第三話 白衣の騎士団
「大変です、オウラン様」
嵐の過ぎ去った後の、穏やかな昼下がりであった。リンダが蒼ざめた顔で、部屋へ飛び込んでくる。オウランは縫い物の手を止め、ゆっくり立ち上がり玄関に立った。
昨夜の強風が掃き清めたというかのように、青い空は無限の高みまで見透かせるほど透き通っている。澄んだガラスの輝きを思わす光が、空に残った雲の隙間から地上へ差していた。その光の下に、屍衣のごとく純白のマントを身に纏った者たちが佇んでいる。
彼らは、のどかなスターデイルの田園風景の中に降り立った、ヌース神の戦闘機械である天使のようだ。ヌース神聖騎士団の精鋭6人が、オウランの目の前にいる。
その中には、昨日のイリス・コーネリウスもいた。
彼らの騎士としての身分を現す純白のマント以外は、個性的な姿である。ある者は、深紅に染め上げた髪を空に向かって逆立て、またある者は、剃り上げた頭に色鮮やかな刺青を施していた。南国の浅黒い肌の者もいれば、死人のように蒼ざめた者もいる。
人種も姿形もまちまちな者たちに共通しているのは、冬の夜空に煌めく星の光の冷たさを、その目に宿している事であった。
一人が一歩前に出て、オウランの前に跪く。その者の額には、五芒星の刺青がある。
「ヌース神聖騎士団、ジャン・レヴィナスと申します。昨日は、イリスが失礼を致しました」
オウランは、騎士たちを目の前にしても、変わらぬ笑みを見せる。
「いいえ、イリスさんは、とっても気持ちよくお話を聞いて下さいました。もう、何も言うことは、
残ってないのよ、お若い騎士さん」
オウランの言葉にも、ジャンの表情は変わらない。
「私も、何も話す事はありません。私どもは、ただの護衛ですから」
オウランが、息を呑む。木陰から現れた、その人を見た為だ。騎乗のその人の動きに合わせ、騎士たちが道をあける。その人は、馬から降りると、オウランの前へ立った。
「久しぶりだね、オウラン」
栗色の長髪をかき上げると、王テリオスがオウランの前に立つ。きらきらと輝くブラウンの瞳は、3千年の歴史を持つ王国の王としてはあまりに無垢であり、汚れを知らぬように見える。しかし、口元に浮かぶ笑みは、したたかで抜け目なく、しぶとい性格の持ち主のものだ。
半ば少年、半ば老人のように見えるその王は、言葉を失ったオウランに悪戯っ子のように微笑みかけた。
「どうしたの、オウラン。もう、昔のように愛を囁いてはくれないの?」
オウランの頬に、血が上る。それを見たテリオスは、ますます楽しげに笑った。
「怒ったね、オウラン。けど言っておくが、君を追放した時には私も若くて力がなかった。私の意志など、大した価値をもたなかったんだよ。まあ、今もそうなんだけどね。私は、今も昔も変わらず、君を愛しているよ」
「よく、そんなことが言えますね」
オウランの顔は、赤みをとおりこして、蒼ざめている。テリオスは、両手を広げ、優しげに首を振った。
「まあ、怒るのはしかたない。でも、君を愛しているのは、事実だからしょうがないんだ。嘘のつけない性格でね。理不尽だと思うかい。そうだろうね。だいたい、何千年も続いた王国の政治なんて、理不尽の固まりみたいなもんさ。僕なんて、朝おきて眠るまで理不尽じゃないと思う事は、ないね」
オウランは、一つ息をつく。そして、きっぱりと言った。
「私を愛しているなら、帰ってください。あなたの世界へ。あなた方の理不尽に巻き込まないで」
「そうしてもいい。しかし、僕には相変わらず大した力はない」
テリオスはもう、笑っていない。
「君には、この谷を血で染める覚悟があるのか?」
オウランは、寂しげに笑う。しばらく誰も、口を聞かなかった。春先の暖かな日差しが、あたりに満ちている。穏やかな風が、木々を揺らす。空高く、小鳥が囀る。
オウランは、ようやく口をひらく。
「エリウスをお渡しします、お望みの通り」
「ありがとう、オウラン」
「ただ、私はここに残ります」
「馬鹿な」
テリオスの顔が、曇る。
「なぜ、そんな事を」
「あの子は、必ずここへ帰ってきます。その時まで、ここを守っておく必要があります」
「待てよ、僕は君を愛している。僕はどうなる」
オウランは、少しうんざりしたように言った。
「あなたも、一つくらいは、痛みを味わいなさい」
そう言い終えると、背を向け家にむかって歩みだそうとした。その瞬間、オウランは、神の手で時を止められたように、動きを止める。いや、そこにいる者たちひとりのこらず、蒼ざめた竜の吐息によって凍りつかされたように、立ちすくんだ。
そして、世界そのものが息を呑んだように、静まりかえる。
その時、家から歩み出てきたのは、エリウスであった。時の止まった世界でただ一人動いているように、王たちへ向かって歩いてくる。
そこにいる者たちが凍りついたのは、その美貌の為だった。王国が3千年の時をかけ、丹精に育てあげた黒い夜の夢のような、その髪、その瞳。十五年間、エリウスを育ててきたオウランですら、いやオウランだからこそ、そのエリウスが別人ではないかと怪しんだ。
その少年は、中原で最も古い王国がその昏い夢の中で育んだ、黒く妖しく美しい花である。血と死を吸い、黒い金剛石のような美しさを磨いてきた闇の薔薇。幼子のあどけない純真さを持ち、いかな修羅場をくぐり抜けてきた王でも持ちえないような、威厳が少年にはあった。
そして、何よりその場にいた人々に畏怖を与えたのは、その漆黒の瞳の奥に映し出された黄金の輝きである。それは、魔族の与えた刻印のごとく、冥界の昏き闇に咲く黄金の花の煌めきが、その少年の瞳にはあった。
その少年はまさにエリウスであったが、昨日までのエリウスとは別人である事は間違いない。
テリオスは、一切の怪異を目に止めなかったように、目の前に来た王子に声をかける。
「やあ、我が子よ」
「出迎え、ご苦労です」
その少年の言い方は、老いた者が若者をいたわるようであった。テリオスは、皮肉な笑みを浮かべる。
「おいで、坊や」
テリオスは、少年を抱き上げ馬にのせる。その後ろに、テリオスが跨る。
「やあ、空がきれいだ」
その少年の呟きに、一斉にため息がもれた。それは、いつもの十五歳の少年の声である。その姿は、オウランがいつも見慣れた、野山を駆け回る少年、エリウスのものであった。その瞳からは、死せる女神の血が一滴落とされたような、黄金の光は失われている。
オウランは、首を振る。今しがた見た真昼の白昼夢を、振り払おうとするように。
テリオスの馬が歩きだし、白衣の騎士たちがそれに続く。
いつも通りの、穏やかな昼下がりであった。




