第十話 妖精城とエルフの女王
フレヤとロキは、スノウホワイトに導かれるまま霧の濃い森の中を歩いて行くうちに、突然その空間に出た。
空は、銀灰色に輝いている。それは、北方の地における白夜にも似た輝きであった。足下に広がる草原は、雪原のように白銀色である。しかし、それは雪の色では無く、白銀に煌めく草の色であった。
フレヤは、青い瞳を眩しげに細める。ここは、汚れを知らぬ乙女の夢のように白く、そして輝かしい世界であった。
スノウホワイトは、草原を駆け出す。白い長衣を纏ったエルフは、風に舞う雪片のように踊り、歌った。
「ああ、とても素敵だわ、ここは輝いている!」
フレヤは踊るスノウホワイトを見ているうちに、エルフの少女が白い炎につつまれているような思いにとらわれる。ここは、白く燃え広がる草原。そして、白い焔となった少女が、シルフィールドのごとく天空へ舞い上がろうとしている。
スノウホワイトは、ひとしきり踊り終わると、フレヤとロキを手招きした。
「さあ、私の城へ行きましょう」
スノウホワイトが向かう先には、白銀の森があった。森の木も、雪の覆われたように銀色に輝いている。
その森の向こうに、小高い丘があった。よく見ると、草原から森を抜け丘陵へと続く一本の白い道がある。スノウホワイトは、その道を駆けてゆく。時おり立ち止まっては、もどかしげにロキとフレヤに手招きした。
「奇妙だな」
フレヤは、呟く。
「ここには、生命の気配が感じられない。とても静かだ」
真白き世界に浮かんだ黒い影のようなロキは、フレヤに応える。
「長命種は、一般に変化を望まないからな。ここは、時間を止められた世界だ。ただ、妖精城は、少し違うが」
フレヤは、肩を竦めた。
「旧世界の者たちは、皆同じということか。魔族にせよ妖精族にせよ、ただ世界の終わりを待っているように見える」
「その見方は、間違っている訳ではない、フレヤ」
フレヤはため息をつくと、スノウホワイトを追った。その純白のマントは、白銀の世界に見事に溶け込んでいる。天上の神々が住まう場所を進む天使のように、白い巨人はエルフの娘の後を歩む。
白銀の森に、入る。その森を構成する木は、植物というよりも鉱物の結晶体に見えた。透明な枝葉を、銀色の光が駆けめぐっている。その繊細なガラス細工のような枝は、幾何学的な図形を描いて幹から分岐していた。
森全体に、透明な枝が張り巡らされており、森そのものが抽象的な幾何学模様を構成している。その中を銀色の輝きが無数に駆け抜けていく様は、万華鏡を見るようだ。
森の向こうに聳える丘を、スノウホワイトは駆け昇ってゆく。その頂上で立ち止まったスノウホワイトは、全身でフレヤとロキを差し招いた。
ようやくスノウホワイトに追いついたフレヤたちに、スノウホワイトが声をかける。
「あれが、私たちの城ですわ」
丘陵の向こうは、クレーター状の盆地になっている。その盆地の底は、湿地帯になっており、真夏の輝く空のように青い水が湛えられていた。
その水の上を白銀の木の根が、放射状に這い回っている。そして、湿地帯の中央には、半透明のドームに覆われた塔が聳えていた。
スノウホワイトは、その塔を指さしている。それは、城というよりは、何か巨大な植物のようであった。
フレヤは、素直に感想を語る。
「あれは、城というよりは、木だな」
スノウホワイトは、頷く。
「仰る通りですわ。とにかく、城へ入れば判ります」
三人は、湿地帯へと降りてゆく。湿地帯は、先程の草原に比べると遥かに多彩な生命と色彩に満ちていた。
半透明のドームまでは、木の根が絡み合ってできたような道がある。その木の根に水辺には、深い青さを持った水草が繁り、淡い色彩の花が咲いていた。
水の上を、白い水牛のような生き物が歩んでいる。巨大な放物線を水上に描く木の根の上を、灰色の小動物が駆けていた。その姿は、野兎と野鼠の中間くらいである。
大きな熊によく似た白い生き物が、時折前を横切った。頭上は、白い龍を思わせるが、羽毛に覆われた生き物が旋回している。
ここには草原と違い、様々な生命がいた。しかし、ここには、生存競争の過酷さが無い。まるで庭園で放し飼いにされている生き物のように、相互に干渉せず穏やかに生きているようだ。獣たちの顔は、思索に耽る哲学者のごとく穏やかに見えた。
白い毛足の長い水牛が、時折遠吠えする。それは、ホルンの響きにも似ており、のどかに湿地帯へ響きわたった。
半透明のドームが、目の前に来る。それは、間近に見ると、半透明の巨大な木の葉によって構成されている事が判った。
半透明の葉には銀色の葉脈が、走っている。一枚一枚が城壁を遥かに上回る巨大な木の葉が、透明な半球体を造り上げていた。
絡み合う木の根で造られた道の果てに、ドームへの入り口がある。重なり合う木の葉が、丁度一部分だけ人の通れる隙間を造っており、木の根はその奥へと続いていた。
ドームの中へ足を踏み入れたフレヤは、目を見張る。そこは、極彩色の空間であった。
エメラルドに輝く塔が、天空に向かって聳え、そこから鮮やかな緑色の枝が、透明で巨大な葉へ延びている。そして、その新緑の緑に輝く塔は、色とりどりの花々に覆われていた。
アメジストの紫、サファイアの青、ルビーの赤、月長石の黄色、鮮やかな宝石のような色彩が、エメラルドグリーンの塔を飾る。光の滴を思わせる花びらが、塔の上方から降り注いでいた。
そのカレイドスコープのように輝く空間を、極彩色の鳥達が飛び交っている。地上は着飾った淑女を思わせる孔雀たちが、歩き回っていた。
透明な葉によって構成されたドームの内部は、丁度温室のような状態になっているようだ。温度は確実に外より高く、空気自体が重みを帯びているかのごとく湿気を持つ。
そこは、生命力に満ちあふれていた。おそらく、エルフの魔法が働いているせいであろう。花の色彩は、通常よりも遥かに鮮明であり、薫りも心を激しく引きつけるものがある。
エルフたちの居住区は、このエメラルドグリーンの幹を螺旋状に取り巻いて存在していた。木の幹の一番上には、枝に囲まれる形で、極彩色の花に彩られた宮殿が存在する。おそらく、エルフの王族が住まう場所だろう。
スノウホワイトにつれられ、ロキとフレヤは螺旋状に延びるエルフの街へ、入ってゆく。幹の近くは空気が流れており、意外と涼しく心地よい温度が保たれているようだ。
スノウホワイトが街に足を踏み入れたとたん、銀の鎧を身につけた衛士たちが出迎えに来る。エルフは、金属の装備を好まない。衛士の装備もシルクの服に、飾り細工のような銀の防具がつけられたもので、武器としては銀の短剣と、弓矢を持つ程度であった。
鋭い琥珀色の瞳を持った、女性の衛士がロキとフレヤの前に立つ。
「私が衛士長、アンバーナイトです。ロキ殿と、フレヤ殿ですね」
漆黒のロキは、礼をする。
「いかにも、私がロキ、そして、こちらが巨人族のフレヤ」
「あなた方は、我らが姫君の恩人です。賓客としてお迎えします。どうぞ、宮殿へお越し下さい」
スノウホワイトは、先に塔を昇っていった。ロキとフレヤは、衛士たちにつれられ、螺旋状の街を昇ってゆく。
闇を持たないこの世界に突如現れた影を思わせるロキと、天上世界から降臨した戦闘天使のようなフレヤは、エルフたちの好奇の的となった。螺旋状の市街には大きな枝に支えられている広場があり、そうした所には市が立っている。陶器の工芸品、鮮やかに染められたシルクの布、豊饒な薫りを漂わす香料、豊かな色彩の煙を放つ香が、色とりどりの花々のあいだに並べられていた。
その市には、金や銀の装身具で身を飾った、細身で長身のエルフたちが集まっている。エルフたちはあからさまにロキとフレヤを取り巻いたりはしないが、視線は明白に二人へ向けられていた。
凱旋する兵士のように市街を通り抜けたロキとフレヤは、宮殿の前に立つ。それは、宮殿というよりも、空中庭園のように見えた。
花々に飾られたテラスや、草木に囲まれた天蓋、植物と建物が一体化したその建造物は、それ自体が一つの庭園のようであり、森のようであり、巨大な一本の木のようでもある。その宮殿から長身の女性のエルフが姿を現す。後ろには、スノウホワイトを従えていた。
女性の衛士長アンバーナイトが跪く。どうやら、エルフの長らしい。
「ようこそ、我が城へ、ロキ殿。お久しゅうございます。心からのお礼を申し上げさせてもらいますわ」
「ここは変わらないようだな、シルバーシャドウ女王。礼には及ばない。ここに来る用があったまでのことだ」
エルフの女王シルバーシャドウは、スノウホワイトとよく似ている。しかし、ホワイトスノウと比べるとその美しさは、遥かに完成されたものであった。
その身につけた装身具は銀の髪かざりと、胸もとを飾るネックレスぐらいであり、女王としては質素にも思える。エルフはその居住空間や宮殿は豊かな色彩で飾るのを好むようであるが、身につけるものは白を基調としたものが多く、シルバーシャドウも同様であった。
しかし、身なりは質素であるものの、その繊細な骨格や滑らかな筋肉により構成された姿は、魔法的な生き物に特有の幻想的な美しさがある。エルフの女王であるシルバーシャドウの美しさには非の打ち所が無く、神の花園で密かに育てられた妖花を思わせた。
シルバーシャドウは、フレヤに目を向ける。
「巨人族のフレヤ殿、でしたわね」
フレヤは、晴れ渡る真冬の空のように青い瞳で、シルバーシャドウを見下ろした。
「あいにくと、記憶を失っている。あんたと会っていたとしても、憶えていない」
シルバーシャドウは、くすくすと笑った。
「気になさることは、ありません。さあ、こちらへ。ロキ殿、あなたの話を伺わねばなりませんね。なぜ、魔族の女王ヴェリンダ殿が人間に荷担しているのか」
死神のごとく黒衣のロキは、薄く笑った。
「ああ、こちらも教えて貰わねばな、ここにもたらされた黄金の林檎がどうなったかを」
◆ ◆
シルバーシャドウによってテラスの一つにフレヤとロキは、案内された。元々透明な葉のドームで囲まれた空間であるここは、天候の影響を受ける事は無い為、壁や天井には単なる区切り以上の意味はないようだ。
剥き出しになっているテラスも、ここでは一つの部屋として扱われるらしい。シルバーシャドウはロキとフレヤに、向かい合った。
「ロキ殿、あなたは、ここに黄金の林檎を求めて来たと仰るのですか」
シルバーシャドウは、夜空に輝く月のように玲瓏と微笑むと言った。
「確かに私たちのもとに、人間の魔導師ラフレールが訪れたとき、彼は黄金の林檎を携えておりました。その力はあまりに危険なものであった為、私たちは魔導師ラフレールと共に封印したのです」
黒衣のロキは、蹲った夜のようにシルバーシャドウの前に腰を降ろしている。表情を変えぬまま、神の造った人造人間はエルフの女王に問いかけた。
「では、まだここに黄金の林檎はあると」
「いいえ、ラフレールは私たちの造った結界の内で、数百年に渡り眠り続けたのですが、つい数ヶ月前、目覚めたのです」
「ほう」
闇を纏ったロキは、白の長衣と銀の装身具を身につけたエルフに顔をよせる。
「数ヶ月前とは?」
「外の世界で夏が終わり、冬の訪れる前です」
ロキは、フレヤを振り返る。
「おまえの目覚めた時期だ、フレヤ。おそらくおまえの目覚めが、ラフレールを目覚めさせた」
フレヤは、どうでもいいといったふうに、肩を竦める。
「あるいは、逆かもしれません。ラフレールは自らが目覚めた理由を、こう語りましたから。邪龍ウロボロスの封印がとけたと」
「ウロボロスだと」
ロキの声に、驚愕が含まれていた。
「まさか。それが本当であれば、この妖精城は終末を迎えている」
シルバーシャドウは、落ち着いた声で応える。
「だからこそ、私の夫ペイルフレイムが封印しに向かったのです」
「いくら、ペイルフレイム殿が優れた魔導師とはいえ」
「おい」
黙って見下ろしていたフレヤが、唐突に口を挟む。
「なんだ、その邪龍ウロボロスとは」
ロキは、巨人を見上げる。
「かつて、聖なる神ヌースと、邪神グーヌが数億年に渡る戦いを行う前、グーヌ神は金星の牢獄に封印されていた。その金星の牢獄を覆っていたのが、ウロボロスだよ」
「神の牢獄の、門番ということか?」
「いや、門番は本来グーヌだったのだが。本当に封じられていたのは死せる女神フライアの死体だ。フライア神は死体と化しても尚、危険な存在だった為死の神サトスが強大な力のフィールドで覆った。それが、ウロボロスだ」
フレヤは、面白がっているような笑みを浮かべていた。
「少なくとも、一度はそのウロボロスは破られているのだろう。グーヌ神が金星から、地上へ降りてきたという事は」
「グーヌ神は黄金の林檎を使ったからな。ウロボロスの力は世界を根底から変容させる程、強大なものだ。ヌース神はかつてグーヌ神との戦いの中で、ウロボロスを制御してグーヌ神を封印しようとしたが、ヌース神の力を持ってしても、ウロボロスを制御する事は不可能だった。その時、ヌース神はこの世の終わりまで、ウロボロスを封じたはずだ」
シルバーシャドウは、水に映った月のように微笑みながら言った。
「だからこそ、ラフレールは目覚めたのです。終末がくる前に邪龍が目覚めたとなると、黄金の林檎が必要になるはずだと」
ロキの表情は変わらなかったが、その瞳は物思いに耽っているように曇っていた。
「バランスが、崩れ始めている。黄金の林檎が失われた為か」
「ロキ殿、今度はこちらから質問させていただきます。中原ではいったい、何が起こっているのです?」
「ラフレールがここに来たという事は、ある程度の話は聞いたのだろう。例えば魔族の暗黒王ガルンが聖樹ユグドラシルの元に封じられていた黄金の林檎を持ち去り、古の約定を破って中原を支配しようとしたこと等」
「ええ、魔導師ラフレールは偉大なる王エリウスⅢ世を助け、ガルンを倒し、黄金の林檎を奪い返したと」
「そこまでは、よかった。しかし、ラフレールの心に闇が忍びこんだ。ラフレールは黄金の林檎を聖樹ユグドラシルの元に返すことなく、姿を消している。私は、ラフレールの足跡を辿ってここへ来た」
「闇が忍び込んだと仰いますが、黄金の林檎を星船に乗せ、天上世界へと返す事は人間の滅亡を意味します。ラフレールの判断は、人間として当然でしょう」
ロキは、苛立たしげに目を光らす。シルバーシャドウは、笑みを絶やさずに続ける。
「いずれにせよ、私たちエルフは人間にも魔族にも荷担するつもりはありません。私たちは友人としてラフレールを受け入れ、手助けをしただけです」
「判っている」
「暗黒王ガルンが中原を蹂躙したにしても、今の混乱は説明つきません。まず、ヴェリンダ殿の事を聞かせてください。なぜ、人間を家畜としか見なさない魔族が、自らの夫として人間を選んだのか」
ロキは、うんざりしたような目でシルバーシャドウを見る。
「ガルンは、自分が殺した先王の娘を幽閉した。それは、デルファイと呼ばれる場所らしい。その場所では、魔法を一切使えない。ガルンの死後、デルファイに幽閉されたままのヴェリンダを救う事ができなかった為、思いあまった現在の王が、ヴェリンダを救った者をヴェリンダの夫とするというふれを出した。そのヴェリンダを救ったのが、人間でありオーラの間者であるブラックソウルだ」
シルバーシャドウは少女のように、くすくす笑う。
「中原の王国は、そのオーラとトラウスに二分されているようですね。なぜ、そんな事になったのです?」
「元々、正統王朝がトラウスにあり、東のオーラに分家のクリスタル朝が存在した。ガルンが王国を蹂躙した時に、最後までガルンと戦ったのがオーラであった為、王国を立て直す時にイニシャチブを握った。そのまま、本家を自分の支配下に置こうとしているのだよ」
シルバーシャドウは、神秘的な輝きを潜ませた瞳で、ロキを真っ直ぐ見つめる。
「まさか。王国の運営は、ロキ殿の管理下にあるはず。なぜ、そのような事が許されるのですか」
ロキは、真っ直ぐシルバーシャドウを見つめ返す。
「ロキとは、あなたも知ってるだろうが、ヌース神が造った模造人間だ。我々は全部で十三体存在する。我々の使命は、人間を指導し、星船を復活させる事にある。我々は千年に一人目覚め、任務を遂行する。私の前のロキはガルンに殺された。その後に私が目覚めたのだが、なぜかその時目覚めたのは、私一人ではなかったのだ」
シルバーシャドウが、息を呑んだ。
「そんな事が?」
「どういう事故でそうなったのかは、判らない。もう一人のロキは、オーラに荷担し、中原を制圧するつもりだ。私は、もう一人のロキによって、王国を追放された身だ」
「はっ!」
フレヤが、笑い声をあげる。
「初耳だな。おまえが、追放者だったとはな」
ロキは肩を竦める。
「だから、私にはおまえの手助けが必要なのだよ、フレヤ」
シルバーシャドウが、ロキの手に自分の手を重ねる。
「ロキ殿。私たちはあなたの使命に手を貸すことは、できません。それは、古の約定に定められた事ですから。しかし、あなたも私たちの友人に変わりはありません。とにかく、我が夫、ペイルフレイムとラフレール殿が戻られるまでお待ち下さい。世界のバランスを取り戻す為であれば、ラフレール殿も協力して下さるでしょう」
ロキは、皮肉な笑みを見せる。
「だといいがな」




