第六話 聖剣ノウトゥング
翌日、日が暮れてからユンクは小屋へ戻った。エリウスの用意した晩餐を共にしながら、ケインは諸国を旅して得た情報をユンクへ語る。
一通り語り終えたケインは、おもむろに切り出した。
「先生、私は巨人を見ましたよ」
ユンクは、少し片方の眉をあげる。テーブルにはエリウスのいれた茶が置かれていた。
「巨人?巨人というと、まさか伝説にでてくるあの巨人か?」
巨人はまだ人間が地上に現れる前、邪神グーヌと共に星船に乗って地上へ訪れたと伝説で語られている。その伝説、あるいは神話と呼ぶべきものは、ヌース教団の教義の中でも同様に語られるものであるが、それを言葉通りに信じるものは少ない。
「伝説の巨人なのかどうかは、判りませんが、少なくとも見た目は伝説通りでしたね」
そして、ケインは語り始める。北方の辺境、ライゴールで出会った出来事を。ケインはその友、ジークと共にライゴールにある伝説の地下宮殿、ナイトフレイムに侵入する。そこで見たものは、暗黒の邪神ゴラース、オーラの参謀にしてユンクの元弟子であるブラックソウル、そして伝説の巨人戦士であり女神の化身のような美貌を持つフレヤであった。
その奇妙な、真冬の夜に見る寒々とした悪夢のような物語に、ユンクはため息をつく。ケインの語ったフレヤという巨人は、荒野を吹きすさぶ凍った風のようだ。
「しかし、巨人が甦ったとなると、神話の時代の再来を予感させるな」
ユンクは、独り言のように呟く。
「神話の時代ですか」
「ああ。かつて王国を建国したのは巨人フレヤと黒衣のロキ。そして」
ユンクは傍らで無邪気に微笑む、エリウスに視線を投げかける。濡れたように黒く輝く巻き毛を額にたらし、薔薇の花びらのような唇に夢見る笑みを浮かべたその少年は、ケインへ無意味に笑みを投げかけた。
「エリウス一世。この子と同じ名を持つ、最も偉大な王。神話で語られる、ヌース神、グーヌ神、魔族との約定が結ばれたあの時代の役者が、ほぼ揃った事になる」
ケインは、肩を竦める。
「それは、何を意味してるんでしょう。神々の約定が終わりをつげ、再び聖なるヌースと邪神グーヌの戦いが始まるのでしょうか。神話の中で語られるように、真白き凶天使たちが破滅の刃を掲げ地上へ降臨し、漆黒の魔族の駆る龍たちと、地上を焼き尽くす戦いを始めるのでしょうか」
ユンクは、ゆっくり首を振る。不思議な笑みがその口元に、湛えられていた。
「いや、そうはなるまい。むしろ逆。神々の支配が終わりを告げる時が、近づいているような気がする」
ケインは、驚いたように、片方の眉を上げる。ユンクは続けた。
「かつて、黄金の林檎を天上へ返す為に、王国が建国された。もしも、今のように黄金の林檎が失われた状態が続き、ついにはそれが永遠に失われれば、神々はこの地上から姿を消すだろう」
「そんなことが、ありますかね」
ケインは、不思議そうに言った。
「巨人と黄金の林檎は、今は分かれているが本来は一体のものだ。かつて黄金の林檎が封印された時、巨人も眠りについた。今度、黄金の林檎と巨人が一体化した時、先程おまえが語った真冬の嵐のような巨人がどう振る舞うか、想像がつかんな」
ふう、とケインは息をつく。
「つまり、黄金の林檎が封印されていたのは、巨人が眠っていたからですか。もし、あの巨人が起きた状態で黄金の林檎と一体化すれば、伝説の林檎は永遠に失われると」
ケインの問いに、ユンクは応えず、ただ微笑んだ。
「それはともかく、先生。話が変わりますが、よくこの王子を、短期間で見事な剣士に育てましたね」
ユンクの顔から、笑みが消える。突然目の前で妖精が踊りだしたかのように、ユンクの目が驚愕に見開かれた。
「何だって、ケイン。何と言った?」
ケインはユンクの驚きに、戸惑った。
「いやその、先生の帰られる前に、試合をさせてもらったんですよ。王子と。見事に、負けてしまいました」
ユンクは、暫く言葉を失ったように、口を開け、ケインとエリウスを見比べた。
ケインは怪訝な顔をしてユンクを見、エリウスは相変わらず太平楽な笑みを浮かべている。
「おまえを負かせただと、ケイン。馬鹿な。儂は何一つとしてこの子には、教えておらんぞ」
ケインは、へえっと感心する。
「さすが、エリウスという名を持つ王子ですね」
ユンクはケインの声も耳に入らぬように、自分自身のもの想いに沈んでいく。瞳は自分の内を見つめているように、虚ろになる。
ふと、ユンクは目をあげると言った。
「ケイン、明日はどうするつもりだ?」
「ああ、とりあえず一度王宮のほうへも、顔を出すつもりですが。神聖騎士団への報告がありますし」
ユンクは、再びもの想いに沈む。その白髪に覆われた頭の内で、いかなる葛藤が行われているのか、ケインには想像もつかない。
◆ ◆
翌日、深夜までケインと語りあっていたユンクは、昼過ぎに起きてきた。無限に高い青空の下で、ユンクは目を細める。エリウスは早朝より起きて、相変わらず雑用をこなしていた。今は、よく晴れた春の日差しの下で洗濯物を干している。
ユンクは、小屋の入り口からエリウスに声をかけた。
「エリウス、こちらへおいで」
漆黒の髪の少年は、小走りでユンクの部屋へ入ってくる。ユンクは、エリウスを座らせると、一振りの剣を出した。
「これを、おまえにやろう」
ユンクは、その微かに反りがある剣を、エリウスへ手渡す。
その白い象牙の鞘に収められた剣を見て、エリウスは目を輝かせる。清らかな新雪のように白い鞘に収まったその剣は、金色の花びらのようなデザインがなされた鍔をはめられ、柄には金色に染められた絹糸が巻き付けられていた。その鞘にせよ、鍔と柄にしても、ドワーフが造ったであろうと思える程、見事な作りである。
エリウスは、その剣を抜いて見た。はっ、と少年は目を見張る。その剣は片刃であったが、半ばで断ち切られていた。残っているのは鍔元から10センチ程の、剣の根本の部分だけである。
エリウスはユンクを見つめ、ユンクは笑みを返す。
「その剣は、ノウトゥングといってな、初めからそういう形で造られたのだよ」
ユンクは、立ち上がると少年から剣を受け取り鞘に収め、小屋の外へ出る。穏やかな昼下がり。青く晴れ渡る空の下、ユンクはゆっくりと歩んだ。
木が風に揺らぎ囁きのような音をたて、小鳥たちが囀りながら空を渡ってゆく。
色鮮やかに咲き誇る花畑を抜け、ユンクは庭の片隅にある岩の前に立った。岩の高さは、人の背丈ほどもある。大きさは、一抱えほどだろうか。ユンクと岩の間の距離は、3メートル程だ。エリウスは、茫洋とした表情で、ユンクの後ろに立つ。
「見ていなさい」
ユンクは、エリウスに声をかける。剣を腰に構えると、目を細めた。ユンクは彫像のように、動きを止める。
宝石をはめ込んだように鮮やかな色の羽を持った蝶が、不信げにユンクの周りを飛ぶ。まるでそこにあるのが、人か彫像か迷っているように。
風は優しく歌うように、通り過ぎる。日差しが女神の慈愛のように、地上を満たす。静かな春の、昼下がりであった。
ほんの一瞬、空気の色が変わる。チン、と微かに鍔鳴りの音がした。
それはまるで一瞬、春の日差しが真冬の清冽な陽に変わったかのようだ。今は元通り、穏やかな春の昼下がりに戻っている。ただ一つ、ユンクの目の前にある岩を除いて。
その岩は、中央のあたりから、ゆっくりとずれていく。やがて、岩の上半分が大地へ落ちた。地響きと共に。
小鳥たちが驚いたように、飛び立つ。ユンクは、腰をのばすと振り向いた。剣をエリウスへ手渡す。
ユンクは、さらに奥にある岩を指さした。大きさは、同じくらいの岩だ。
「あれを、斬ってみなさい、エリウス」
エリウスは、剣を抜く。半ばで断ち切られた刃を、傾ける。剣の中に仕込まれていた、金剛石の刃が姿を現す。
その刃は、真夏の日差しを集めて造ったように、強い輝きを放つ。その透明な剣の中に、無数の色彩が乱舞する。
エリウスは、剣を振った。透明の刃が、様々に煌めく虹の光を内に秘め、青く輝く春の空の下を、円弧を描いて飛ぶ。刃はワイヤーで柄と繋がっており、コントロールできる。
エリウスは、金剛石の刃を柄に戻し、象牙の鞘へ戻す。ユンクがしていたように、岩と向き合うと、腰で構える。
エリウスの漆黒の茫洋とした瞳が、さらなる深淵を映すように深く、昏さを増す。
一瞬、ユンクの目にだけ写る速度で、光が疾った。
キン、と金剛石の刃は岩に弾かれる。エリウスは振り向くと、ユンクを見た。ユンクは、深みのある笑みを見せる。
「まぁ、色々と試してみる事だ。そう簡単には斬れまい」
そういうと、ユンクは振り返り、小屋へ戻る。一人残ったエリウスは、剣を鞘に納めた状態で、立ちつくす。
春の暖かな風が、美神の囁きのように、エリウスの髪に触れて吹き抜ける。日差しが女神の抱擁のように、少年の体を包む。
エリウスは、ゆっくりと、懐に納めた指輪を取り出した。
『私を、呼んだかね、エリウス』
エリウスは、無言で指輪を見つめる。
『ノウトゥングを、使いこなせないか。ふん。で、私に何を望む?』
「この剣の気持ちが、判らないんだ。水晶剣なら、僕の中にすんなり入ってくるんだけどね」
指輪は、微笑むように春の日差しを、跳ね散らす。
『何しろ、造られてから数千年を経ているからな、その剣は。おまえを受け入れるのに、時間がかかるかもしれん』
少年は、漆黒の瞳で純白の鞘に納められた剣を、見つめる。
『私を受け入れてみろ、エリウス。私と一つになれば、その剣が見えるはずだ』
エリウスは、指輪をすっと指にはめた。目を閉じる。再びエリウスが瞳を開いた時に、そこにいる少年はすでに別の存在となっていた。
黒い瞳の奥底には、魔道の黄金の輝きが宿っている。茫洋とした表情は消え、としを経た魔族を思わす笑みが浮かぶ。
エリウスは無造作に、剣を抜いた。同時に、岩が真ん中で絶たれ、地面に落ちる。
地響きが起こった。
小屋からユンクが再び出てきた時には、エリウスは指輪を懐に納め、瞳に宿った黄金の輝きも消えていた。エリウスは無邪気な笑みを見せ、驚愕に目を見開くユンクへ、無造作に言う。
「斬れました」
ユンクは言葉を失い、無言のまま頷いた。




