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ワルキューレ シリーズ  作者: ヒルナギ
第二章 妖精城のワルキューレ

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第二話 指輪の王様

 イリス・コーネリウスは、もう一度、その部屋を見回す。そこは、家というよりは、小屋といったほうがふさわしい建物であった。木造のその家は、天井を霞のような蜘蛛の巣に被われ、壁と床は、そこらじゅうに置かれた鉢植えの花の為、むせ返るような色彩と香りに埋められている。

 イリスはこの家の主、オウランを待っていた。神聖騎士団に所属する証しとして、新雪のように清らかな白いマントを、身につけている。彼女の銀の髪は、少し暗い部屋の中で、微かに光を放つように浮かび上がって見えた。


「お待たせしました、騎士殿」


 後ろから声をかけられ、イリスは立ち上がった。この家の主であり、元王妃である女性は、戸口に立っている。背後から陽光を受け影になっている為、表情はよく判らないが、微笑んでいるらしい事は判った。

 イリスは優雅といってもいい仕草で、礼をとる。純白のマントが、衣擦れの音を立てた。オウランはゆっくりと部屋を横切り、イリスの前に立つ。


「あら、騎士の方とおっしゃるから、どんな方かと思ったら、かわいいお嬢さんでしたの」


 オウランの言葉に、イリスは顔をあげた。

 そこにいるのは、質素というよりは粗末な(少なくともイリスの目からは、そう見えた)服を身につけた、平凡な中年女性である。黒い髪は編んでまとめあげられているが、少し白いものが混じり痛んでいるように見えた。肌は野良仕事の為か、陽に焼け、指先の肌の荒れが目立つ。

 オウランはイリスの心を見通しているかのような、邪気のない黒い瞳で見つめている。笑みはあいかわらず、浮かべられたままだ。


「おかけください、騎士殿」


 オウランは腰をおろすと、イリスに声をかける。イリスは再度礼をすると、オウランの前に座った。

 元王妃であるはずの目の前の女性は、イリスの想像から大きく離れている。兄に謀反の嫌疑がかけられた事により、中央から追放された王妃。イリスの頭の中では、今目の前にいる女性と正反対のイメージが形成されていた。

 兄を陥穽により処刑し、自分を陰謀により王から引き離した中央の貴族達に対する怨念だけを糧にし、威厳と誇りだけを砦とした悲劇の女王。

 自分の予想を大きく裏切った、春先の日差しのような暖かい笑みを浮かべた女性が目の前にいる。イリスは、まさにこの家に相応しい主だと感じた。


「お訊きしていいですか、オウラン様」

「あら、なんでしょう」

「あなたの持つ領地は、確かに広いとはいえませんが、城を構えるだけの収入はあるはずです。なぜ、このような」


 オウランは、けらけらと笑った。


「気に入らないの?この部屋が。私は好きよ。この家も。この谷、スターデイルも。城はあります。経営は、信頼できる人に任せているわ。私は、石の建物が嫌いなの」


 オウランは、少女を思わす無邪気さで語った。オウランにはそうした話し方が、よく似合う。イリスは思わず微笑み返して、頷いた。


「さあ、かわいらしい騎士さん。用件を仰ってくださいな」


 イリスは、顔から笑みを消し、騎士らしく青い瞳に冬の夜空の星のような冷たい光を宿し、語りはじめた。


「私は、エリウス様をお迎えにあがったのです」


 オウランは、戸惑った表情になる。


「何を仰るの」

「先だってのクライアス戦役で、第二王子キリアス様、第三王子カシアス様がなくなられました。今、エリウス様は、第三王位継承者です。それに相応しい教育が、必要です」

「あの子に王位継承権なんて、ありません」

「議会は先月エリウス様に王位継承権を復活させるよう、決定しました。よって私がここへ来たのです」

「何いってんだ!この嬢ちゃんは」


 いきなり後ろからイリスは怒鳴りつけられた。

 イリスは表情を変えず、立ち上がる。その目には、冴えた光が湛えられたままだ。


「やめなさい、リンダ」

「いいえ、やめません」


 リンダとよばれた女性は、オウランと同い年くらいのでっぷりと太った女性である。リンダは、扉を開くと外を指さした。


「あなたは?」


 イリスの落ち着いた問いに、怒りで蒼ざめたリンダが答える。


「私は、オウラン様の侍女です。お帰りはこちらですよ、お嬢ちゃん。エリウス坊ちゃんを、あなたに渡したりするもんかね」


 イリスは誰にも気づかれることなく、水晶剣を放つ。長さ10センチほどの透明な水晶の剣は、超高速で回転しながら部屋の空気の中へ忍び込んでいく。紙より薄い水晶の刃は、肉眼で捉えられることなく、部屋の中を漂いはじめた。

 風使い、剣の達人ユンクの弟子であるイリスはそう呼ばれている。風の中に妖精の羽のように薄い刃を潜ませ、刃のひそんだ風によって相手の体を斬るのが、イリスの技だ。リンダは、イリスを掴みだそうとするかのように、一歩踏み出す。突然、オウランが立ち上がった。


「無礼であろうイリス・コーネリウス、我の前で剣を抜くとは。剣を収めよ。神聖騎士の名に相応しく振る舞うがいい」


 はっ、とイリスは振り向く。そこに立ちつくすオウランは、さっきまで微笑んでいた女性とは全く別人のように、気品と威厳に満ちている。

 そしてイリスは、戦慄を感じていた。彼女が剣を抜いた事は、オウランが気づくことは不可能なはずである。彼女以外のユンク流剣の使い手で、彼女の水晶剣を見る事ができるの者は、ユンク自身以外にはいなかった。

 糸を放ち、水晶剣をイリスはたぐりよせた。水晶剣が魔法のようにイリスの手に出現する。凍てついた湖を覆う氷の破片にも似たその剣を収めると、イリスは跪いた。


「お許しください、オウラン様」

「座りなさい、騎士さん」


 元の調子に戻ったオウランは、椅子を指し示す。イリスは、腰をおろしながら、オウランを見つめた。オウランはもう一度、微笑む。


「いいですか、騎士さん。私たちは、議会の決定により、罪人として王国の首都トラウスより追放された者です。その時点で、中央との関係は絶たれたはず。なぜ、今更、議会の命にしたがう必要があるのですか」


 今のオウランの笑みは、酷く哀しげに見える。


「放っておいて下さい。私たちを。あの子がトラウスへいっても、兄の二の舞になるだけですわ」


 イリスは、どうすべきか迷っていた。再びトラウスへ戻れるという話が歓迎されず、拒絶されるとは夢にも思っていなかったことだ。どうすれば、オウランを説得できるか思いつけない。


「騎士さん、ご存知だと思うけど、エリウスは5歳になるまで言葉を喋りませんでしたし、未だに読み書きはできません」


 イリスは、曖昧に頷いた。そのうわさは、聞いている。


「それはあの子にとって、言葉は必要ないものだからですわ。あの子は私たちが本を読むように、野や山を読んでいます。私たちが見る野山より、遥かに多くのものが溢れた野山を、あの子は見ているのよ。あの子の場所は、このスターデイルであって、トラウスではありません」


 イリスは、ようやく反論した。


「あなたは、自分の息子が王になれるかもしれないのに、羊飼いにしてしまうおつもりですか」

「山羊ですわ」

「え?」


 怪訝な顔をしたイリスへ、オウランは少しなげやりに言った。


「家で飼っているのは、山羊ですわ」


 イリスは、少し頬を赤らめ、立ち上がる。オウランは相変わらず優しげな笑みをうかべたまま、扉をさした。


「お帰りは、あちらから」


 イリスは、何かを言おうとして、やめた。一礼すると、出口へ向かう。リンダは満足げな笑みをうかべ、頭をさげた。


「もうこなくていいですよ、騎士の嬢ちゃん」


 叩きつけられるように閉ざされた、扉の音を背中で聞いて、イリスはため息をつく。


◆             ◆


 風の強い、夜であった。エリウスは、部屋の窓から空を見上げる。夜の世界を統べる青ざめた女王である月が、冴え冴えとした水晶の輝きで、地上を照らす。 母オウランと、リンダはもう眠りについているはずであった。まるで深海の底のように、青く昏いスターデイルの中で、自分がたった一人目覚めているような気がする。

 強い風が木々を揺らし、悲鳴を上げさせた。頭上を巨獣のような黒い雲が、走り抜けていく。風は魔物のように、地上を駆け抜け、歌声をあげながら山上へと上っていった。

 そして風は、夢見る少女のような薔薇色のエリウスの頬を撫で、その漆黒の巻き毛をちりぢりにかき乱す。少年の黒曜石の瞳は、風の多少熱烈すぎる愛撫を無視し、手にした指輪を見つめている。

 そして、指輪が語りはじめた。


『おまえの心は、荒野のようだ、少年』

「どういう、ことなの」


 指輪にむかって、少年は問いかける。


『おまえの心には、誰も住んでいない。おまえは、誰も見つめていない。おまえの住んでいる世界は、青空よりも高い虚空の彼方か?』

「僕は、ここにいるよ」

『自由だなおまえは、少年。誰も触れる事のない、遥かなる高みにある荒野、その自由の荒野が、おまえの場所だよ』


 蒼ざめた夜空の女王の、輝く指先によって、少年の瞳は昏い宝石のように煌めき、黄金の指輪を映す。宮廷画家の描く天使のように、愛くるしい笑みをうかべたエリウスは、小首をかしげる。


「自由とは、なに?まるで僕は、触れるものも、見るものも無い世界にいるみたいだけど」


 指輪は、笑った。天空の星々が瞬くように、黄金の光の滴が跳ね飛ぶ。


『ああ、この世の煩わしき事々よ、おまえは、それらと関わっていないのさ』

「君は、どうなの?えっと」

『指輪の王と、呼んでくれ』

「指輪の王様、君は、自由じゃないの」


 指輪は、ため息をつく。黄金の輝きが、微かに曇った。


『私の体には、運命という名の鎖が、二重、三重にも巻かれている。おまえは、あの天空の高みにある星さ、エリウス。私は、地上に根を生やした木だろうよ』

「運命というのは、何の事?君を僕にくれた人も、言ってたね。君が僕の名にふさわしい運命を、あたえるだろうって」

『それそれ、まさにそれだ。やれやれ、私が君に与えるって?いいや、君の中にある影を、光の中に引きずり出すだけの事』


 風の叫びは、ますます強くなる。千の魔女達が歌を詠いながら、谷間の中を駆けめぐっているようだ。そして夜空では、気高き蒼ざめた女王の下で、巨大な魔物のような黒い雲達が、狂乱の宴を開いている。

 そして、天上の星々がため息をもらすような美貌の少年は、そよ風のようにそっと笑う。まるで少年の周りだけ、風が凪いでいるかのように。


「何を引きずりだすって?影ならほら」少年は、水晶のような月の光によって床に浮かびあがっている、自分の影を指した。「ここにあるよ」


 指輪が輝きを、増した。見るものの心へ、狂気の欲望を呼び覚ますような、黄金の輝き。その光は、少年の黒曜石の瞳の中で煌めく。しかし、指輪のいうように、少年の心へはとどかない。


『おまえの心の中の影は、人を支配し、人を動かす為のもの。ようするにだ、私がおまえを、王にしてやろう』


 少年は、聖なる天使のように、にっこり微笑んだ。


「君と一緒かい?指輪の王様」

『私より遥かに偉大な王、私より遥かに気高い王、私より遥かに暴虐な王、それだよ、おまえがなるのは』

 天使の光を宿す少年の瞳の中で、指輪は狂乱の光を放ちつづける。

『誰もがいうだろうさ、おまえほどの王はいないと。高潔さにおいても、残虐さにおいても』

「ふーん」


 そういうと、少年は大きく欠伸をした。指輪を、懐へしまう。


「おやすみ、指輪の王様」


 やがて夜空で叫び続けた風たちは去っていき、蒼く冴えた月だけが残る。少年と指輪のやりとりを聞いていたのは、ただ彼女だけであった。



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