第二十一話 夢からの帰還
獰猛な笑みに嘲るような色をのせて、ロキを見つめていたゴラース神は、ふっと動きをとめた。まるで、少し戸惑ったように、首をかしげる。
ロキは、黒衣の下から剣を出す。それは黄金色に燃え盛るような、ユグドラシルの枝より造られた剣であった。その剣をゴラースに向かってかざす。
「フレヤを吸収しようとしたのは、失敗であったな」
ゴラースの顔が、驚愕で歪む。自分の体内に溢れてくるエネルギーが、想像を絶するものであった為だ。
「なるほど、我が小さき身体で、死せる女神の血を受けた娘の力を吸収しようとは、愚かなことだったようだ」
ゴラースの体内から漏れてくるエネルギーを受けとめているかのように、ユグドラシルより造られし剣は、ますます激しく輝く。
ロキは、夜空に突如出現したような新星のごとく輝く金色の剣を、闇色のゴラースの体へ突き立てた。ゴラースの絶叫と共に、その体に金色の穴が出現する。そこから、金色の光の奔流が迸った。
黒衣のロキは光に押されるように、後ずさる。金色の光は形をとり始めた。やがて、それは人の形となる。その光が薄らぎ、人の形がはっきりしだした。
それは白衣の巨人、フレヤである。フレヤは燃えるような天上の女神の美貌を輝かせ、暗黒の邪神の前に立つ。
「長い旅だったが、我が場所に戻れたようだ。ただ、これも新しい夢なのかもしれぬがな」
フレヤの呟きに、ロキが苦笑する。
「戯れごとをいってる場合か、フレヤ」
ゴラースの黒い姿は混沌とした、暗黒星雲のように姿をとどめず、ゆれ動いている。暗い夜空が凝縮したようなゴラースは、無言のまま輝く瞳でフレヤを見おろす。
冬の乾いた蒼い空のような瞳で、フレヤはゴラースを見つめ返す。その目の中には、嘲笑があった。
「フレヤ!」
ロキが叫び、金色の剣を投げる。フレヤはそれを、宙で受けとめた。金色の剣は炎を纏ったように、さらに強くフレヤの手の中てせ輝く。それは闇の終わりを告げる、明けの明星の光にも似ていた。
「終わりだ、ゴラース」
フレヤは叫ぶと、金色の炎を浴びせるように、ゴラースの身体へ剣で斬りつけた。
ゴラースの身体を構成する闇が、夜明けの光を受けた夜のように薄らいでゆく。
空気が蒼ざめ、物体化したような闇は、半透明の霧と化していった。ゴラースの思念が時折、薄暮を照らす稲光のように、走り抜けてゆく。死を迎えた暗黒の消滅のようにゴラースの姿は消えていった。後には、ドルーズの死体だけが残る。
轟音が響き、宮殿が揺らぎ始めた。
「何ごとだ」
フレヤの問に、ロキが静かに答えた。
「ゴラースは致命傷を負った。お前に長く、触れすぎた為にな。この次元界を維持し続けるのは、困難になってきている。元々この宮殿そのものが、ゴラースの身体であるといってもいい。それが崩壊し始めているんだ」
「だとすれば、我々もゴラースと共に次元のかなたへ消えてゆくわけか?」
ロキは笑みを見せる。
「ゴラースにしても、まだ多少は力がのこっているはず。おい、ゴラース」
ロキはドルーズの死体へ呼びかける。ドルーズの死体が、ゆらりと立ち上がった。
(何か用か、ヌースの模造人間よ)
ゴラースは直接心へ、語りかけてくる。ロキが言った。
「我々を元の次元界へ、戻してくれ」
(よかろう、私はこの次元界から開放されたようだ。礼のかわりに、お前の望みを果たそう)
ロキとフレヤの足元に、五芒星が出現する。その五芒星は輝いていた。五芒星の輝きは、夜明けの太陽の光のように、次第に強く明るくなってゆく。やがて、その光が極限に達した時、フレヤとロキの身体は白い光につつまれ消え去った。
◆ ◆
「こりゃ、やばそうだな」
激しくゆれる宮殿の中で、ケインが呟いた。
「出口がないね、ここ」
ジークは、落ちついているのか、諦めているのかよく判らない口調で言った。
「出口がないなら、探すんだよ!」
ケインが叫ぶと、右手を動かす。透明の水晶剣が、宙を飛ぶ。シルフィールドが乱舞するように、透明の剣が部屋じゅうを飛び回った。
やがて、剣がケインの手に戻り、ケインが言った。
「あったぞ、そこだ」
ケインは壁の一角へ、駆けよる。揺れが激しい為、多少よたつきながら壁へたどり着く。壁を拳で叩いた。中が中空になっているようだ。水晶剣で切りつけた感触は、間違っていなかったらしい。
ケインは、左手の闇水晶を構える。
「待てよ、ケイン」
ジークが後ろから声を掛けた。ケインが苛立たしげに、振り向く。
「なんだよ、急いでるんだぞ、おれたちは」
「お前の左手は限界だろう。闇水晶でも無理だと思うぞ。ここは、おれに任しとけって」
ケインは、心配そうにジークを見る。確かに、ケインの左手はブラックソウルとの戦いで酷使しすぎた為、動かせる状態では無かった。といってもジークに任すには不安がある。
ジークはケインの想いをよそに、不逞不逞しい笑みを見せた。その左手は、剣の形となっている。
「黒斬手か」
ケインの問に、ジークが頷く。剣と化した左手を意身術で動かし、鋼鉄の鎧すら断ち斬る技である。極度の精神集中を必要とし、反動で肉体に過負荷が発生する為、実戦ではめったに使えない。しかし、壁相手であれば、役に立ちそうだ。
「やれ、ジーク」
激しく揺れる宮殿の地下で、ジークが静かに気を凝らす。ジークの口から気合いが迸った。漆黒の左手が風となり、壁を斬る。
「やった!」
ケインの歓声と共に、壁の一角に丸い穴が開く。ケインはその穴へ飛び込む。通路が続いていた。どこへ行くかは判らないが、とりあえず今のまま留まっているよりは、ましに思える。
「いくぞ、ジーク!」
ケインがジークに声を掛ける。ジークは、うずくまったままだ。激しく嘔吐しているようである。ジークの肉体も、フレディとの戦いで、極限状態になっていたようだ。
「もうだめだ、ケイン」
ジークが力なく言った。
「一人で行ってくれ」
「馬鹿野郎!」
ケインは、素早く考える。このまま先へ進んでも、何があるかわからない。魔族とばったりの可能性も、十分考えられる。ジークをつれていけば、戦力にならないにしても、おとりくらいにはなるかもしれない。
ケインはジークを背負った。あまりの重さに、数歩よろめく。
「すまない、ケイン」
「太りすぎだぞ、どう考えても」
ケインはジークを背負って、通路を歩きだす。けっこうきつい道中になりそうだ。
「ケイン、もし助かったらお前の言う事何でもきくよ」
「本当だな」
ケインは、歯を食いしばりながら言った。
「まず、馬鹿喰いはやめろ。もう少し痩せることだ」
「判ったよ」
「それと、めったやたらと人を殺すのもよくない。やめろ」
「判ったよ」
「それと、女を見るととりあえず犯すというのもよくない。やめろ」
「判ったよ」
「それと、強盗は程々にしとけ。ある程度は法も守るべきだ」
「判ったよ」
こうして二人は暗い通路へと、消えていった。




