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ワルキューレ シリーズ  作者: ヒルナギ
第二章 妖精城のワルキューレ

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第九話 ダチュラの罠

「ひと足遅かったようだな」


 全てが終わった後、サリエルの砦に一人の男が足を踏み入れた。灰色のマントに身を包んだ男は、長髪を黒い炎のように風に靡かせて砦の中庭へと入ってゆく。男の後ろには、一人の女性が従っていた。

 フードのついた濃紺のマントを身につけた女性は、魔導師のようである。肌は浅黒く、フードから覗く髪は黒い。魔導師の証しとして、護符のついた杖を手にしていた。

 灰色のマントの男は、砦の中庭へ入る。男の黒い瞳は、きらきらと黒曜石のように輝き、あたりを興味深そうに見渡す。

 盗賊たちが完全に姿を消し、廃墟そのものとなった砦には、惨劇の気配を感じさせるものは残っていない。冬の終わりの野原に残る残雪を思わせる白い花が、中庭のあちこちに咲いている。


「ブラックソウル様」


 魔導師の女が、声をかける。


「魔法が残っています。気をつけて下さい」


 ブラックソウルと呼ばれた男は、問題ないといったふうに手を振った。確かに、ここには魔法の気配が残っている。ブラックソウルの記憶にあるこの砦は、酷く殺風景な場所であった。生命の気配など存在しない、石の廃墟。

 しかし、今はその廃墟は緑の蔦に覆われ、森の一部と化しつつある。中庭にも花が咲き、砦の内部からも生命の気配を感じた。この砦を不在にした期間が2週間たらずである事を思えば、驚異的な変化である。

 ブラックソウルは砦の入り口で、ふと足を止めた。咲き乱れる小さな白い花の中に、黒い影が見える。

 拾い上げたその影の破片のようなものは、ティエンフォウの剣であった。今はへし折られ、ただの破片となっている。

 破片となって尚、その剣は強烈な瘴気を発していた。花の中に埋もれている時には感じないが、手にとると未だ強い力が残っているのが判る。

 常人であれば手にしただけで貧血を起こしかねないその破片を無造作に手で弄ぶブラックソウルには、何も感じられていないようだ。ブラックソウルは、破片を花の中に戻しながら呟く。


「ティエンフォウの斬鉄剣も、役に立たなかったようだな。全く、伝説の巨人とは、やっかいな存在だ」


 ブラックソウルは、砦の中に足を踏み入れていく。かつて砦を覆っていた封じ込めの魔法は、完全に消去されたようだ。


「ほう」


 ホールに足を踏み入れたブラックソウルは、感嘆の声を上げた。かつては、石でできた巨獣の死骸のようであった廃墟の内部は、色とりどりの花で覆われている。

 花は南の海に住む鮮明な色をした魚たちを思わす鮮やかな色を見せ、咲き誇っていた。ホールには光の柱のように日差しが差込み、極彩色の花々をよりくっきりと照らし出す。

 そこは海の底のようにしんとした静けさを持ちながら、春の花園のように色どりが華やかな空間になっている。そして蒼い雨のごとく、常時花粉と花弁が天井より降り注いでいた。

 ブラックソウルは、自分の心に冷たい心地よさが、水面に波紋が広がるように満ちていくのを感じている。次第に、感覚が研ぎ澄まされてゆき、それでいて夢の中のように現実が遠くなっていった。


「ブラックソウル様!」


 魔導師の女は、悲鳴にも似た声をあげる。ブラックソウルは、苦笑して振り向いた。


「フェイファ、心配するな。この程度の魔法は、おれには無力だよ」


 フェイファと呼ばれた魔導師は、フードをはね除け、彫りが深く目鼻立ちのはっきりした顔を顕にすると、ブラックソウルに歩みよる。フェイファは、ブラックソウルの前に立ち、その手に花弁と花粉を受けた。


「ダチュラの変種です、ブラックソウル様」

「ダチュラ?」

「普通のダチュラからでも、麻薬は抽出できます。このダチュラはエルフの魔法で活性化されていますから、その薫りだけでも人を狂わす事ができます。いくらブラックソウル様が薬物に体を慣らしておられるとはいえ、ここに長時間いては、危険です」


 ブラックソウルは、回廊を引き返す。フェイファが、後に続く。ブラックソウルの口元には、楽しげな笑みが浮かべられていた。


「小娘と思っていたが、さすがはエルフ。やるもんだ」

「小娘と仰いますが、ブラックソウル様。スノウホワイトはあなたより長い年月を、生きています」


 ブラックソウルは、喉の奥で笑った。


「せいぜい、気をつけることにしよう」

「それにしても、妖精城への道が閉ざされましたわね。ロキと巨人に、先を越されてしまうとは」

「運が無かったのさ。まぁ、いい。もう一つの道を知る者がいる。それと、ティエンフォウが殺られたとなると、あいつを呼ぶ必要が…」


 ブラックソウルは言葉を止めると、顔を笑みで満たす。砦の入り口に、人影を認めた為だ。

 その男は、鍔広の帽子を目深にかむり、革のマントを纏っている。その切れ長の瞳に、磁器のように白い肌、そして長く真っ直ぐな髪は、巨人に殺されたティエンフォウとうり二つであった。ただ一つ。その髪と瞳の色を除いて。

 その男は、漆黒の剣の破片を、手にしている。刃のような切れ長の瞳は哀しみを湛えて深紅に輝いており、頬は酷く蒼ざめていた。その髪は象牙のように白く、闇の中で輝いている。


「兄は、殺されたのですか」


 絞りだすような問いかけに、ブラックソウルは楽しげに応えた。


「そのとおりだ、ティエンロウ。よく来た!」


 ブラックソウルは、ティエンロウと呼ばれた男を、抱きしめる。ティエンロウの深紅の瞳は、しかし、彼方を見つめていた。


「さて、ティエンロウ、おまえの兄を殺した野郎は、妖精城へずらかった。おれたちも行くぞ、妖精城へ」


 ブラックソウルは、野生の獣の笑みを見せ、ティエンロウの肩を抱く。ティエンロウは、鋭い殺気のこもった瞳を、ブラックソウルへむける。


「妖精城、ですか」


 ブラックソウルは狼の笑みを浮かべたまま、ティエンロウとフェイファを従え、砦の外へ向かう。中庭には春の日差しが降り注ぎ、エルフの魔法によって開いた花々が白く輝いていた。


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