムの変化した姿である。
そこは、アイオーン界と呼ばれる領域であった。様々な色彩に変化していく雲が渦を巻き、その奥には浮遊する大陸が飛び交う。ここは、大地と空が混然一体となったような奇妙な世界である。
そして、この世界は龍族の故郷であり、又、地上に降臨した際には邪神と呼ばれる精霊たちの住処でもあった。白い鷲に変化したペイルフレイムは、ラフレールに注意を促す。
「龍が近づいてくる」
その漆黒の巨体を持った、巨大な魔法的生き物は、ペイルフレイムと平行して飛び始めた。黒い龍が声をかけてくる。
「おまえは、妖精族の王ペイルフレイムのようだな」
その巨大な暗雲の固まりのような生き物は、危害を加えるつもりは無いらしい。
紅く鬼火のように燃える瞳を白い鷲にむけているが、その巨大な羽が巻き起こす風によって純白の鷲が失速しないように、気を使っていた。
「いかにも、我が名はペイルフレイムだ」
「我が名は、イムフルだ。それにしてもなぜ、妖精族の王が人間を背に乗せているのだ。何者だ、その人間は」
ラフレールは、黄金に輝く瞳を龍に向ける。
「私の名は、ラフレール」
龍は炎のような、吐息をはく。
「ラフレール!聞いた覚えがある。人間ながら我が一族のフレイニールの心臓を食べ、その力を身の内に取り込んだといわれる者か」
ラフレールはイムフルの、敵意と畏れが混在した眼差しを気にとめず、闇を切り裂く夜明けの輝きを持つ瞳で龍を見据える。
「いかにもそうだ。偉大なる龍フレイニールは、我が身体の内に生きており、その力は私のものでもある」
イムフルは、蒼ざめた溜息をつく。
「それにしても、おまえたちは、なぜこのような所にいるのだ。この先は、我々龍族にとっても危険な場所になる。何しろウロボロスの領域だからな」
ラフレールは若き神のような美貌に、微かに笑みを見せた。
「我々が目指すのは、そのウロボロスの領域だ」
イムフルは、警告するようにかっと紅い口を開いた。その口は白い鷲ごとラフレールを飲み込めそうだ。
「やめておけ、小さくか弱き人間よ。今まさに、ウロボロスは目覚めつつある。その力は、やがて世界全体を覆うだろう。その力を我らとて、押さえることはできない。ここは我々の世界だ。おまえたちの来るところでは、無い」
突然、ラフレールが哄笑した。
「私が、小さくか弱い存在か?本当にそう思っているのかイムフルよ」
イムフルは、沈黙した。明けの明星のごとく輝く双の瞳で、ラフレールを見つめる。
「おまえ、ただの人間ではないな。フレイニールの力を取り込んでいるようだが、それだけではない。おまえを見ていると、思い出すぞ。グーヌと呼ばれる黒き男が、始めて大地に降り立ったときを。やつは、我々を召喚し、精霊たちも呼び寄せ、あの果てしのない戦いを始めた。
おまえは、あの男と同じ匂いがする。我々に逆らうこと許さなかったあの、黄金の林檎の匂い。まさか、おまえ」
ラフレールは、輝く瞳でイムフルを見つめる。その光は凶暴であり、又、神聖さを宿していた。
「その通りだ、イムフル。我が内に死せる女神の心臓にして、全ての生命の源である黄金の林檎がある」
イムフルは、鋭い雄叫びをあげた。それは大地の奥底から湧き起こる、地鳴りのようである。
「おまえは驚くべき存在だな、ラフレールよ。おまえはその力で、目覚め始めたウロボロスを再び封印するつもりなのか」
ラフレールは、静かに頷く。漆黒の龍は、荒れ狂う嵐のような、笑い声を上げた。
「面白い。やってみるがいい。では、私が案内しよう。かつて金星の牢獄にグーヌを封じ込めていた力、ウロボロスの元へ」
漆黒の巨大な龍は、ラフレールたちを先導するように前へでた。龍の力に引き寄せられるように、白い鷲の速度もあがる。
渦巻く七色の雲は、しだいに消え始め、その奥から巨大な暗黒が姿を現し始めた。
それは荒れ狂う、凶暴な破壊の力の固まりである。
あたかも死せる恒星のような、巨大で壮大な力を持った暗黒。その輪郭は遥か彼方に広がり、全体像を把握することはできない。
その中では無数の血に飢えた漆黒の悪霊たちが、暗黒の舞踏を乱舞しているようだ。拗くれた破壊の力は、螺旋を描き巨大な暗黒の上を駆けめぐる。
イムフルが畏れのこもった、咆吼を上げた。
「みろ、人間、そして、妖精族の王よ。あれがウロボロスだ!」




