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ワルキューレ シリーズ  作者: ヒルナギ
第一章 雪原のワルキューレ
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第三話 ヴァーハイムの岩石人間

 空は、黒々と頭上に広がっており、幾万もの海獣の群れに覆いつくされているかのようだ。陽が沈んだのち、半ば氷ついた、銀の矢のような雨が降り始めた。

 ジゼルの城の、北側は山が聳えており、南にゴーラの町が開けている。そして東西は、切り立った崖となっていた。

 西の空に、生新しい傷口のような残照が消えていったころ、幾千の刃のような雨を含んだ風が吹き荒れ、嵐となった。ジゼルの城の西側の崖には、牢獄が造られている。城の地下から、隘路を辿って下るしか行き着くすべのない牢獄であった。

 その崖をくり貫いて造られた牢獄のひとつに、明かりが灯っている。そこには当直の兵が二人いた。食事の終わった後、当直兵の一人であるジーンは、荒れた天気の外を眺めている。

 相棒のもう一人は今夜の宿直に備え、仮眠を奥でとっていた。この牢獄に捕らわれている囚人の事を考えると、安らかな眠りを得られるとは思えない。

 ジーンは壁に立てかけられている、剣を見た。その剣は、この牢獄の囚人の持ち物である。ドワーフの細工であるらしく、2メートル以上ある剣の刀身は、繊細といっていいほど肌理が細かい。剣は抜き身の状態で置かれており、刀刃が真冬の日差しのごとく、冴えた煌めきを見せている。

 その剣を見るジーンの瞳には、脅えがあった。その剣は、鋼鉄のメイスに近いものがあり、巨大な鉄材のように頑丈そうである。それだけに、その重量は凄まじいものがあり、ここに持ち込まれる時も、三人がかりであった。

 その切っ先には刃はなく平になっており、、ツーハンデッドソードによくあるように、剣の先端部の幅が少し広くなり、戦斧を思わす形になっている。この巨大で重い剣を、この牢獄の囚人は片手で振り回し、鎧を身につけた屈強の兵士を紙人形のように、斬り裂いたと聞いた。

 そんな技ができる巨人となると、お伽話のオーガや、神話の雷神トールのような怪物ということになる。ジーンはその女巨人を直接見てはいなかったが、その姿を想像し、ぞっとした。男のオーガや、トロールの類なら想像もできるが、女の巨人となると、よけい醜悪に思われる。

 ジーンは余計な想いを振り払い、外を眺めた。時おり稲妻が走るらしく、轟音とともに、広がる森林と山が闇の中に浮かび上がる。

 突然、光と天上で宮殿が崩れ落ちるような轟音と共に、その男の姿が入り口に浮かび上がった。


「何!」


 ジーンは想わず立ち上がり、腰の剣に手を掛ける。その黒い人影は、足を進め、篝火の明かりの中に入ってきた。


「驚かせて、すまない」


 その、雨に塗れた体を火にあてながら、男は言った。


「道に迷った。怪しい者じゃない。暫く休ませてくれ」


 男は、つばの広い帽子を被り、マントの衿を立てている。その顔はよく見えないが、目鼻立ちはよく整っているようだ。ただ、表情がほとんどなく、仮面か彫像の顔を想わせる。歳はひどく若くも見え、老いているようにも見えた。


「道に迷っただと」


ジーンは、剣の柄に手をかけたまま、男に近づく。男は火を背に立つ形になり、再びその姿は黒い影となった。


「ここに来るには、城の地下から来るか、崖をよじ登ってくるしかない。道に迷っ

て城の地下から外に出るとは考えられない。とすれば、崖をよじ登ったということだ。この嵐の夜に」


 男は、微笑んだように見えた。そういう形に、顔を歪めたというべきかもしれない。ジーンにはその男がなぜか、妖魔の類に思えた。


「森で嵐にあった。進む道がわからず、見上げるとここの灯が見えた。嵐をしのがないと、凍え死にそうだったので、何とか登ったんだ。見てくれ、私は武器を身につけていない」


 男は、マントをはだけて、腰を見せた。腰に剣のようなものが吊るされている。

男はそれを抜いた。ジーンは、思わず剣を抜く。


「これは剣じゃない」


 男の言う通り、それは鉄鞭であり、刃はなくただの鉄の棒であった。ただ、鉄鞭でも人を殴り殺せる。


「そいつを足もとにおけ」


 男は言われた通りにした。


「まず、名前を聞こうか」

「ロキという。ヴァーハイムの産まれだ。訳あって諸国を旅している」

「あんたは、崖をよじ登ったのになぜ息を切らしていない。疲れたふうには、見えないが」


 ロキと名乗った男は、肩を竦めた。


「そう見えないだけさ」

「とにかく、ここは重大な反逆者を閉じこめた牢獄だ。旅人を、泊めるところではない。ここをさらに登れば、城の地下へ着く。あんたが、本当に信頼できる人物なら、城に入れてもらえるさ」

「間違ってはいなかったようだ」


 ロキはまるで、宣言するように言った。とたんに、とてつもない威圧感が漂い始める。


「ラーゴスのフレヤは、ここに閉じこめられているのだな」


 ロキは、感情の全くこもらない声で言った。


「貴様、」

 ジーンは恐怖を感じ、数歩下がる。それを追って、ロキが近づいた。

「来るな!」


 ジーンは叫ぶと、剣でロキに斬りかかった。ギン、とロキの首筋に当たった剣は、甲高い音を立てへし折れる。まるで、岩に剣をぶちあてた様な、手ごたえだった。


「馬鹿な」


 ジーンが呆然と呟くと同時に、ロキの拳が、ジーンの顎先を捕らえた。

ジーンは、一撃で意識を失い、牢獄の床へ転がる。ロキは、片隅にあった荷造り用らしい紐で、手早くジーンを縛りあげた。

 そして、その黒衣のロキは、マントの裾を靡かせ、牢獄の奥へと向かう。



 牢獄の奥は、自然の洞窟を思わせる、岩盤をくり貫いた通路になっていた。仮眠室で眠っていたもう一人の当直兵は、気を失わせ、縛り上げてある。

 ロキは松明を翳し、胎内のように暗い通路を進んだ。漆黒のマントと、黒く幅広いつばの帽子を被ったその姿は、冥界へ魂を導く死神を思わせた。

 やがて、広いドームへ出る。天井の高いドームは、この牢獄の終点らしい。そして、その正面に岩の扉がある。その後ろに囚人がいるはずであった。

 ロキは、扉の傍らにある、鋼鉄のレバーを押し下げる。どこか、奥深いところで、金属がかみ合う音が響き、ゆっくりと扉が左右に広がっていった。

 ロキの目の前に、他界への入り口のように、黒々とした牢獄の扉が口を開ける。

ロキは燃える松明を翳して、一歩踏み込んだ。

 真紅に燃える炎の灯の前に、純白の姿のフレヤが照らし出される。鎧を外され、白い胴衣のみの姿で鎖に括られたその姿は、捕らわれのワイルドスワン思わせた。

その瞳は、真冬の空のように、凍り付いた冷たい怒りを秘め、炎の前で輝いている。


「お前は、なんだ。人では無いな」


 ロキを見たフレヤは、不思議そうに呟いた。ロキはそれには答えずに、言った。


「戒めを外そうか?それとも自分でやるか?」


 フレヤは少し笑みを見せた。


「戒められている?私が?」


 フレヤは、少し力を込めたように見えた。ミシッ、と音を発し鎖は引きちぎられる。


「縛られているように、見せかけただけだ。見張りを油断させる為にな」


 フレヤは、手足を動かす。牢獄の中でも、その美貌に曇りはない。内に燃える怒りが、異様な生気をその美しい瞳に与えている。


「それにしても、」


 フレヤは不思議そうに言った。


 「お前は何者だ。人では無く、魔族でも無い。エルフ族やドロウ族の系列でもない。お前のように、不思議な生き物は初めて見た」


 ロキは、肩を竦める。


「おれの事は、あとで話そう。まずは、ここを出よう。あんたの装備も外にある」

「そうだな」


 フレヤは身を屈めると、ロキに続いて牢獄の外へと出た。先程のドームの片隅に巨大な、純白の鎧が置かれている。それもドワーフの細工らしく、恐ろしく頑丈そうだが、デザインは洗練され、フレヤの見事に均整のとれた肉体のラインに合っていた。純白のマントを、巨大な白鳥が翼を畳むように、身につけると、フレヤは呟く。


「剣がない」

「そいつは、出口の近くだ。行こう」


 フレヤは、頷くと、ロキと共に出口へ向かった。歩きながらロキが語り始める。


「よく、むりやり出ようとしなかったな。あの牢獄は面白い造りになっている。外側からなら、扉を開けれるが、内側からこじあけると天井が崩れ、生き埋めになるようになっていた。そうなれば、あんたを掘り出すのに半月は無駄にするところだ」


 フレヤは美貌を歪め、笑った。


「私も地下から這い出すのに半月もかけて、ジゼルを殺す日を延ばす気はなかったからな。チャンスを待っていたんだ」


 フレヤは、魔神のように笑う。


「礼を言っておこう。人の姿をした、人ではない者よ。お前のおかげで今宵ジゼルの魂を、冥界へ送ることができる」

「おれは、ロキという名だ。記憶を失った巨人よ。しかし、礼を言うのは、早いぞ」


 二人は、ジーンの居た見張り所まで、出て来た。フレヤは片隅に立てかけられた剣を取り、抜き身のまま、腰のスリングに吊るす。その長大な剣の先端は、フレヤの、ふくらはぎのあたりにあった。

 フレヤは、見たものを氷つかせるような、真冬の女神のような笑みを見せる。


「なるほど。ロキといったな、お前は私と取引をしようというのか。私を助けた見返りに」


 ロキは無表情のまま、フレヤの前に立っている。フレヤが純白の暴風であれば、この男は、漆黒の岩石のようであった。フレヤの、白い炎のような怒りをまともに受けながら、動じた気配すら無い。


「あんたを助けたつもりは無いが、取引はするつもりだ。あんたがおれを、手伝ってくれれば、あんたがなぜ記憶を失い、故郷がどこかも知らぬまま、中原をさまよっているのか、教えてやろう」


 フレヤの瞳が、好奇心を見せた。


「お前はそれを、知っているのか?」

「おれは、ヴァーハイムの岩石人間ロキだ。不死の一族の一人。我々の伝承の中には、記憶を封印された巨人のことも語り継がれている。それをお前に伝えよう」

「今ここで、しゃべる気にさせてやろうか?」


 フレヤが腰の剣に、手をかける。


「無駄だよ、脅しは。おれは、剣では殺せん。フレヤ、あんたが人間とは、取引をしないのは、知っている。しかし、あんたの知っての通り、おれは人間ではない。

この取引は損ではないぞ、フレヤ」

「よかろう、ロキ。お前は何を私に手伝わせたいのか?」

「黄金の林檎を」


 フレヤは、はっと息を呑んだ。その瞬間だけ、無表情のロキの瞳が、求道者のように光る。


「黄金の林檎を、探し求める旅の道連れと、なってほしい。おれは地の果てであろうとも、地獄のグーヌの根城であろうとも赴くつもりだ」


 フレヤは低く笑った。


「いいだろう。一つだけ条件を付ける。ジゼルは殺す。それを認めるなら、旅に出よう」

「かまわんさ。今はまずいが、ここでの用事が済めば、好きにさせてやる」


 フレヤは頷くと、牢獄の外へ出た。未だ空は、混沌と暗く、無数の妖魔が飛び交うように、暴風が吹き荒れている。風はフレヤの輝く黄金の髪をかき乱す。

 千の針のような雨が、フレヤの頬を打つ。フレヤは、地上を支配する大地の女神の様に、美しい笑みを見せたまま、荒れた空を見上げた。


「ジゼルよ、虫けらがわが身に手をかけたらどうなるか、教えてやろう。暫し待て、蟻の女王」


 後ろに現れたロキが、フレヤに声をかける。


「いくぞ、フレヤ」


 フレヤは、頷くと、白い巨身を崖の縁から奈落に向かい、踊りださせた。そのまま、巨大な白い鳥が地上へ向かうように、崖をすべり降りてゆく。ロキは、後を追い、身を投げだした。

 そして、漆黒の男と、白い巨人は夜の森の中へ、姿を消す。



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